Archive for 1月 10th, 2018

稲葉俊郎『いのちを呼びさますもの ひとのこころとからだ』

医師の稲葉俊郎さんの著書
『いのちを呼びさますもの ひとのこころとからだ』
(アノニマ・スタジオ)
を読みました。

艶めかしい赤い表紙に金色のシンボル、白い帯がきれい。
赤血球と白血球みたい。
それか、産着に包まれた赤ちゃんのよう。

本は、良き友人に例えられることが多いけど
この本を読んでいると本当に友人が語りかけてくるようで
友達同士でいる時の、「そういえば知ってる?」みたいな
雰囲気でとてつもなく面白い、体の不思議を語ってくれる。

「ねえ、頭頂眼って知ってる? 約2億年前頃(三畳紀)までは、
光を感じるセンサーとしての目は4つあったんだよ」

そんな風に語り掛けてくれる友人がいたら、
毎日はなんて面白いのだろうと思う。
稲葉さんは語りかける。

『進化の歴史からいえば、目の数も変化した。
約2億年前頃(三畳紀)までは、光を感じるセンサーとしての
目は4つあった。ただ、4つのうち2つは退化し、
左右の2つの目だけが残ることになった。
消えてしまった他の2つは、過去に「頭頂眼」といわれ、
脳の一部としての視神経が頭頂方向へ向かって
前後に分かれた視覚器だった。』<本文より>

頭頂眼、めちゃくちゃ気になる。
しかも、めちゃくちゃ詳しく説明してくれる稲葉さんが
物語るのがうまいので、理系の話にも引き込まれてしまう。

第二章の「心のはたらき」では、
意識と無意識、自我と自己を教えてくれるんだけど
話を教えるのがうまい先生のように、
難しくなってくると面白い話題で生徒を眠らせない。

『例えば、仏教の思想のひとつである「唯識」を例に挙げてみよう。
唯識はまさに意識が層構造になっていることを扱ったもので、
4世紀ごろのインドで生まれた考え方だ。
唯識を知らなくても西遊記に出てくる玄奘三蔵(三蔵法師)
の名前は聞いたことがあるだろう。
玄奘三蔵が命がけで天竺(インド)に渡り、
17年もの歳月をかけて中国へ持ち帰ったのが唯識である。』
<本文より>

これを聞いている時(読んでいる時)、
私は勝手に「うっそー! 唯識ってそうなの? マジかっけー!」
とか言いながら読んでいる。

『三島由紀夫も晩年は唯識に傾倒し、『豊穣の海』は
唯識の知識をベースにしながら輪廻転生がテーマとなって
書かれている』
<本文より>

自分の中にある知識で輝くもの。
「これが、面白いんだ」という宝物を丁寧に紹介してくれる文章。
そして、病弱だった幼い頃の彼が医師となって
病とは何かを見つめるうちにたどり着いた世界観は
水のようにひたひたと、その新しさで脳を浸してくれる。

『……もっとも重要な人生のテーマは自己認識であり、
「わたし」を知ることなのだ。
「わたし」という存在が持っている、
表層の自我だけではなく深層の自己をも含んだ
「わたし」を発見することこそが大事なのだ。』
<本文より>

第三章の「医療と芸術」では、どの文章も重要すぎて抜粋しずらい。
古英語の「Hal」(完全である)から生まれた「Health」、
健康という言葉にそもそも「完全」(Hal)、「全体性」(Holism)、
「神聖」(Holy)といった意味合いが含まれている
……物語の導入部から
不思議な言葉「Hal」に引き込まれ、
ギリシャのエピダウロスの考古遺跡から古事記、
メタファー、そしてアールブリュットの世界まで。

そこに何を見い出しているのかを
教えてくれる。紹介されている筋ジストロフィーの詩人・岩崎航さんの
詩の世界が不思議な重さを加え、

稲葉俊郎さんの世界観に深く深く潜っていく。

本当は、当たり前のことなのかもしれないが、
彼の言葉によって初めて意識したのが次の文章。

『誰もが体を持っている、誰もが心を持っている。
誰もが命を持っている。
すべての人は個別に違うものだが、
人種や宗教や思想や文化の違いを超えて、体や心や命には
共通の原理が働いている。だからこそ、
人々は芸術を必要としたし、医療を必要とした。
そうした共通原理の場に立って対話を続けていくことこそが、
今強く求められている。人々は、生命は、
ある共通の土台に立っているのだから。』<本文より>

一人の医師が、
何を感じて生きているのか。
「ああ、こんなことを感じながら生きているんだ」ということが
本当に新鮮で面白い。

世界は、
こんなにもまだ知らないことが多くて、面白いものなんだと
伝えてくれる一冊です。