今年は弘前市でネプタの昇降機に巻き込まれる
事故があり、どうしても自分と弘前を分けて考えることができなくて、
どこか胸が痛かったのです。
痛みから、ネプタを中止する団体もあれば、
痛みから、ネプタを運行して弔いをする団体もありました。
みんな痛みを感じているけど、その表現方法が違っただけだと思うのです。
岩木山がそれにどう応えてくれるのか……
私はそればかりを思っていました。
ネプタの後半は大雨の中、
子どもたち、ずぶ濡れになりながらがんばりました。
村のネプタは弘前のネプタと全然違って、
まずオーディエンスがほとんどいません。運行ルートは田んぼの中を通って、
小さな住宅街。目に見えるのはネプタと、夜空と遠くの山々だけです。
拍手を受けるのも稀な村のネプタは、
自分対自然の関係で成り立っています。
夜の木々に向かってヤーヤドーと叫ぶ。
何故なのか。叫びたいから、叫んでいるのです。
中学生の女の子がやたらとうまい笛を吹くので驚くのですが、
吹きたいから吹いていて、打ち鳴らしたいから太鼓を打っている。
中学生は、人が集まる前も無心で壁に向かってバチを振ります。
上手くなりたいから。
太鼓の響きを知っているから。
青森ねぶたは、第二次世界大戦の翌年にも運行されるほど、
青森の人にとって必要不可欠なものでした。
長い冬を生き抜くために必要な祭り。
どうか、来年は無事に弘前ネプタ祭りが開かれますように。
七日日(なぬか日)まで雨が続いた今年のネプタ祭り。
八日目に、岩木山がこの世のものとは思えない姿で現れました。
抱え込んだ複雑な思いも、岩木山がその神々しい姿で
包んでくれているようでした。