無意味せんげん - 山田スイッチ –
山田スイッチは、一切意味を求めません。ちなみに7歳男子と3歳男子を田舎で子育て日記。
2011/11/05 カテゴリー: ブログ。 タグ: インカムベーシックベッカム 「ベーシックインカムのこと、ベッカムって呼んでもいい?」 はコメントを受け付けていません

茂木健一郎さんの有料メルマガ「樹下の微睡み」を購読していて、

その文章のみで構成されたメールマガジンが

面白くって。

さっすが茂木さんだなあ…! と思うとともに、


言葉はまだまだ 言葉でやっていける

というか、新しい考えに触れるのはやっぱり面白い! って

時折、掲示板に出されたお題に答えながら

テーマを出されてそれに応える……というのをやっていると

普段ここでは出てこないような文章が出てきて、

面白いんですね。


掲示板やメルマガは、有料サイト(たしか月2回で500円程度)なので

登録しないと見られないのですが、掲示板でお題を出された様々な人が

考えをめぐらせて発信して、それを茂木さんが

どう捉えるのかがまた面白くて。


今回のお題は「社会保障」ということで、

ベーシックインカムについて考えてみました。


ベーシックインカムみたいに、全ての人に年金みたいな生活費が

税金から支給される制度になったら

年金の問題も解消されるしいいんじゃないか? って

頭のいい人はみんな言うんだけど、

私は少しひっかかるものがあるんだよね。


たとえば、いいところばかりじゃないだろうという予測。

全員がもらえるかわりに、医療における扶助が減らされるんじゃないか? とか、

申請の手続きをすることができない情報弱者は

救済されないんじゃなかろうか? とか。

それと、別な心配で

お金があっても自殺者が年間3万人もいるのは何故なんだろうかとか。

とりあえず、普段考えないことを考えるきっかけを

茂木さんはくれるわけです。


「夜間飛行」で検索してみると、すぐにサイトが出てきます。

http://yakan-hiko.com/list.php

古武術の甲野さんとか、占星術師の鏡リュウジさんの

メルマガもここから登録できます。


そんなわけで、

本日は社会保障について考えてみました。

考えれば考えるほど、この問題は深くて

どこへ行っていいのかわからなくなります。


ですが、自分の経験のみに基づいて考えてみました。




「ベーシックインカムのこと、ベッカムって呼んでもいい?」

                          山田スイッチ


社会はさ、お金が稼げなくなっても生きていけるように

保障してくれるんだって。

だけどその仕組み作りとか手続きにすっごいお金がかかるんだって。

だったらその手続きをすっぽり抜かして、

年金不公平とか、生活保護だけうらやましいとか言わないで、

まんべんなく同じ額を国民に税金から配ったらどう?

っていうのが恐らく、ベーシックインカムの考え方なのだと思うのです。

私がよく感じるのは、社会保障を本当に必要としている人に社会保障は、
届いているのだろうか? ということ。

日本は社会保障の行き届いた国だけど、
公園で寝起きする浮浪者の方々は何故、限界近い生活をしながら
社会保障を受けないのだろうか、
それとも受けられないのだろうか? と考えてます。

福祉事務所のケースワーカーの方に伺ったお話だと、
住所を持っていないと生活保護の申請というものは
できないそうです。

なぜなら、ケースワーカーは担当区が決まっているので
住所がないと担当者がつけられないから。

なので、多少の資産があっても仕事があっても
生活保護は受けられるのだから、
住所を無くす前に申請に来て欲しいと言っていた。

だけど、実際に困っているのは
そういった「保護を受ける」という考えにたどり着けない、
情報のない人たちだよね。

そういった人たちを助けるために「住所を持っていない人担当」
という担当が現れない限り、
本当の意味での社会保障は生まれないのではないかと思う。

ベーシックインカムという制度にして、
社会保障にかかる社会保険庁の維持費や職員を養うために
かかる費用が、そのまま国民の基本所得になるというのは
非常に魅力的なこと。

公園で寝起きする人もいなくなると思う。

だけど、
そうなった時に人がわざわざストレスのかかる職場で
労働意欲を保っていられるかどうか…というのが
問題だよね。

多分、表現者はたくさん増えて、
単純作業の現場からは人が一人もいなくなるんじゃないかな。

一人もいなくなるまで行かなくても、減るよね


生活保護を十年以上受給している友人が二人いるのだけど、
彼らは二人とも自閉症傾向のあるアーティストなのです。
一人はボランティアで美術館の手伝いをしている写真家で、
一人は完全な無職で、彼は音楽と文学をこよなく愛し、
英語やドイツ語も話せる。だけど、無職。

生活保護は、その人の自立を応援する社会保障だから、
就労したら打ち切られるものではないんだって。
だけど、十年以上生活保護を受給して生きていても、
人を相手にお金を得るということに、そのストレスに
彼らは耐えられないのかもしれない。

だけど、彼らは働いていないわけでもない。

作用としての「はたらき」を、彼らは持っているから、

今の生活保護を受けて生活するというスタイルは、

新しい修行の形かもしれないのだ。

托鉢僧と似たジャンルの修行だから、

極めたらなんかにたどり着けるかもしれない。

だけど、保障が一生涯続くであろうという安心は
彼らから「仕事」という概念を奪ってしまっているように思える。

ストレスありきの仕事を
楽しむほどの根性がなければ、
お金というものは稼げないのかもしれない。
お金とストレスはセットになっているのだから。

5年ほど前ブラジルを訪れた時、
社会保障の全然行き届いていない国では
事故で足や腕をなくしても、新聞配達をして自力で稼ぐ……しか
生きる道がないからこうやって稼いでるんでい! といった感じに
足のない人や腕のない人が
路上でガンガン新聞やらアメ玉を売りつけてくる姿に
迫力を感じた。

お年寄りも年金がほんのわずかしかもらえないので
死ぬまで働き続けている。
あの迫力を、今の日本人は持てないだろうなあと感じる。
いろいろと細かいところまで、整備されてしまってるから。