ダーリンはブッダ 第3回「君一人じゃない」

イラスト/ナカエカナコ
 
ダーリンはブッダ 第3回「君一人じゃない」
                
 ヒカルが携帯画面の中に映っている。斜め後ろから撮影されて、懸命な顔で自転車を漕ぐヒカルの後ろには、自転車の荷台で瞑想するように静かに座っている冴馬がいる。
「……やっぱり女がいたら人生、華やぐんだろうな……。いろんなことできるだろうし。ディズニーランドとか連れてっちゃって。女が俺にアイスを手渡しながらキスしたいなんて目で見るような……そんな人生はもう、俺には訪れないんだろうか……」
 
 哲が嘆息しながら言った。黒くてサラサラの髪はこの学校には似合わないほど品がある。先ほどから携帯画面を見つめ、ほうとため息ばかりついている。突然、教室のドアをピシャンと開ける音がした。
「お前達、理科をやれ!」 
 そう一瞬聞こえたかと思うと、理科教師の小島がまたピシャンとドアを閉めて出て行った。北校の授業は教師が一瞬入ってきて、一瞬で出て行く。授業を始めると半殺しにされるという伝統があるからだ。
 
「理科ってさあ〜テントウムシとか見るんっしょ? あと内蔵の名前覚えるとか。テッちゃんアレって何のためにあるの?」
 短い髪を金髪に染めた男子が机に上履きのまま乗り、猿のようなポーズで言った。唇には金色の輪になったピアスをしている。金髪猿の異名を持つのは、校内でもそこそこ強くてすばしっこさで名を上げているユージだ。着ている制服はこの学校の標準装備。短ランにやたらと腰回りが膨らんだボンタンのズボンを穿いている。制服の裏地には虎とAKB48の大島優子が日本刺繍で施されている。
 テッちゃんと呼ばれている哲は漢字が読めない北校では「テツ」と呼ばれているが、本当の読み仮名はサトシである。
 
「テントウムシなんか見たって……なあ、女ってすぐやらせてくれんのかなあ?」
「女によるっしょ?」
「西高行くような女って、どうすれば手に入るんだ?」
「げ〜! あんなの女じゃねえよ! 西の女は未だにブルマ穿いてるし、スカート長えし眼鏡ばっかだぞ?」
「おまえ、西の女見たことあんのかよ?」
「ないけど。俺は大島優子以外は見ない。」
「ちょっとこれ、見てみろよ……。ポニーテールで。格好良い……よな?」
「あっ。ちょっといい女。……だけど後ろの坊さん……、何?」
「……わかんねえ。こいつ、この娘と付き合ってると思うか?」
「いやあ、アバンギャルド過ぎてよくわかんね。もうちょっと普通の写真ないの?」
「ない。」
「テッちゃん、あんた一応さ、北校の総長なんだからさあ〜……もっと経験いっぱいじゃないと、後輩に示しつかないでしょ?」
「だよなあ……。だけど俺、スレた女とかやなんだよなあ。やっぱり……処女性を大事にしたいっていうか……処女じゃなくてもまあ……処女がいいけど。」
「げ〜! 処女なんて面倒なだけじゃんよぉ。なんでテッちゃん、そんなんで総長になれたのよ?」
「……うちの学校のヤツって、時間守れねえだろ? 総長決める大事な日によ、時間守って行ったの俺だけだったんだわ。」
 
  哲はケンカが弱いので強い奴らが騒いでも、できるだけ自分に火の粉がかからないようにしている。総長になったのも「絶対に殴られたくない」という信念に基づいてのことだった。哲はこの学校の中では浮くぐらいに地味だ。唯一の総長としての証は、先代の総長から受け継いだ学ラン裏にある「天上天下唯我独尊」と書かれた蓮の花と釈迦と龍で構成された日本刺繍である。しかし、裏地なので普段はお目にかかることがない。
 
「そういや、今週の締め上げ誰にすんの? また俺が決めていいの?」
「……締め上げ週間かあ……。そういや、あの娘に会えたのって、前の締め上げ週間だったなあ……」
「その坊さん、ライバルなら締めちゃおうか?」
 すると突然、教室の隅から「うおおおおおお〜!」と声が上がって、野獣のようなモヒカン刈りの生徒が頭を振り回しながら叫んだ。
「暇だ〜〜〜〜〜〜〜! もう、やってらんねえ!」
すると周りからも声が上がった。獣じみたヤンキー達が蠢いている。この教室は、8割方がリーゼントで残り1割がモヒカン、普通の髪型は最後の1割しかいない。
「そうそう〜。そろそろ誰か締めさせて下さいよう〜〜〜。相原総長〜〜〜!」
 
 総長と呼ばれた哲はため息をついた。
「締め上げは第4金曜発表って決まってるだろう? ちょっとぐらい待てっつうの!」
 この学校の生徒達はケンカをしないともっと悪いもの……たとえば、シンナーだとか麻薬などに手を染めていく。退屈な生徒達にクスリは飛ぶように売れる。しかし、クスリには依存性があり、クスリを買う金の問題でトラブルを起こした生徒達が殴り合ったり殺傷事件に発展して少年院に送られるという問題が後を絶たなかった。そういった問題を解決するために、7代前の総長が県内で最も強いヤンキーを順次につぶしていく、「締め上げ週間」というものを作り上げた。
 
 その効果は最たるもので、締め上げ週間に載った数名を締め上げていくうちに、クスリでおかしくなった生徒が刃物を振り回すような悲惨な事件は起こらなくなった。廊下に手製のポスターが貼られると、血の気が盛んな彼らは情報集めに熱心に取り組み始める。何校のどんなヤツで、どれぐらい強くてどんな技を持っているか。捕獲してボコボコにするとストレスの発散にもなり、校内の正常化に役に立つ。
 締め上げは校内のいい気になっている後輩から、校外の強いと噂される生徒や空手道場の師範代まで。目立つヤツは順次に潰していくという、最もシンプルな選抜方法で決められている。
「……そういえばこの坊さん。以前ネットで騒がれてたヤツじゃない? 西校に仏教部って部活作って、袈裟着て学校来てるっちゅう。こういうフザケたヤツも締め上げていいんじゃないの? そうすりゃ、彼女も来るんじゃない?」
 ユージが言った。
「それしか、会う方法ないか……」
「ないよ! ないない。西校の生徒って、俺らを見たら親に車迎え頼むような奴ばっかだもん。テッちゃん、決まりだ。さっきの携帯貸してみ。画像飛ばして印刷してやるからさ。大丈夫、彼女は映らないようにするし」
「……また、会えるかなあ?」
「会えるよ! きっと会える!」
 
 恋する乙女のような会話をしながら、ユージは楽しそうに次の締め上げ週間に載せるポスターの構図を考えていた。
「こういうヤツが、案外強かったりするんだよね〜。久しぶりに腕が鳴るなあ〜」
 自分の知らないところでは、誰かが本気で恋をして告白しようとしたり、誰かが本気で人を殴ろうとしていたりする。その瞬間が訪れるまでは誰にもわからない。その不思議さの中に全ての人が生きているようだった。
 
 (……ずっと、わからなさの迷宮にいるような気がしてくるのよね……冴馬といると……。)
 
 他人って本当にわからないというか、謎だと思う。わかったと思った時にはもう、自分が勘違いして間違えてる……なんてことも多い。
 
 中学の時、仲良しだと思ってメール交換していた子の誕生日に、その子の好きなジャニーズの特典付きポストカードをお金を貯めてプレゼントしたら、「あたし、今サッカーの○○に夢中なんだよね〜。ポストカードかあ……いや、ありがとう」と微妙な反応をされた時、私は自分のわかってなさを呪った。
 ちょっと前までそのアイドルの話しかしていなかったのに、サッカーの話題になった途端に私と彼女との距離はぐーんと伸びていった。だけど、その距離を開けたきっかけになったのは、あのポストカードだったんだと思う。あの、もらっても仕様がなかったであろうジャニーズのポストカード……。私は何ヶ月もそのことを思い悩んだけど、今となっては全然謎だとは思わない。単に、趣味が変わっただけなんだ。人って、趣味が変わるんだ。
 私だって小さい頃は、「おかあさんといっしょ」の体操のお兄さんと結婚するって思っていた。すごく明るくて、キラキラして見えたから。だけど、今あの番組で体操しているお兄さんとは、結婚する気にならない。いつの間にか趣味が変わっているのは、私も同じなんだって思う。
 高校に入ってからは謎だと思うことは少なくなってきていた。なのに、冴馬に会ってから私の謎を感じる数値は異常に高くなってしまった。冴馬くらい謎になると、もはや神秘的としか言いようがない。レディー・ガガのファンになる人の心理ってこんな感じなのかもしれない。何をやらかすのかわからない、ハラハラした感じを恋と勘違いしちゃうのよ。それにしてもこの部のメンバーも相当謎だと私は思った。
 
 仏教部の部室には、タカハシとガリ子、冴馬と私……というフルメンバーが揃っていた。タカハシはガリ子を頭からつま先までを眺めると、冴馬に向かっていった。
「おまえ、すごいの連れて来ちゃったな。これって、大丈夫なのかよ?」
(だから、どうしてそういうことを本人の前で言えちゃうのよ!)
「大丈夫って、何がですか?」
「いや、その足とか。ヤバいだろう? もげないか?」
「もげません。」
 
 ガリ子の足は、相変わらず棒みたいだ。棒みたいな足なんだけど、なんだかすごくオシャレな靴下を履いている。紺のハイソックスの上にレースの付いたルーズの重ね履き。普通、こんなオシャレをしたら足が太く見えて仕様がないのに、ガリ子の足の細さだとそれがきれいに見える。だけど、その上から覗く膝小僧がこわいくらいに出っ張っていて、この人は死ぬんじゃないかと普通に思う。
 タカハシはガリ子の腕を自分の親指と人差し指で作った輪っかの中に入れて「うお!」と叫んでみたり、足を掴んでみて「うお!」と叫んだりしていた。その度にガリ子は「キャッ!」と叫んでタカハシの顔をまじまじと見てるんだけど、なんか、まんざらでもないような顔をしている。
 
 ガリ子は、見た目がムンクの「叫ぶ人」っていう絵画によく似ているんだけど、タカハシに腕を掴まれた途端、なんだかタカハシを見る目が熱っぽい……。大丈夫だろうか、この人……。そう思ってた時にタカハシが意外なことを言った。
「おまえ……なんか、苦労したんだな。」
 するとガリ子は、黙ってポロポロと泣き出した。
「俺、今まで300人ぐらいは素手で殴って来たけどよ、お前みてえなヤツは殴れねえわ。殴ったら一発であの世にいっちまうだろう? そんなに痩せちまってよぉ。」
 タカハシとガリ子は、噛み合っているのか噛み合っていないのかわからない……。ただ単に痩せすぎていて殴るのが気が引けると言ってるのか、それとも深いところでこの二人はわかり合っているのか……見当も付かない。タカハシはずっとガリ子の腕に輪っかで作った指をくぐらせて、「おー!」と言うのを繰り返した。
 
「高橋君とガリ子さんは、きっと相性がいいんだね。」
冴馬が言った。
「それじゃあ、瞑想始めてみようか?」
め……瞑想……。私、あんな格好になるのもう、イヤだ……。それにこの人数でやったら、本当にキチガイの集団だと思われてしまう。
「冴馬、それより先に新入り確保すること考えた方がいいんじゃねえの? おまえ、今月末ってもう一週間後だろう?」
「一週間……!」
 気付けば部室を明け渡す日は、すぐ目前まで迫っていた。
「お前、たしかにコイツを連れてきたのはえらいけどよぉ。もう一人いなきゃ話になんねんだろ? それなのに何悠長にしてんだよ。のんきに座禅なんかしやがって。」
 冴馬はクスリと笑った。
「高橋君、全てはなるようになるんだよ。阿弥陀仏がこの部の存続をお望みなら、その最後の一人は自動的にやって来るし、お望みでなければ、その相手は来ない。物事は勝手にやって来るよ。」
「そんな都合のいい話あるかよ! だいたい、アミダブツって何だよそりゃ。ナムアミダブツのアミダブツかよ?」
「そう。ナムアミダブツのアミダ様は、全世界の人間を一人残らず救おうとして下さっているんだ。だから、アミダ様に全てをお任せするっていう意味で、昔から南無阿弥陀仏と浄土宗の人は唱えたんだね。まあ、意味はイタリア語で言ったらビバ! アミダブツみたいなものだけど。」
(ビバ、アミダブツ!?)
 
 私が驚愕の目でたじろいでいると、ガリ子が小さな声で何かつぶやき始めた。
「ビバアミダブツ……ビバアミダブツ……ビバアミダブツ。そういえば、私、ここの部員になってくれそうな子一人、知っています……。」
「何ぃ!?」
 タカハシがさも驚いたように叫んだ。
「その子は、今、学校に来ていないんだけど。私の親友なんです。今、彼女は学校に来れない状態で……私も拒食が進行しすぎて、歩いて彼女の家に寄れなくなっちゃったからずっと会っていないんだけど、お願いしたら、入ってくれるかもしれない。」
 冴馬はにっこり笑って言った。
「……ほら、アミダブツが導いてくれてるよ。」
 
 冴馬が静かに立ち上がった。ついつい、私は冴馬が動くとその、腕の筋肉の動きを見てしまう。きれいな細い腕の筋肉が自然に動くのを見て、私の胸はドキドキいった。冴馬の腕は思ったよりも白い。
「細江さん、その子何組のなんていう子?」
 心音を聞かれないように大きな声で言うと、ガリ子はもじもじしながら少しずつ言った。
「D組の、大山裕子っていいます。彼女は、私の親友で……過食症なんです。」
 
つづく
 
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