年間十数回の日輪を見る私は、毎日のように太陽を見ているわけです。
毎日のように太陽を見ているから、
たまに日輪が拝めるのですが、
多分、私にとって一番しあわせな時って
太陽を眺めていてそれがきれいな時なんだと思います。
物事がうまくいくとかいかないとかの
定義が、巨大なテロや地震があった後では
変わってきているような気がします。
だって、この文章をたまたま目にした皆さんは、
良かれ悪しかれ、あの3・11も9・11の後も
生き抜いているわけですから。
この間も東北で地震があって、夜中だったので起きるのが嫌で
私は寝ていたのですが、けっこう揺れていたんですね。
それで、生き抜いてしまった人と、よくわからないまま生きていくことって
よく似ていると思うのです。
よくわからないという状態は、一番人にとって気持ち悪く、辛いものなんだと
思うんです。
良かれ悪しかれ、パリッとわかりやすくあれば、
納得のしようがあると思うんです。
階段を上っている途中ほど
不安になるものはありません。
ですが、登っているのです。
2階に上がればスッキリします。でも、その次には3階が待っています。
どこまでも繋がっている階段の途中を、多分、これを読んでいる方や
毎日を一生懸命生きている方は
登っているんだと思うんです。
登っているということの不思議さ。
たどり着けないから、考えてしまうけども
考えることによって、魂は深まっていく……。
そんな、どこが始まりでどこが終わりかわからない
私たちの上を、
今日も太陽が昇り、太陽が沈んで行きます。
毎日産まれて、毎日死んでいくように。
明日また生まれ変わるために、今日も美しい夕焼けを見せてくれるのです。