無意味せんげん - 山田スイッチ –
山田スイッチは、一切意味を求めません。ちなみに7歳男子と3歳男子を田舎で子育て日記。
2015/02/01 カテゴリー: ダーリンはブッダ。 タグ: オーディエンスダーリンブッダ ダーリンはブッダ 第13回 オーディエンス はコメントを受け付けていません
イラスト/ナカエカナコ             
 
ダーリンはブッダ 第13回 オーディエンス
               
 瀬ノ尾愛羅の作ったサイトは愛羅の巧妙な語り口によって、まるで劇場のようになっていた。読んでいるうちに読者は愛羅以上に愛羅の気持ちになってゆき、愛羅の正しいとするものを良しとして、愛羅の許せないものを一緒に許せなくなっていった。そして、愛羅が編集する世界を本当の世界だと気付かぬうちに思い込むようになってゆく。
 愛羅は心を込めて小さなイジメを加え続けた春日の禍々しさを断罪し、その両親が教師をしていることに憤りを表す……。自分の子どもをイジメをする人間に育てた教師が、教壇で人に教えるなどということがあっていいのでしょうか……と、深刻に書いている割に絵文字を多用していて、余裕が見て取れる。サイトの読者層というものをよく理解していて、絵文字を使うことでキャッチーなわかりやすさを加えているのだ。
 東京でイジメ事件による自殺者が出て世間を騒がせると、愛羅のサイトは「イジメ」をキーワードに検索され急速に読者数を増やしていった。コメント欄には60件を超えるメッセージが書き込まれ、読者は愛羅の考えに同調していった。しかし、どんなに熱い話題であっても同じ話題を続ければ少しずつ読者数も減り、色褪せてくる。そのタイミングを狙って冴馬はこんな書き込みをした。「瀬ノ尾さんなら、これぐらいのことで考えが変わる気がするんだよね」と言って。
 『いつも楽しく読ませて頂いてます☆ でも最近、イジメのことばかりで飽きちゃったかも☆ アイラさんの学校ってどんな学校なんですか? 部活のこととか教えてください。(^−^)p』
 と……。 
 瀬ノ尾愛羅は、ノート型のパソコンの画面を見つめながら呟いた。
「もうマスコミに上らないイジメ事件の真相っていうのも、旬を過ぎた感じよね……これを読んだ読者も友愛会にだいぶ入会したし、そろそろ違う切り口で読者の幅を広げなきゃだわ……そうだわ。あの拒食症の女を救えない仏教部ってどうかしら? なぜ仏教を掲げた部活動に拒食症の女性が……? とか。いいわね。」
 愛羅はティーカップに注いだ琥珀色の熱い紅茶を口に含んだ。プリンス・オブ・ウェールズの豊かな香りが立ち上っている。
「この記事、画像がないと弱いわねえ……拒食症の人の画像を使いたいところだけど、無断で使ったら訴えられるかしら? まあ、高校生の私が使う分には問題ないわよね。大人だったら画像の使用で訴えられるかもしれないけど、私はまだ高校生だもの。わからなかったで済むと思うわ。」
 
 もっともっと、刺激的な記事を書かないと読者はついてこない。その凄惨な記事の間に清涼剤として友愛会の奉仕活動が加わるから、自分の行う素晴らしい活動が映えるのだと愛羅は思っている。
 学校内のことが思うように動く時、彼女は快感を感じる。受験はもう私立の推薦入試が決まってある。派手に改造した制服を着て校内を走り回っていた二年の女生徒が、いじめられる側に回った時、そうなるようにと手を回した愛羅としては、思い描いたようにその二年生の人生が落ちぶれていくのを見ると、なんて面白いショーなのだろうかと思う。
 ほんの少し悪い噂を流せば、次第に人はそれを信じて距離を置き、やがて周りに誰もいなくなっていく。その女生徒は今、友愛会でよく働いている。性格はすっかり変わって、いつもびくびくしながら愛羅の言うことをよく聞き、愛羅に従うようになった。「私が守ってあげる」と愛羅が勧誘したのだ。救うのも、落とすのも自分次第なのだ。
 仏教部の剛玉冴馬には、圧倒的な女子のファンがついていることを愛羅も知っていた。教師も冴馬には何も言わずに、やりたい放題にさせているのが気に入らなかった。
(あんな部活の一年生が私に向かって意見するだなんて、生意気だわ……。)
 愛羅はしばらくの間、思案した。そして、どうしたらあの仏教部の連中が自分の会の前に跪くのかを練りに練って考えた。
「とにかく、あの方達には人生の底を見てもらわないといけないわ。地獄のような場所に落として、救い伸べる手にしがみつかせてみせる。人って意外と、簡単なのよ……」
 愛羅の表情には悪意が満ちていたが、鏡に映った自分の顔は彼女にとってはとびっきりの笑顔にしか見えなかった。
 
 「先日、西校では有名な仏教部の皆さんの部室を訪れました。(ハート)一体どんな活動をされているんだろうとワクワク! していたアイラは驚いてしまいました。みんな、学校内でココアなんか飲んでおしゃべりばかりして、ろくに活動もしていないだなんて……アイラはショックを受けてしまいました。こんなことでは、少ない部室を奪い取られたおてもと研究会の皆さんが可哀相……それに、どうしてこの部の方達はお友達が摂食障害なのにそれを見て見ぬふりするのでしょう……。
 私は、なんだか耐えられなくて、部室を飛び出してしまいました☆ 人が苦しい目に遭っている時、それを見て見ぬふりをするのは罪ではないのでしょうか? 
 私にはわかりません。そして自分の酷さを自覚できない方々に、私の友愛会への活動に参加しませんかって勇気を出して言ってみたんです! だけど……断られちゃった。
 今となっては、可哀相なあの摂食障害の女の子が、無事に元の体重に戻れることを祈るばかりです☆ 
 がんばって! 苦しいときも、私はあなたを応援しているよ。☆瀬ノ尾アイラ☆」
 
 その文章には、ガリ子とは関係のない体重25キロの摂食障害の女性の画像が貼り付けられてあった……。見ようによってはガリ子に見えなくもないのだけど、毎日顔を合わせている私に言わせれば似ても似つかない人だった。その写真には、「神さま、彼女に普通の日々が訪れますように☆」というメッセージまで添えられていた……。
 投稿すると愛羅の思い通りの反響があり、「これは酷すぎる」「なんで病院に連れて行ってあげないの!?」とコメント欄は湧きに湧いた。
 その記事が書き込まれた翌日、仏教部の部室が開かなくなった。朝、授業が始まる前にヒカルが部室に寄ると、明らかに外側から蹴られた形で引き戸が歪んでおり、そのドアはレールから外れておかしくなっていた。
「これって……」
 ヒカルが不気味なものを見る目でその歪められたドアを見ていると、冴馬が来て言った。
「おや、まあ。壊されましたか。」
「冴馬……! おやまあって何をのんきに言っているの!? 早く壊した人を探さなきゃ……」
 すると冴馬は何事もなかったようにそのドアを外し、部室の中に入れると代わりに中から暖簾を持ってきて入り口に下げた。その暖簾には「蕎麦」と漢字で書かれてあった。
 
「そ……そば!?」
「こんなこともあるかと思って、もらったのものを捨てないで取っておいたんです。やはり、暖簾の方が部屋に入りやすい雰囲気が出ますね。」
「冴馬……これってきっと、アイラ先輩の昨日の記事を本気にして、私達を敵みたいに見ている人が現れたってことじゃない? 大丈夫なの……?」
 すると冴馬はにっこりと微笑んだ。
「大丈夫。何故と考えれば、大丈夫です。きっと、このドアを蹴った方はすごく、褒められたかった。愛羅さんが悪いと言っていたから、悪い奴には俺が制裁を加えよう……と、正義の心で蹴飛ばしたんですよ。」
「そんな……! アイラ先輩の勝手な解釈であんな酷いインチキ記事書かれたのに……」
「ヒカルさん。」
 冴馬は一言いうと、私の頭にポンと手を置いた。
「あなたは、自分の目で見て、考えたことしか信じないでしょう? だけど、そんな人は滅多にいないんです。自分の目で見て、自分の頭で考えるから、他の人と同調できない。
 他人の行う無自覚のイジメを見過ごせない……それで悩んだりもされるでしょうが、皆さん本当に自分の心と体を使うのが怖いんです。体がバラバラになってしまうように感じているんですよ。だから、雰囲気だけで物事を察しようとするんです。こうすれば褒められるだろう、こうすれば怒られるだろうと……。でもそれは、そういう風に育てられてしまったのだから仕方ありません。たくさん褒められて育った子は、先回りをして褒めてもらおうなんてことはしません。ヒカルさんは、よく育てられましたね。」
 
 朝っぱらから冴馬に「よく育てられた」と褒められて、私は顔が赤くなった。
「ヒカルさん、今日一日、色々とあるかもしれませんが。その人の背景をよく見れば、何も怒る必要もないことだとわかります。みんな、やっぱりこの歳になっても……いいえこの先大人になってもずっと、取り戻そうとしてしまうんですよ……しっかりと他人に愛されない限りには……。」
 その言葉を聞いて、私は少し遠慮しながら冴馬に言った。
「……冴馬は、……ちゃんと愛してもらえた?」
 私は冴馬に両親がいないのを気にしながら、恐る恐るつぶやいた。冴馬は、少し寂しげで、どこか懐かしい表情をして言った。
「はい。しっかりと、愛してもらえましたよ。」
 
 教室に入ると、明らかに昨日までと違う雰囲気を感じた。みんな、昨日よりもよそよそしい。私が入ってきた途端におしゃべりがぴたりと止み、ひそひそと話し始められるというのは思ったよりも辛いものだなあと感じた。だけど、こうなることをある程度予想していた私はそんなにダメージを受けなかった。だって、こういうことってよくあることだもの。クラスのみんなは「あの人を嫌え」という病原菌に感染した感染者で、いつ感染したのかどうやったらこの病気が治るのか、自分の病気を治す方法すら知らないのだ。
 あの病気には私も中学の時によく感染した。感染している人も案外と辛いのだ……これまでよりも注意深く人の目を気にしなきゃいけなくなるから。
 
 その中でイジメに発展していくとある程度みんなが安心するのは、どうしたらいいのかわからない状況から「こうしたらいいとわかる状況」に変異するからだと思う。そうなってしまったらいじめられっ子は「あの人はいじめられて当然の存在」と変異する。そして数人のいじめる人、それを黙って見守る人、笑いながら見る人に教室内が色分けされる。だけど力関係というものを常に子どもは意識しているから、ある時にいじめっ子は二位の実力を持った人に権力を奪われて今の春日先輩みたいになったりする。
 私は後ろの席のガリ子に声をかけるとガリ子は口元を両手で隠し、「ヒカルさん聞いて」と言った。その口元が、何かとてもいいことがあったかのように喜びに溢れている。きっと私が教室に入った途端に変わった空気のことなんか気にも留めていないのだろう。
 
「ヒカルさん、あたし、カルシウム摂ることに決めたの。」
「わっ珍しい……どうしたの? 錠剤で摂るの? 錠剤のカロリーまで気にしていたアンタにしてはすごい発言だわ。」
 私達は小声で会話した。ガリ子は私の耳に手を当てて、ひそひそと続きを話し始めた。
(それがね……昨日気付いたんだけど高橋君、私の赤ちゃんが欲しいみたいなのよね。)
(あ……赤ちゃん!?)
 私はブホッと息を吐き出してしまった。
(だって高橋君、私に3キロ太って欲しいって言ったのよ? 3キロっていったら、3千グラムよ。新生児一人分の体重を増やして欲しいって、ようはあたしに産んで欲しいってことなんじゃないかしら? それに、高橋君なりに今の私の体を心配してくれているんだと思うの。だって、このままもし高橋君とHなことをしたら私、肋骨が折れるどころの話じゃないと思うのよ……)
 ガリ子の話を聞いて私は、教室のことなどすっかりと忘れてヒイヒイと腹の底から笑ってしまった。ああ、ガリ子と友達になれてよかった。どうして今までガリ子を無視してきてしまったのだろうか。こんなにおかしな友達なのに。ガリ子はどうして、こんなにガリガリなのに愛しいのだろう……。
 
(がんばりなよ、3千グラム。どうせ産んだらそれぐらい減るんだからさ。)
(そうよね。あたし、二人になるのよ。これって不思議なことね。裕子ちゃんも応援してくれるって。)
 デブ子はまだ学校には来ていないけど、デブ子とガリ子と私は、急速に仲が良くなっていった。デブ子のマンションの匂いがひどいものだったのが忘れがたく、北校の事件の後に私は己の鼻を信じて、デブ子のマンションの饐えた匂いを発している元を突き止めに行ったのだ。それは洗っていない靴下だったり、カビの生えたミカンだったりしたのだけれど。どうしても散らかった部屋を片付けなきゃ気が済まない私は鬼のようにデブ子のマンションを掃除して、太って浴槽に入れなくなったデブ子と、拒食症のガリ子と一緒に銭湯に行った。
 平日の夕方の銭湯で、その時間は私達を入れて6人しかお客さんはいなかった。おばあちゃん達の視線を私達は独占したが、女の子同士でお風呂に入るのは中学の修学旅行以来だったし、熱いお湯がデブ子を変えていくようだった。デブ子のマンションでご飯を作って一緒に食べたり、まるで初めての友達ができたみたいに私達は仲良くなった。
 だけど流石にデブ子のことを本人の前でデブ子とは呼べなかった。ガリ子と違って繊細なのだ。デブ子は今、冴馬のことが好きだという。その気持ちは私にもよくわかる。
「だけど、この間私に向かって『よく噛んで食べろ』って言った北校の人のことも忘れられないの。あれ以来、ロールケーキも噛んで食べるようになったの……。私、どうしちゃったのかな……。」
 その時私は北校の相原さんと一緒に校舎の中に閉じ込められていたんだけど、そういえば相原さんは、今頃どうしているのだろうとふと考えがよぎった。彼のものすごい刺繍の入った学生服は、私の部屋のハンガーにかけてある。不思議と、その学生服を朝晩見ているうちに、相原さんのことが他人と思えなくなって来たのが私には不思議だった。
 
 次の日の放課後、体育館の掃除をしに行くと、いつも並んでモップをかけていた5人の女子が、私とは決して一緒にモップをかけてくれないことに気がついた。いつも全員が並んでモップがけをするのに、私が合わせていこうとすると黙ってすごいスピードで行ってしまうのだ。みんな一言も口をきかずに……これには驚いた。
「あれ、みんな、どうしたの?」
 と、少し会話をしようとがんばってみたが、決して口をきいてもらえなかった。昨日まで何の意地悪もしてこなかった普通の女の子達がである。流石に、これには傷ついた。
 冴馬に言えばきっと慰めてくれるけど、心配をかけるのも嫌だったので新しい暖簾をかけた部室には寄らずに帰ることにした。心が薄ら寒く、鞄がやけに重く感じる。久しぶりに、人を怖いと感じた。