私が弘前南高校に通っていた頃、
社会の先生にすごい人がいた。
南高校の先生は、随分と個性的な人が多かったと思う。
国語の授業で梶井基次郎を紹介するときに
「デカダンですよ、デカダン!」と当たり前のようにデカダンを語った館山隆先生や、
物理の授業で物は重力に引かれて落下するということを表すために、生徒の鞄を拝借して勝手に投げた岩間先生。
そして、社会の教鞭を執っていた泉谷栄先生は、授業最初の自己紹介でこう言ったのだ。
「私は右翼です! 天皇陛下、バンザーイ!!」
と……。
学校の先生は自分の主義・主張を語ってはならないと聞いていたが、あれは嘘だったのか。
泉谷先生は右翼で、阪神タイガースのファンで、糖尿病だった。
阪神が優勝した夏には祝い酒を食らって、翌日学校で倒れ、救急車が迎えに来たというのはもう、
先輩から語られた伝説的な話だった……。
泉谷先生は作家だった。
私たちが高校一年生だった時に「存在のクロニクル」という、たいそう分厚い、立派な本を出されていて、
私は今泉書店でその本を何度も立ち読みしたが、
あまりの難しさと漢字の多さに挫折し、タイトルの「クロニクル」という言葉だけが胸に残った。
そんな泉谷先生に、高校を卒業して何年も経ってから、弘前のサンデーでお会いしたことがある。
先生は病院通いの途中に寄られたようで、とても静かで、私が
「先生はいつも、授業の時はエロ話ばっかりしてましたよね。面白くて、ずっと起きてました。」
と言うと、「いや、そうだったかな?」と、はにかんでいらっしゃった。
先生の発行されている同人誌「阿字 132号 頒価500円」(発行 アジ・プロダクション 青森県弘前市栄町4-10-23 泉谷栄)の、
<あと・あじ>には、
先生の今の容体が書かれている。
「2008年から2013年の今日まで入院と通院と自宅療養を繰り返し、なおも続いている。いつまで続くのか、自分にもわからない。」
□「阿字」を発行するのも3年ぶりだ。その前の発行はどうであったか。
断続的に出していたような気もするが。とにかく今は歩行が困難、腰から下の筋肉がそげ落ちてしまったのだ。
手はまだけだるいが、どうにか書ける。救いだ。
頭の中は依然として突風が吹いている。春になっても雪が吹雪いているのかもしれない。
血糊べったりの吹雪がね。□
この発行は、2013年5月13日。
生きるだけで毎日が闘いのような先生に、読んで頂けますように……と
願いを込めて、私の「うちのバッチャ」を送らせて頂いた。
そうしたら、昨日お葉書が届いたのだ。
一文字、一文字を必死に書いて下さった。
そんなことが、伝わるお葉書だった。
「お元気のことと思います。御著『うちのバッチャ』を戴きながらお礼遅れました。
もう 時効になるほど前に届いておりました。 ゆっくり 味わいながら読ませてもらいましたよ。
いいですね。
本著は、いつでも ・ どこでも ・ だれにでも通用する普遍性がありますね。
地方に在ってもこうでなくてはね。津軽ではいいが、東京では通用しないでは書く意味がないものね。
それは「バッチャ」本人に広く、深い「知」があるんだと思います。
いい出逢いですね。大事にしたいです。このたびは 本当にありがとう。
売れているようで何よりです。 ばんざいです。」
泉谷先生の、素直で、優しい言葉が届けられた。
先生がご無事で、ほんとうによかった。
今思えば、南高校の先生達は、本当に素直な先生ばかりだった。
当時の私は、「素直」というものがどういうものかわからなかったのだけど、
大人になって素直な人の持つ力に触れて、素直という物がどれほど素晴らしいことかがわかってからは、
素直な人をかけがえのないものだと思っている。
「天皇陛下、バンザーイ!!」と、私たちの心をガッチリと掴んで、
授業をまるで講演のように、全てをさらけ出して私たちに与えてくれた泉谷先生。
本当に嬉しい時には、糖尿病であっても酒を飲むんだという「大人の粋」を教えてくれた泉谷先生。
先生が持っている素直さの光は、宝石のようだと
私は思った。
2013年7月2日 山田スイッチ
私が通っていたところには左翼の先生がいました。憲法の講義で血管が切れるのではないかというほど、語ってくどさいました。今から思うと、平和を愛していたんだなぁと感じています。先生も百人百色なんですね!
おお、百人百色。(笑)
左翼もいれば右翼もいるっていうのが
すごいですね。
千人千色ですね-。(^-^)p