無意味せんげん - 山田スイッチ –
山田スイッチは、一切意味を求めません。ちなみに7歳男子と3歳男子を田舎で子育て日記。
2009/06/17 カテゴリー: ブログ。 タグ: 勘がよいということ。 はコメントを受け付けていません

勘がよいということは、一体どういうことなんだろう? と
ふと考えてみたのですが。

私の想像する勘の良さというのはなんというか、
頭にアンテナが立ってる人というのを想像するのですが。
そのアンテナの感度を決めるのは、
狭さだと思うのですよ。

広さじゃなくて、狭さ。集中といいましょうか。

例えば。

私は木曜日の粗大ゴミの日が大好きで、
自分に必要なものがあるときはまず、粗大ゴミの日に私の
必要なものが落ちてないかどうか見に行くのですね。
そうするとほぼ、90%の確率で私の必要なものがゴミに出てるんですよ!

パイン材の棚とか。
アンパンマンのドキドキバイキン城のオモチャとか。
赤い背もたれの木製の椅子とか。

「粗大ゴミに出てる気がする」

という勘が当るのは、「パイン材の棚」に意識が集中していたからであって、
普段も意識を集中すればパイン材の棚は見つかるのかもしれないけども
そんな集中は普段しない。

必要があるときだけその対象に意識を集中させると
パイン材の棚は向こうからやって来るのです。
この「必要」か「必要でないか」がわかると、
勘は良くなると思うのです。
言い換えれば、自分にとって何が必要かわかっている人は
大変に勘がいいです。

「気のせい」とかもすごく大事なことで、
スイッチかあさんは以前季刊誌で『月刊気のせい』(季刊)というのを
連載していたことがあったのですが。

なんでそんな「気のせい」がするのかって、
誰にもわからないじゃないですか。
それなのに訪れるじゃないですか、「気のせい」って。

それで、その「気のせい」は、その人にしか訪れない「気のせい」
なんですよ。
私なんて気のせいだけで、庭に竪穴式住居建っちゃいましたから……。
「庭に竪穴式住居が、建つような気がする」
って。
建てようと思ったヤツらの気のせいも、相当なものだと思います。

そんなスイッチかあさんの、勘が鈍る時というのは
「??」という、なんというか
いいような気もするけど、悪いような気もするまさに、「??」
としか表せない時。

それは多分、必要か必要でないかが
判断しかねる時だと思うのです。
頭にアンテナが立たない。

その時がちょうど、一年か二年前。mixiを辞めようかどうか
迷ってた時だったんですね。

私にとってmixiって、必要か必要じゃないのかっていうのが
「??」といった感じで判断しかねてたんですね。
何故かというとmixiというのは、メールソフトとしては
大変に優秀です。
得られる情報量も非常に多い。
しかし、何故かは知らないですけど、すごく疲れるんですよ。

どちらかというと知らぬ間に人に気を遣ってしまう私は、
(ほんとうか……?)
知らず知らずのうちに多分、一度にすごく大勢の人に対してその頃
気遣いをしていたのだと思う。

そんなことをしたら、自分の気を使って気遣いしてるんだから。
気が減って疲れるべな?
ということに、なかなか気付きませんでしたね……。
あれは相当、疲れたね……。


そんな時に、ものすごく勘のいい人が
パパッとmixiを辞めたんです。

「……おお!!」と。
思った瞬間、私も辞めました。

自分にとって必要か必要じゃないかがすぐにわかったら、
どこに行けばいいかって案外すぐにわかるじゃないですか。

ほら、和食食べたい時に洋食の店には、並ばないじゃないですか。
そんな感じで、店を限定した時、
余分な選択肢を排除したとき(洋食は今日は食べないと決めた時)
自分の本当に求めるものに
ありつけるんじゃないかと。

(だけど、外で食べるときって、本当に選べない……。
腹が減って意識がもうろうとしてきて、
よく失敗します。ああ~、今日はラーメンではなかったなあなんて。
食ってから思ったりする。)

そんなわけで。そこまで意識を集中しても、大概の場合は
欲しいものが粗大ゴミで済んじゃうスイッチかあさん。
安いです。

先日、さくら野商品券をたくさんもらったので、ケンさんに
「何かいるものあったら買ってあげるよ! 何が必要?」

と聞いたところ、

「必要なのは己の健康な肉体だけ!!」

と答えられました。

ケンさんにはかなわないです。