新しいカルマの捉え方 「聲の形」

聲の形 コミック 全7巻完結セット (週刊少年マガジンKC)
 
カルマっていうのは、仏教用語で「業」を
表しているんだドグけど、
それって、前世の失敗とか、悪行とかが関係していて
前世の負債を償うために、
今世で「カルマだから仕方ないよね。」
 
と、割り切るためのものなんだドグ。
 
例えば、嫌なダンナと結婚してても離婚できない場合、
「これもカルマだから仕方がない」
と割り切れば、仕方ないなりに生きれるじゃないドグか。
 
でも、生まれ変わりがなく、死んだらTHE・ENDの
考え方や、生まれ変わっても裁きはなく、業を負わないって
考え方では、カルマそのものが存在できなくなる。
 
だとしたら現代の新しいカルマの考え方って、
「魂の成長のためにやらなきゃいけないと感じていること」
だと思うんだドグ☆
 
やらなきゃいけないと感じてるだけなので、
実はそれ、やらなくてもいいんだドグ。
 
でも、気になるとか、無視もできないっていうのは、
そういう「やったらなんか、成長できるのかな?」
 
っていう、期待が込められているはずなんだドグね。
 
なんでもかんでも、割り切れないところに愛があるとか。
それは愛なんだけど、どう考えても損だと思うところに
カルマって呼べばあきらめて受け入れられそう
って期待がある気がするドグ。
 
映画「聲の形」は、
カルマを乗り越える話だと思うドグ。
 
耳が聞こえない、いじめたら今度はいじめられた
すぐには明るくなんてなれない
いい子ちゃんである自分を変えられない
意地悪なキャラを変えられない
 
そういう人たちが、そういう人たちのまま
業として耳の聞こえないヒロインと関わるには、
あんまりに幼かった。
いじめてた子が今度はいじめられっ子になるという図式は、
 
最近じゃよく見かけるようになったけど
昔はなかった気がする。
多分、クリエイターって人と違い過ぎていじめられやすいだろうから、
自身の体験を描くことでこの、因果応報というカルマを
世に表すんだと思う。
 
顔にバッテンが貼ってあるという表現がやたらリアルだった。
 
ずっとにこにこしてるだけのヒロインが、
多分、「花火と一緒に散りたい」
と思っていたであろう
こととか。この映画は本当に、音に生かされている。
 
カルマも何も関係なくなった時、
ドグ子が求めたいのは、人の素直さ。
 
素直な人に触れるのは、
宝物を手にするようなものだから。
ヒロインが最後に「バー、カ! バーッッ、カ!」
 
って言ったのは、本当に最高だった
ドグ。