ダーリンはブッダ 第8回「僕のアタマの中、君のアタマの中」

イラスト/ナカエカナコ   
 
ダーリンはブッダ 第8回「僕のアタマの中、君のアタマの中」
 
 冴馬は、偉そうにコンビニで野菜を買ってきたものの、全然料理ができなかった。
「ど……どうしてにんじんを、皮付きのまま煮ようとするの!? 歯ごたえが悪くなるじゃん!」
 デブ子が慌てて言った。
「いや、にんじんの栄養が一番詰まっているのは、身と皮の間だと聞いたことがあったから……。」
「だけど、まずくなるよ! 私、食べ物を美味しくしなきゃそんなの意味ないと思う!」
「ごめん……普段、托鉢ばかりしているから、料理に縁がなくて。」
「もう、いいよ! 剛玉君はそこに座って動かないで!」
 デブ子がグローブのような大きな手に包丁を握ると、やたらと器用に料理を始めた。
「大山さん、料理、上手だね。」
「うん……。ほら、うちお母さんが働いていたから、よく晩ご飯はあたしが作ってたの。
大概の料理なら、あたし、できるのよ。」
「そうか……。僕は、たくさん食べたいなら、たくさん食べればいいと思うんだ。だけど、過食に走る人や拒食に走る人は、わざわざ好き好んで自分の体に悪い物を食べたがるでしょう? それは、無意識に自分を殺そうとしているからなんじゃないかな……? だけど、体の方は生きたい、生きたいと思っている。だからどんな食べ物が来ても、一生懸命消化して、なんとか命を保とうとするんだよ。」
 デブ子は冴馬の言うことを聞いていなかった。それよりも、なぜ何ヶ月も床に座り込んでロールケーキばかりを食べていた自分の体が、自分の思ったように動くのかが不思議でたまらなかった。
(フライパンを、引き寄せて野菜を返す。こうすると野菜に上手く火が回るし、焦げ付かない。フライパンを引き寄せて、野菜を返す……不思議。昔やってたことって、いつでも再現できるんだ……。)
「ご飯……ご飯も美味しいの炊かなきゃね。剛玉くん、本当にうちに泊まっていくの?」
「うん。」
「あのさ、ほら……私って性的なことがすごく苦手になっちゃったから、もしもそういうつもりがあって泊まっていくなら、ダメだよ。」
 デブ子は見た目が朝青龍でも、心は傷つきやすい純情な乙女なのだ。
「大丈夫。僕は床で寝させてもらうから。大山さんはとても魅力的だけど、僕は自分を制する心の方が勝つと思う。」
「そう。だったら良かった……一緒にご飯食べよう。」
 デブ子の心の中にも、冴馬に対する恋心が芽生えていた。ヒカルは、二人が登校してこないことに一日中悪い想像を巡らせていた。翌日、入部届を届けに行くと、冴馬がデブ子のマンションの部屋から出てきて言った。
 
「ヒカルさん、ありがとう。大山さんの傷が癒えるのは、まだまだ先だと思う。とりあえず入部届は渡しておくね。」
「あっ、あのさあ、冴馬昨日、泊まっていったの?」
「うん。」
「うんって……。冴馬は、そういうのあまり、……特別だと思わないの?」
「悪い事じゃないと思う。だって性行為なんてしていないんだし。今は、心のバランスをくずした女の子が、社会に戻れるかどうかの瀬戸際だと思うんだ……たぶん、僕じゃなくてもいつか、誰かがここに派遣されてくると思うんだ。だけど、今回は僕が派遣された。だから、僕には派遣業務を果たす責任があるんだよ。ヒカルさんも、僕のこと前に助けに来てくれたでしょう?」
「あ、あれは、(冴馬のことがすきだから……)冴馬、殴られてたし……そうじゃなくて、女の子のうちに泊まったら、周りに誤解されるじゃない?」
「気のせいだよ。」
「ええっ、気のせいなの!?」
「みんな、固定観念に縛られているからそのような発想しかできなくなると思うんだ。そもそも、誤解というものはそれを楽しむ人がするものであって、相手が動揺しないと楽しくないものでしょう? だったら、誤解を生まないためには、動揺しないで普通にしていることだと思うよ。ヒカルさん、それじゃ僕、しばらくは大山さんと一緒に過ごすことにするから、部活のことよろしくお願いします。」
「お、お願いしますって……」
 そう言うと冴馬は黙ってドアを閉めた。バタン。心のドアまでも、閉められてしまった気がした。
(いつも、いつもいつもいつも! いつも、他の女の子ばかりかばってさあ……。冴馬は、私は傷つかないとでも思ってるんじゃないの?)
「冴馬の、バカ!」
 ヒカルが走ってマンションから飛び出すと、後ろから「おネーさん」と声が聞こえた。振り返ると、ガラの悪い連中がぞろぞろと現れてヒカルを囲んだ。見ると、県内一悪評の高い北校の制服である。短ランで唇にピアスを入れ、頭を金髪に染めたヤンキーがにこやかに言った。
「ちょーっと西校のお姉さん、お話聞かせて? 今、僕たち西校のゴータマサエマくんっていう人を探しているんだけど……この辺で見かけたって聞いたんだよねえ。あれ? お姉さん……ポニーテール……だね。」
「なっ、何の用ですか?」
 金髪は黙って携帯の画面を操作し、画像フォルダをスクロールするとヒカルをちらりと見た。そして周りのモヒカン刈りの連中に振り返ると、とてもいい笑顔でこう言った。
「わーお、偶然。いいモン見つけちゃった。」
「え……何!?」
「関係者だよ。良かった。僕たち、この辺のエリアに詳しくないから、全然見つけられなくってさ。お姉さん、ゴータマ君の関係者でしょ? 彼、どこにいるの?」
(この人、前に北校でタカハシをボコボコにした人……?)
 ヒカルは答えた。
「し……知らないわよ! 知っていても教えないわよ!」
 すると金髪の猿みたいな男、ユージは楽しそうに笑って言った。
「あら〜、気が強いね〜。それじゃ、ちょっと失礼……」
 ドッという鈍い音を立てて、ヒカルはお腹に鈍い痛みを感じると目の前が真っ暗になった。そしてそのまま気を失っていった。
「わあ。寝姿もかわいい。結構イケてるよね、この娘。」
 すると、後ろから総長の相原が現れて言った。
「ユージ、お前西校の女連れて行っても面倒になるだけだぞ? 弁護士呼ぶような親に絡まれたらどうするんだよ? ……って、おい!」
「あ、テッちゃん♪ 見て、見て! この間の娘!」
「わあああああーーーーー!」
 相原は慌ててユージからヒカルを奪い取って、抱き上げた。
「あわわわわわわ、わわわ。どうすりゃいいんだよ! この状況!」
 ユージは肩をすくめて言った。
「どうってさあ、会いたい会いたい言ってたじゃん。いいじゃん。会えたんだから。」
「バカ! 女に手を上げるなんて最低だって小学校の時教わらなかったのかよ!? それに彼女が起きた時にお前と俺が一緒だったら、俺がやらせたみたいになるだろうがっ! 俺、絶対、嫌われるぞ……暴力ふるう人って最低って……もう、おしまいだ……!」
「いや、そうとも限らない。第一、今まで何の手立ても打たずにいたテッちゃんが悪い。好きだの何だの言いながら、妄想だけで青春終わらせるところを俺が救ってやったんだよ。
この状況に感謝しなよ。」
「できるかーーーーっっっ!」
「とりあえずねえ、ゴータマ君を見つけ出さないと今日の締め上げデーに間に合わないよねえ。今週締めたい後輩は全部締めちゃったし。だから、この娘を餌にして呼び寄せるしかないんじゃない?」
「そうしたら俺、倍倍ゲームでこの人に嫌われるだろうがよっ! もういいとこ全然ねえよ!」
「テッちゃん……もっと頭を使いなさいよ。大丈夫、俺が全部うまくやってあげるから……」
 そう言ってユージは相原の耳元で囁くと、哲の顔を思いっきり殴りつけた。ボゴッという音が響く。哲はヒカルを抱きかかえたまま倒れ込んだ。
「なっ……ユージ、てめえ」
 唇の端から血を流しながら哲が言うと、ユージはさも満足したようにニヤッと笑って言った。
「ハイ。これでテッちゃんも悪い連中に殴られて連れてこられた風情だよ。どうする? カラオケ店とかに押し込んじゃう? めったにない二人っきりになれるチャンスだよ。それとも部室がいいか。ラグビー部だと臭すぎるから、北校唯一の文化部・茶道部の茶室がいいね。」
 そう言うとユージは哲の腹に一度に2〜3発のパンチを入れた。ケンカ慣れしていない哲に与えるには十分なダメージだ。哲が崩れ落ちる瞬間、哲の腕からヒカルを抱き取るとユージは言った。
「うん。いいにおい……西校の女の子は、香水臭くなくていいね。俺、カルバンクラインの香水の匂い、苦手なんだよ。こんな女の子と俺も付き合いたいところだけど、テッちゃんの恋愛成就の方が先だもんね。よし、引き上げだ!」
 ドルドルルル……北校暴走族のバイクのエンジンが鳴る。ユージはヒカルを抱いて改造バイクの荷台に降ろすと、背もたれのようにせり上がった改造シートにヒカルを縛り付けた。相原はモヒカンの巨体に担がれている。モヒカンが相原を担いだままバイクにエンジンを入れる。
「ごめんね−、落ちちゃうと死んじゃうからさ。仕方なくだよ、仕方なく! それじゃ、ご機嫌な救出劇になるか、僕らにボッコボコにされるのか。ゴータマ君が現れるのを待とう!」
 ユージは何をやっても楽しいという笑顔でハンドルを回し、加速するバイクのスピードを味わった。後には、北校暴走族の笑わせるようなクラクション音、「ゴッドファーザーのテーマ」だけが鳴り響いていた。
 
第7回「ロールケーキ」へ
第9回「北校」へ
 
ダーリンはブッダ 目次へ