Archive for 1月 31st, 2009

運命の人など本当はいない。

実をいうと、最近感じているのは
「運命の人」というものはいないのではないか?
ということなんです。

我々女子は「運命の人」を求めてしまいますが、
その求める「運命の人」は、大概の場合は
「自分の運命に都合のいい人」だったりするんです。

男性が求めるいい女が実をいうと
自分にとって「都合のいい女」であるように。
大概の私たち女子にとって「運命の人」とは、
「あたしの運命を切り開いてくれる人」だったりするのです。

できることなら、損な相手よりは得な相手がいいとか、
できることなら、貧乏人よりはお金持ちの方がいいとか。
できることなら、この人と付き合ったことによって
自分の運が開けるような「運命の人」がいいと思いがちなのですが。
果たして、そんな「運命の人」が、本当にいるのかどうか。

だけど、あいつらはひょっとすると
運命の相手同士なのではないか?
あのお笑いコンビは。
借金を背負って借金取りに追われながらも、
一緒に返していく覚悟を持った、「かつみ&さゆり」は。
ダメなヤツだと知ってて相手を背負っていきたいと思う。
そんな「どこまでも損をできる相手」が、実をいうと運命の相手なんじゃないかと思っているのですよ。

だけど普通は、「どこまでも損」なんていう、キリスト教的自己犠牲の精神には
たどり着けないものです。

キリスト教的自己犠牲の精神を持たない私の、
子育て中の被害妄想というのは、今思うに相当なものだったのですが。
何故、そこまで時間がないことを不幸のように
感じることができたのか。
不思議なくらいに被害者意識はバリバリで、
自分をこの世で一番不幸でがんばっている母親だと思ってたし
そこを否定されると、本当に悲しくなってしまうような精神状態でした。

それらは全て、比較することによって
生まれたものだと思います。

過去の自分と。

自分の時間があって、自分一人のために生きててよかった自分と比較して、
苦しんでいたのだと思います。
その許容量の狭いことといったら、半端ないです。
パねえッス!

そういう時に、与謝野晶子が11人の母親で、
夫の与謝野鉄幹が落ちぶれ、働かず。息子の産着を買うお金もなかった時に、
風呂敷を縫って産着を繕い、11人もの子供を育て上げた、とか

韓国動乱の際に自分とは関係のない道に捨てられた孤児達を、
どうしても見捨てることができず、何人も何人も引き取り、
(その引き取った孤児の数は133人といわれている)
お金がないので産着も買えず、青空理髪店を営み、
落ちている軍手を拾ってほどいて子供用のえりまきに編み直して着せた
望月カズ※「愛は国境を越えて」のモデルになった実在の人物 の話を聞くと。

体の、底の方から力が溢れてくるのを感じるのです。


望月カズにとっては、その捨てられた孤児たちが、
運命の相手だったのではないか? と。

与謝野晶子にとっては与謝野鉄幹が。
その運命の相手によって、彼女たちは彼女たちにしかない
ただ一つの人生を歩んでいくことになります。

私の人生は、私にしか訪れない。
この子の人生も、この子にしか訪れない。

それを思うと、今、一緒にいるジッチャとかバッチャとか
師匠とかケンさんとかは。
半端無い運命共同体のように感じられてくるのです。
……嫁(私)のせいで家の恥、さらされまくりだけどね…。