[うちのバッチャ] 第二章 バッチャを取り巻く人々— 06. 眼光の鋭い孫・ケンさん

 
第二章 バッチャを取り巻く人々
 
眼光の鋭い孫・ケンさん
 
先日、子どものためににんじん一本をすり下ろして焼いた、「にんじんホットケーキ」なるものを作っていたところ、台所に来た夫にこう言われました。
「一体、何をやっているんだ?」
と。
「えっ……ホットケーキににんじんを、すり下ろして焼いていたんだけど……」
「それはにんじんだとわかってて入れたのか?」
「わ、わかって……? あの。わかってて、……入れました。」
「知っててやったのか?」
「ハ、ハイ。知ってて、やりました……」
「そうか。わ(俺)はてっきり、作ってる最中につい、カッとなって入れたかと思ったじゃ。」
ど……どこの世界に「つい、カッとなって」にんじんをホットケーキに入れる人がいるのでしょうか。
 
絶句していると、夫が続けました。
「おめ(お前)はよく、冷蔵庫の中に余ってたとかなんとか言って、わけのわからねえものを料理の中に入れるっきゃさ?」
「ま……確かに。」
「あれは別に、カッとなってやってるわけじゃねえのか?」
「健康であれと思って、やってるんだよ! あと、食材が放っておいたら腐るから、工夫してるの! く・ふ・う!」
「そうか。知っててやってたんだな?」
「ええ、知ってて、やってたんです……。」
おお……「知っててやった」と答えると、妙な罪悪感が芽生えるのは一体、何故なのでしょう……。
そうです。大概の主婦は冷蔵庫の中のモノが腐りそうな場合、とりあえずなんかの料理に混ぜればいいや!という軽い気持ちで混ぜ込んでしまうのだと思います。
だから、「モヤシの入ったお好み焼き」とか、「鍋料理に大量のチンゲンサイ」とか……ありそうであり得ない料理が出来上がるんですね。
 
こんなことを糾弾してくる眼光の鋭い夫・ケンさんは、バッチャの孫として長年バッチャと一緒に暮らして来ました。
夫は、生半可な変わり者ではありません。第一に、女が嫌いです。
女っていうのは、論理的でない者の代表でありながらそれを自覚もせずにキャーキャーとただ生きているから、それを理解できない夫に嫌われるのだと思うのですが。なぜこんな夫なんかと結婚できたのかというと、夫は論理的でないものは好きじゃない代わりに、論理を超えてくるものには一定の価値を見いだしてくれるからなのです。
ようは、わけがわからなすぎると「論理を超えた」として、ある一定の価値を与えてくれるようなのです。
結婚する前、夫にとって私という存在は意味がわからなすぎる代表だったのでしょう。
「将来は、ミステリーハンターになってタダで外国に行って、ここでクエスチョンですって言うのが夢なの。それで、老後はブラジルに渡って、サンマ屋さんを開きたいの……!」
これを語りで済ませるなら私も夫の嫌いな女子の一人として普通にカウントされたのですが、私の変わったところはそれを、全部実行に移してしまったたところです。しかも、全てが間違った方法で……。
 
ミステリーハンターになろうとした私は夫と離れて3年間の上京生活を試みました。その3年間で私は、東京で生活するために山海料理店の板前になり、芸人になるために大川興業のオーディションを受け、そして落ち、相方を見つけてお笑いコンビを組み、コント作りに励み、顔面を白塗りにしてライブハウスで集団舞踏を踊っていました。
そんなことを繰り返すうちに、なんとか物書きになって地元に帰ってきた私は、待っていた夫にこう告げました。
「将来の夢を叶えるために、ブラジルにサンマを売りに行こうよ!」
と。そして、2週間のブラジル旅行で各地で日本から持ち込んだサンマを焼いて売る嫁の姿を、夫はカメラマンでもないのに撮影する義務を負わさていたのです……。
本当は、外国なんて怖いから行きたくないなのに、わけのわからない嫁に振り回され、ブラジルまで連れていかれ、サンマを焼いて魚臭くなった嫁に、
「やっぱり、ブラジルではサンマは獲れないみたいだね! ブラジルでサンマ屋は無理だわ!」
と、根本的に間違った結論を聞くはめにあうのです。
 
夫は、論理的でないものが嫌いです。それだからホットケーキににんじんを入れるという行いにも、疑問を持って見ることができるのです。だけど夫は論理を超えてくるものには黙って従うという習性があります。これは論理が一切通じないバッチャという人に育てられた結果なのかもしれません。
夫は「とほほ…」と言いながら、この変な嫁に捕まってしまった人生を嘆きながら、生きているのでした。
 
 
 
 

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