世界をつくるということ

昨日、青森県立美術館で開かれた国際パフォーマンス・スタディーズ学会2015東北大会
『けがれを超えて パフォーマンスと東北(身体・霊性・巡礼)』があり、パフォーマンスを観てきた。
 
点滅、工藤丈輝、雪 雄子の3人の舞踏家が踊った。
激しく、模索するような力強い踊りを踊る若い舞踏家の後で雪さんが踊られたから、
いかに、雪さんの舞踏がうまいかがわかってしまった。
 
点滅さんも、工藤さんも、相当な鍛錬をしていて、すごくうまかったし、自分の身体を使って、本当に全力で、探っていた。
この世の仕組みや、向こう側の世界や、身体の成り立ちというものを。
人から、人でないものになるということや体一つで、
どこまで探ることができるかということを、やっておられたと思う。
 
だけど、雪さんの舞踏は、その探して探して、身体をめちゃくちゃに傷めつけた後にたどり着いた……心やすらぐ世界だった。
8月の蝉の残響、蝉の魂のように透明な雪さんがそこにいた。
 
胎児のような、蝉の幼虫のような。そのようにあるだけで、全てを表現できる人はめったに現れない。
指先が空気中の分子を震わすように細かく、見えないくらい細かく震えている。
八分の一ではなく、十六分の一でもなく、128分の1くらいの細かな震えが、
ライトを受けて美しくその空間を作っている。
 
舞踏は、立ち上がる時が一番難しい。
 
そこに、どれぐらいの年月をかけてこられたのかがわかるような、
すっと、赤ん坊が初めて立つ時に見せたような仕草で立つまでの動作が、まるで一本の映画を観ているようだった。
 
重なっていく音楽、生まれる前の世界の穴から響いてくる太鼓の音と、
蝉の声、様々な音が混じりあい、世界が混じりあい、創りだした一つの場所へと導かれていく。
 西洋の歌声が響く中、スーッと生まれて、立つまでの間を観ているだけで、生と死の間にあるような。
そこは、神さまの庭のように静かで、とても静かで、静かな愛に満ちている。
 
そんな世界の存在を感じさせる舞踏。
 
こんなものを、踊れる人を私は他に知らない。
 
暗転とともに、おかっぱ頭の少女姿になった雪さんが現れた。曲は、土方巽が疱瘡譚で使っていたあの曲だ。
 少女は、ただ、少女のままそこに在る。
 赤い下駄が嬉しくて、履いては脱いで、しゃがんだまま頭上に掲げて、踊っている。
 
 
観ている人たちから、何故かホロホロと涙がこぼれているのがわかった。
何故、懐かしいと感じるのか。
 
 舞踏は、踊り手の感じている世界がそのままに伝わるから、その人が宇宙を感じていれば、
宇宙が感じられるし、その人が小さな頃の世界にいれば、
観ている私達までもその幼少期に連れて行かれるのである。小さくも、柔らかい、神さまの庭のような世界。
 
小さな女の子が赤い下駄を履いて、自由にこころが空までも駆けていくのを感じる。
女の子がすもうを取った時に、会場からは笑いがこぼれた。
 
 舞踏で、人を笑わせることができるのは、雪 雄子の天性の才能なのではないだろうか。
本気の舞踏の人ほど、厳しいものを見せようとするし、雪さんもかつてはそうであったのだろう。
だけど、それを超えた場所では、ただひたすらに安らぎに満ちた、懐かしい場所で踊る雪 雄子がいて、
まるで光の世界に溶けていきそうに
 
見えたのだ。  (山田スイッチ)
 
 
 
 
※9月13日(日) 午後二時(開場午後一時半)より、
鳴海要記念陶房館にて、雪 雄子さんの舞踏と神楽太鼓奏者の
石坂亥士さんによる舞台『響 軌跡』があります。
チケット(要予約) 2500円
ご興味のある方はぜひ、足をお運び下さい。
 
 
 鳴海要記念陶房館 弘前市賀田大浦1-2(旧岩木町) 
 電話 0172822902