ダーリンはブッダ 第14回 ベビースターの人

イラスト/ナカエカナコ             
 
ダーリンはブッダ 第14回 ベビースターの人
              
「ちょっと、店長またベビースター来てますよ〜。もう1ヶ月くらいずっと通ってきてますよ〜? もう、皆勤賞あげたいかも。」
「シッ! ベビースターって呼んだら本人に気付かれるでしょう? だけどベビースター、またジャンプ立ち読みしてるの? よく毎日2時間も同じジャンプ立ち読みできるわよね。ルフィのセリフとかもう暗唱しちゃうんじゃないの? だけどアレ、ベビースターは恋する男の目をしているわ。なんか、焦燥感に溢れているもの。ドトールコーヒーとベビースター持ってくる目が可哀相でそそるわよね。」
「ジャンプ読んでるふりして誰を待ってるんでしょうね〜。」
 コンビニ店員の会話に気付きもせず、相原はあの北校の事件の後、ヒカル恋しさにねんざが治ると学校帰りにわざわざ北校と正反対の方角にある西校近くのコンビニでジャンプを立ち読みし続けた……。ユージに北校の密室で何もできなかったことをこの一ヶ月間散々バカにされ続け、自分でもどうして携帯の番号すら聞かずに過ごしてしまったのかと悔やみに悔やんだのだが、たどり着いた結論は、「偶然ヒカルに出会うよう心がける」ことだった。哀れなほどに相原は純粋だった……。
 あれから1ヶ月、ヒカルがローソンに入ってくる日は訪れなかった。ヒカルは放課後は仏教部の部室で夕方まで過ごすか、ローソン前を通らない急な坂のある近道を自転車で帰って、タクシー移動のガリ子とデブ子のマンションで落ち合ったりと。それなりに忙しかったのだ。そんなヒカルが無意識でローソンに立ち寄ったのは、ひゅうひゅうと心に吹いた薄ら寒い風をどうにか、和らげたかったからである。入店のチャイムが鳴ると、ジャンプを立ち読みしていた相原はヒカルの姿に驚き、ヒカルの姿が菩薩のように輝いて見えた。コンビニに菩薩が入ってきたのである。
(や、やっと……やっと会えた……)
 ヒカルは相原に気付かずに文具のコーナーに行き、黙って消しゴムを見つめた。消しゴムがトラックに積まれ、中央から運搬されてこのローソンにたどり着く様が目に浮かんでくる。それと同時に瀬ノ尾アイラのパソコンが起動しているのも感じる。
(この状況は、いつまで続くのかしら……)
「ヒ、ヒカルさん!」
 驚いて顔をあげると、そこには印象深い黒髪の、相原が息を切らして立っていた。
 
「ごめんなさい……、上着、すぐに返そうと思ったんだけど連絡先がわからなくて……北校まで持って行くの、ちょっと恐かったから。」
 ヒカルは空手道場と宗教の看板を指差して、「ここが私の家。」と、遠慮がちに言った。相原はローソンからヒカルの家まで歩いてくる間、この世が変容していくような不思議な気分に包まれていった。見たこともない団地と、家の近所を少し恥ずかしそうに歩く見たこともないヒカルの表情。以前会った時よりも憂いを帯びたヒカルの顔を、相原は切なく思い、もっと好きになっていた。
 バイクを乗り捨てて来て、本当によかった。自分が乗ってきたバイクをローソン前に置き去りにして来た相原は、後からまた西校側のローソンまで歩いて帰らなければならない。だけど、そんなことよりもヒカルと一緒に歩きたかった。歩いてみるとヒカルは、とても小さい女の子だった。相原の身長が高すぎるのかもしれないが、自分よりも30センチも背の低い女の子が、小さな頭にポニーテールを揺らし、白い息を吐きながら歩いている。北校では見ることのない、華奢な女の子という生き物……。
 総長の相原は北校の三年だが、ヒカルはまだ西校の一年なのだ。年下の女の子が、こんなに小さいものだとは思わず、心臓が痛いくらいにドキドキした。ヒカルは、あれほど学校で色々あった帰り道に相原に偶然出会ったことを、不思議に感じていた。
(どうしてだろう……誰かに聞いて欲しい時に相原さんに会うなんて……)
「あのね、相原さん」
「ハ、ハイ」
「今日、学校でクラスの女の子に、無視されちゃったの。昨日まで普通に話しかけてくれていた子が、急に知らんぷりして態度を変えるって、男の人でもよくあることなのかしら……」
 すると相原はカッと目を見開いて言った。
「何ィ!? ヒカルさんのことを無視、だあ!? 俺が行ってぶん殴ってやるッ!」
 相原は拳を振り上げた。ヒカルは驚いて相原に言った。
「な、殴っちゃダメよ! それに相手は女の子だもの」
 すると相原はぐっと堪えて言った。
「そうか……女同士は殴らないんだな……そりゃ、ストレスも溜まるよな」
 と。すると妙にヒカルは納得した。そうか、私達は殴り合わないからストレスが溜まるのかと。放課後から感じていたお腹に鉛が溜まったような妙な感覚の正体はストレスだったのだ。
「ヒカルさんの西校と違って北は頭悪いからさ、心理戦とか一切できねえんだ。頭に来たら殴るし、勝負は力で決まるから悪いのはケンカが弱いヤツってことになるんだ。だけどそれは実力の話だから誰も文句は言わねえ。負けたヤツは自分の腕を磨くか、強いヤツと顔会わさねえように逃げるかのどっちかだ。俺は、ケンカが弱いから本当は総長になんてなれる器じゃないんだが、絶対殴られるのが嫌だという気持ちだけは負けねえって思ってた。そうしたら、北校の総長になってたんだ……」
 するとヒカルは驚いて言った。
「あ、相原さんって北校の総長だったの……? っていうか、総長って番長みたいなもの? そういうのってまだあるんだ……」
「えっ、知らなかったっけ……」
 ヒカルは、この間会った時は泣き面でヒカルと一緒に暗い夜の校舎から脱出しようとジタバタしていた相原がまさか北校の総長だとは思えなかった。そういえば、最終的に脱出できたのは相原の蹴りによって一撃で鍵のかかったドアが壊されたせいだと思い出した。
「この間は、ユージが……俺の舎弟が君をさらってしまって、本当に悪かった。」
「ううん。どうなることかと思ったけど、何もされなかったし。」
「ヒカルさんのことを苦しめるヤツがいたら、俺はいつでも行って殴ってやるから。いつでも俺を、呼んでくれ」
 照れながら下を向いてつぶやく相原が、何故か可愛らしく見えた。この人といると、自分が年上のような錯覚を覚えてしまう。ヒカルは道場があるせいで滅多に友達を入れない家に相原を入れた。北校と西校の違いの中に、今回の事件を解決させるヒントが隠されているような気がして、もう少し話を聞きたくなったのだ。相原は、初めて入る女の子の部屋に、胸が痛くなりすぎてしゃがみ込んでしまった。以前からこんな相原の姿を見たことのあるヒカルは、相原のことを「体の弱い人」だと思っていた。
「だ、大丈夫?」
「くぅ……だい、じょうぶだ……」
 ヒカルの部屋からはヒカルの匂いがした。相原は全ての思いが自分からこぼれ落ちてヒカルの部屋に巻き込まれ、自分が消えてなくなりそうだと感じた。ヒカルの部屋にはベッドがない。それが唯一相原を落ち着かせてくれる要因だった。ここでベッドなどを見てしまった日には、間違いなく自分は理性を失うと相原は確信していた。
 未だに布団で寝起きするヒカルは折りたたみの丸いテーブルを広げ森永のココアを淹れて出すと、相原に座布団を勧めた。ヒカルが推察するに、「思い」は「形」を取りたがる。
 もしもヒカルに起こったことが北校で起こったことならば、瀬ノ尾アイラの書き込みに頭に来たら、気が済むまで殴ればいいのだ。だけど冴馬はその行動を取らない。暴力が暴力を生むことを知っているから。まるでアイラの気が済むまで好きにさせようとしているみたいだ。しかし、彼女の気が済むまでというのは一体、いつまでのことを言うのだろう。
 三年生の彼女が学校をやめるまでなら、あと数ヶ月というところだが、その数ヶ月を無駄に苦しむ必要があるのかどうかをヒカルは疑問に思っている。それに始まってしまったイジメは彼女の卒業で収束するとは思えない。
「ねえ、相原さん。人を苦しめたい気持ちって、どうして起こるのかしら?」
「ええっ!? そ、そうだなあ……ケンカでぼこりたいっていうのは、うちのユージの場合は楽しいからやってるみたいに見えるけど、普通は復讐心からかな……。」
「誰への?」
「ええっ、誰への!?」
 ヒカルは「誰への?」という問いが自分に跳ね返ってくるのを感じた。そしてふいに、朝に冴馬が言った「ヒカルさんはよく育てられましたね」という言葉を思い出した。
「ご両親への……復讐のために彼女は、私達に刃を向けるのね、きっと……。どうして自分の両親に向かわずに、違うところにエネルギーを向けるのかしら。」
「……それは、そいつにだけは嫌われたくねえからじゃねえかな……。俺ンところのユージはさ、義理の両親にすっげー大切に育てられたんだ。俺んちはユージんちの隣で、昔っからユージんちの義理のお袋見てるけど、本当にいい人なんだ。だけど小さい頃の記憶ってなかなか消せねえみてえでさ、未だに本当の親が許せねえって言うんだよな。
 本当は、本当の親の方に大事にされたかったんだろうって思うよ。なんで俺を捨てたんだって、本当の親を殴りたい気持ちは、本当の親に甘えたい気持ちと同じなのかもしれねえし。だけど、殴れねえし甘えもできねえんだ。そりゃ、辛いよな……。アイツ見てると時折、そう思うことがある。まあ、言わねえけど。」
 相原はあぐらをかいていた自分の足を見つめた。白い靴下に灰色に浮かんだ汚れがアイボリー色の絨毯を敷いたヒカルの部屋にそぐわないような気がして、途端に恥ずかしくなって居住まいを正した。
「相原さん……色々教えてくれて、ありがとう。」
 ヒカルは素直にそう言った。その唇の動きを見ていた相原は上体をかがめ、そっとヒカルの唇に自分の唇を重ねていた……。一ヶ月間ローソンに通い続け、募りに募った思いが、無意識に漏れ出していたのだ。キスしたのか、していないのかわからないくらいにそっと触れ、気付くとヒカルの顔が目の前にあった。その時、鈍感なヒカルも、相原が自分のことを好きでいることを知ってしまった。学生服のシャツから覗く相原の鎖骨のラインが随分と美しいことにも気付いてしまった。肩幅が広い。そして初めてヒカルは、相原の匂いというものを意識した。
 その匂いは長らく部屋に守護神のようにハンガーに掛けられていた刺繍入りの学生服と同じ匂いがした。触れぬか触れないかのキスだったが、初めてキスをしたヒカルは軽く脳がトランスするのを感じた。何かとても大切なものを受け取ったような気もした。そして目を開ける頃には、「今のなし……」という気持ちが湧き上がってきたのだった。
「相原さん、帰ろう! コレ、上着。ありがとうまたねっ!」
 ヒカルは上着をハンガーからぶん取り、相原に押しつけるようにして部屋から相原を追い出した。
「……ごめん、ヒカルさん!」
 相原の声が部屋の外から聞こえた。小さい声で「ヒカルさん……俺、ヒカルさんのことが好きだ」とも聞こえた。ヒカルは、どうしていいのかわからなかった。ただキスをした感触だけが残った。冴馬じゃない人とキスをしてしまったという後悔と、かけがえのないような甘い感触が。
 
第13回「オーディエンス」
最終回「神様の言う通り」
 
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