ダーリンはブッダ 第11回 冬の訪れ

イラスト/ナカエカナコ             
      
ダーリンはブッダ 第11回 冬の訪れ
 
 銀杏の木が紅葉して黄金色に輝いている。落葉で地面が黄色く染められると、少しだけいつもと違った世界を歩いているように思う。白いコートに紺色のマフラーを巻いたヒカルが真っ白な息を吐くと、駆け足で冬がやってきそうだった。
 ヒカルは寒いけれども冬が好きだ。顔に吹き付ける冷たい風、雲が絶え間なく形を変え、薄くスカイ・ブルーの空に模様を描くところ。その模様が鳳凰やドラゴン、様々なものに形を変え、何かを知らせようとするところ、制服の上に自分を守るようにコートやマフラーを重ねていくこと。それのどれもが好きだった。
 人っていつでもやらなきゃいけないことがあって、色々なものに巻き込まれて、時間がなくてぐちゃぐちゃになってしまうものだと思う。だけど、冬の間だけそんなぐちゃぐちゃを忘れて、ただ寒いなあ……ということに意識を集中できそうな気がした。
 冴馬はそういう、冬の持つ特性に似ていた。冴馬といると私は、自分の混乱や日常のぐちゃぐちゃを、吸い取られていくような気持ちになる。きっとそれは彼の先生から受け継いだ、すばらしい特性なのだ。
 
 北校のヤンキーと仏教部との決戦があった日から数えて、一ヶ月が経った。
 うちの仏教部が5人の部員を集め、おてもと研究会から部室を勝ち取ったという噂は瞬く間に西校の噂になった。
 私がその仏教部に入ったということも西校中に知れ渡ってしまい、ひそひそと噂されどことなく教室にいずらくはなったのだが北校での事件以来、私の周りにはいつも冴馬とガリ子がいた。
 ガリ子と冴馬は似ていると思う。周りの空気を一切読んでいないところとか、我が道を貫き通すところとか。だけど私は教室の女生徒が、今までと明らかに違う目で自分を見ていることに気がついた。その目は、「あーあ」と言っているのだった。
 
「あーあ、あんな部活に入っちゃって……」
「あーあ、ブッダ君の側にいるからっていい気になって……」
「あーあ、あなたの人生、もうダメに決まってるわ。」
 と、そんな「あーあ」を誰もが言葉にせずに発しているように感じる。するとガリ子は言った。
 
「空気っていうのはねえ、読むほどに損なのよ。大概の人は読み過ぎか読み間違えをするから。それぐらいなら読まなきゃいいのよ。言いたいことがあれば口に出して言えばいいんだから。誰でも実際の話、立派なことができるわけじゃないじゃない? だから小さなため息みたいな物を漏らして、少しだけ意地悪をしていい気になったりするのよね。やるべき事がある人は、そんなつまらない空気に影響されたりしないものよ。そんなことより私は27キロ台になるために努力をしなきゃ。高橋君と結婚したらウエストの細い、きれいなウエディングドレス着たいの」
「ガリ子……タカハシにちゃんと聞いた? ひょっとしたら太ってる方が好きかもしれないわよ。」
「あら、ちゃんと聞いたわよ。そしたら高橋君、女と付き合ったことがないからわからないって。けっこう純情よね」
「いや、このレベルまで痩せてたら止めた方が私は親切だと思うよ……」
 
 北校の事件以来、ガリ子のことをあだ名のままガリ子と呼んでいる。冴馬に北校でのガリ子の活躍ぶりを聞いたら、すごくおかしくてもう、細江さんなんて呼べる気がしなくなったのだ。北校のヤンキーの前に自分から出て行って股関節を両方脱臼して、救急車に乗せられて帰るだなんて……なんか、すごすぎる。入院しているガリ子のお見舞いに行き、両足にギプスを巻いたガリ子を見たら私は笑い出してしまった。そうしたら、ガリ子のことをあだ名で呼んでもいいような気がして、「ハイ、ガリ子」と言ってお花を渡すと、ガリ子は「フン、ありがとう」と言って受け取ったのだ。
「あたし、お花好きなのよ。だって、花って美しいんですもの。ピンクのバラの花だなんて、ヒカルさんにしてはやるわね。私、このお花大好きよ。」
 ガリ子は本当のことしか言わないから、私も素直に嬉しくなった。
 「痩せなきゃ痩せなきゃ」とうるさいガリ子だが、この間、私が学校裏のおばあさんが手作りで焼いているお店のタイヤキを買ってきたら、あんこを一粒だけ食べてくれた。「あら、おいしいじゃないの。」と言って、タイヤキ一匹はほとんど残してしまったけど。あんこ一粒でも食べてくれたことが、私には嬉しい。
 そんなガリ子と一緒にいるから余計に教室の女子の私を見る目は厳しくなるんだけど、よく考えたら、あんな意地悪に無視してくる女子と一緒にいたがってた自分の方がおかしかったのかもしれない。大好きだった幼なじみの夏樹も私から少し距離を置くようになったけど、それもまた、過去のことなのだ。寂しいけど、それにすがるともっと寂しくなるということを、私は知っている。
 
 教室の中で目を閉じると、一番真ん中の後ろの席に冴馬がいるのがわかる。小さな冴馬の匂いのかけらが、私の所にまで届くとひどく安心する。冴馬には、まだ好きとは言えていない。だけど、部活が同じだからいつか、言える日がくるんじゃないかな……。そう思っていた矢先だった。
「ちょっと、三年のアイラ様よ。なんで一年の教室に?」
「あれがアイラ様? すっごい綺麗……なんか、女優さんみたい……」
 ウェーブがかった長い髪を揺らして、まるで女神の光臨のようにその人はうちのクラスに現れた。体のラインにメリハリがあって大人っぽい。後ろに親衛隊なのか、二人の二年生を連れて。彼女の優しげな瞳には、目立たないように茶色のアイラインが引かれていた。その綺麗な人が、冴馬の席の前で立ち止まり静かに言うのだった。
「あなたが、剛玉冴馬君かしら? 変わった格好をしているのね。私、三年の瀬ノ尾愛羅と申します。放課後、三階の美術準備室に来て下さらない? お話がありますの。」
 すると冴馬はものすごく普通の顔をして、答えた。
「お話は、ここではできないものですか?」
 アイラはすぐに答えた。
「ここではできないわ。」
「そうですか。放課後は大切な部活があるので、できることなら一階の仏教部の部室までご足労願いたいのですが。」
 こう言うとアイラはたいへんに不興を買ったというような冷たい表情をした。後ろに立っていた二年の女生徒が「アイラ様のお申し出を断るなんて、失礼な!」「誰に向かってそんな口を!」と、時代遅れな怒り方をしている。
 するとアイラは振り返って言った。
「あなた達、こんな小さなことで言葉を荒げてはダメよ。醜い言葉は醜い心を作るものよ。剛玉君……せっかく美味しいお茶を入れてあなたを西校友愛会へご招待しようと思いましたのに。残念ですわ。だけど、とても大切なお話ですの。私、放課後にそちらへ行ってもよろしくてよ。」
 アイラは不敵な笑顔を浮かべて冴馬に言った。冴馬は目を閉じて答えた。
「お待ちしています。」
 
 そのやり取りを遠巻きに見ていた私は小声でガリ子に相談した。
(ええっ、何、どういうこと? 放課後、仏教部の部室にあの人、来るの?)
(一体、何の用かしらね。私、ああいう高慢ちきな人好きじゃないわ。)
(えっ、ガリ子はあの人のこと、綺麗だと思わなかったの……?)
(思わないわよ。私よりもずっと太っているし。何より、あの人の目、意地悪だわ。)
 目が意地悪だった? あんなに優しく聖母様のように見える三年生を、ガリ子は一目で「意地悪女」と判断した。そしてそれは、はずれてはいなかったのだ……。
 
 放課後の仏教部の部室に、アイラは一人で来た。
 部室にはタカハシ、ガリ子、私と冴馬が例の理科室のテーブルを囲んでお茶を飲んでいると、ノックとともにこの部室に非常に不釣り合いな、グラマラスな彼女が扉を開け、中の元写真部の暗室という裏びれた雰囲気に一瞬驚いていた。
「あの、良かったら、座って下さい」
 と、部室の中じゃ一番上等のパイプ椅子を勧めたのだが断られてしまった。アイラは立ったまま話しだした。
「率直に言うわ。私の運営する友愛会はね、学校の内外を問わず友愛の精神に基づいて奉仕活動をするクラブなの。養護ホームの慰問に行ったり、校外の清掃活動とか、チャリティイベントで寄付を集めるためにコンサートを行ったりもするのよ。うちのハンドベル演奏はよく商店街に呼ばれて行くの。この活動を通じて部員を世界の平和と福祉に貢献できるような人格に育成していくのが目的なの。日本全国にこの会があって『友愛の家』っていう名前で活動しているんだけど、この名前は聞いたことぐらいあるわよね?」
 私は最近になって活動の幅を広げてきた宗教法人『友愛の家』のことをすぐに思い出した。悪いイメージはないけどなぜ、宗教団体がそういった良い行いをするのかが一般人の私にはわからない……。うちも宗教法人だけど、世界の平和のためという言葉はうちのおばあちゃんは考えもつかなかったらしく、今までおばあちゃんの口から愛とか平和という言葉は聞いたことがなかった。「最近の信者さんはお金持ってこないでバナナばっかり持ってくる」なんて、おばあちゃんはいつもお金のことばかり言う。
 愛と平和という言葉を一度も使わずに、イタコみたいに小さく活動してきたご近所の宗教の娘である私は、なんだかエリートの宗教を見るような目でその活動を見ていた。ああ、ゴミ掃除してるな……偉いなあ……って。だけどなんで、あんなに大きく宗教団体の名前が入った半纏を着るのかがわからなかった。私だったら、恥ずかしくてあんな半纏、着れないのに。
「うちの活動は海外にも支部があるの。同じ団体同士の海外交流もしているのよ。それでね、剛玉君。私思うんだけど、……同じ学校に二つの宗教はいらないんじゃなくて?」
 冴馬は顔を傾げて優しい目をしながら答えた。
「僕は、仏教の考え方にシンパシーを感じますが、別に仏教徒というわけじゃないんですよ。」
 アイラは笑顔で答えた。
「それなら話は早いわ。あなたが世界の役に立ちたかったら、元から基盤のある私達のクラブに入って一緒にこの世界を良くしていった方が早いと思わない?」
 黙って聞いていたタカハシがテーブルの上にドカッと足を投げ出しながら言った。
「なんやなんや、姉ちゃん。ようするにアンタ、うちをそのなんとか会に吸収合併させよう思ってんのか?」
「……平たく言うとそうなるわ。」
 ヤクザのようなヤンキーのタカハシを恐れることなく、アイラは平然と答えた。まるで、そうなることが当然のように……。
「私は嫌だわ。その話に納得できる要素は一つもないわ。」
 ガリ子が言った。するとアイラはガリ子を見て一瞬息を飲み、大げさに身振りを付けながらこう言ったのだ。
「まあ、まあまあまあ! なんてこと! こんなに可哀相なほど痩せて……ひどいわ! 剛玉君、あなた部員にこんな病気の人がいるのに、なんで病院に連れて行ってあげないの? この人、精神病じゃない!」
 ガリ子が頭に来て「なんですって……」と立ち上がる前に冴馬が立ち上がった。
「瀬ノ尾さん、彼女は病気じゃないです。物事は見方を変えればどんな人でも病気になってしまいますし、どんな人でも同じ人になるんです。多分、あなたは彼女を病院に連れて行くでしょう? そうすると大概の場合は抗うつ剤を飲まされるんです。それは、彼女の望む自然な流れではないような気がする。」
「そうよ! ガリ子はタイヤキのあんこ、一粒食べれたもの。拒食症なんてそのうち治るわよ! それに、この人に抗うつ剤なんかいらないわよ。彼氏がいるんだもの。」
 アイラは信じられないという顔をして、部のメンバーを見渡した。ヤンキーのタカハシ、拒食症のガリ子、理科室のシーツのようなものを年中着ている冴馬に実家が宗教団体の私……。ここにデブ子がいたらもっと文句を言われたかもしれない。
「それでは、私のクラブに入る気は毛頭ないと?」
 アイラは念を押すように言った。冴馬はゆっくりと答えた。
「瀬ノ尾さん、僕は、成り立ちというものを大切にしているんです。」
 
「成り立ち?」
「みんな、何故かわからないけど『こういう自分になった』という成り立ちを持っている。成り立ちは、時間をかけて作られた、一つの要素も欠けてはできなかった自分という性質のことです。瀬ノ尾さんは、正しい方向に一足飛びに行こうとしているけれど、人というものはそのように素早く変われるものではないと思うんです。変わる必要があるかどうかもわからない。もちろん、あなたの会に入って救われる人もいるでしょう。だけど、植物の成長速度が種によって違うように、時間のかかる人がいてもいいんじゃないかと思うんです。僕たちは多分、時間のかかる種族なんです。あなたの会には合わないと思う。」
 するとアイラは冷たい目をして言った。
「……どうやら、交渉決裂のようね。残念だわ。剛玉君だったら、うちの副部長としてお迎えしてもいいかと思っていたけど、あなた達に平和の理念を説いても無駄だったようね。しょせん、ここははみだし者の集まりね。失礼するわ」
 アイラは仏教部のドアをピシャンと閉めて出て行った。
「なんやねん、あいつ。意味がわからんわ。何がしたいんやろ?」
 タカハシがぶっきらぼうに言うと冴馬が答えた。
「人にはね、素晴らしい人間でありたいという欲求があるんだ。素晴らしい人にはなれないから、よりなりたくなるって感じかな。例えばさ、この世は思い通りにならないじゃない? 人は圧倒的に自然に対して無力で、干ばつや災害による飢饉に遭い続けてきた。百年前は飢饉で小さい子どももよく死んだんだ。そういう時に神様というものがいるなら、すがりたくなるよね。願い事を叶えてくれるならよい子になりますと、一生懸命よい子になろうとする。それで、願い事が叶わなかったらどうすると思う?」
「普通、キレるやろ?」
「はずれ。自分が悪いと思ってもっとよい子になろうとするんだ。強い宗教心を持つと願いが叶わないのは自分のせいで、自分という人間が愚かだからいけないんだと思ってさ、より一層の修行を積もうとするんだよ。また神様も人間のそういう習性を利用しようとしているんだ。」
「悪い奴っちゃなあ〜」
「いいや、神様は悪くないよ。ようは神様を名乗って人の解釈を利用する人がいるってことだよ。僕が仏教にシンパシーを感じるのは、最初から人生は苦しみの連続だって言ってるところかな。思い通りにはならないものが人生なんだってわかったらさ、ああ、そうかって思うじゃない?」
「ああそうかって、淡泊なヤツじゃの〜」
「あら、私は思い通りになったわよ。スリムな体も手に入れたし、高橋君も私の彼氏になってくれたもの。」
 そう言うとガリ子はタカハシにツツツ、とすり寄った。
 
「それなんだけどよう」 
 タカハシが言った。そして、ガリ子が次の瞬間、凍り付くのを私は見た。
「お前、あと3キロぐらい太れや? もう少しなんとかせいや。」
 こともなげに言うタカハシに、ガリ子は驚愕に顔を引きつらせながら言った。
「さ……3キロ? 3キロって言ったら、3千グラムよ。……新生児一人分の重さはあるわ。高橋君、私に二人になれって言うの!?」
 「そんなの絶対無理よ」と言って、ガリ子は部室を飛び出していった。そして飛び出した先で三年生の男子にぶつかり、自分からぶつかっておきながら「骨折したらどうするのよ!」とタンカを切って走って行った。
 私はガリ子を追おうとしたけど、ガリ子にぶつかった相手の様子があまりにもおかしいので、部室に戻って冴馬を連れてくることにした。拒食症のガリ子より様子がおかしいって、ただ事じゃないと思ったのだ。
 
第10回「スイトルさん」
第12回「人生の先が読めない」
 
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