医師の稲葉俊郎さんの著書
『いのちを呼びさますもの ひとのこころとからだ』
(アノニマ・スタジオ)を読みました。
艶めかしい赤い表紙に金色のシンボル、白い帯がきれい。
赤血球と白血球みたい。
それか、産着に包まれた赤ちゃんのよう。
本は、良き友人に例えられることが多いけど
この本を読んでいると本当に友人が語りかけてくるようで
友達同士でいる時の、「そういえば知ってる?」みたいな
雰囲気でとてつもなく面白い、体の不思議を語ってくれる。
「ねえ、頭頂眼って知ってる? 約2億年前頃(三畳紀)までは、
光を感じるセンサーとしての目は4つあったんだよ」
そんな風に語り掛けてくれる友人がいたら、
毎日はなんて面白いのだろうと思う。
稲葉さんは語りかける。
『進化の歴史からいえば、目の数も変化した。
約2億年前頃(三畳紀)までは、光を感じるセンサーとしての
目は4つあった。ただ、4つのうち2つは退化し、
左右の2つの目だけが残ることになった。
消えてしまった他の2つは、過去に「頭頂眼」といわれ、
脳の一部としての視神経が頭頂方向へ向かって
前後に分かれた視覚器だった。』<本文より>
頭頂眼、めちゃくちゃ気になる。
しかも、めちゃくちゃ詳しく説明してくれる稲葉さんが
物語るのがうまいので、理系の話にも引き込まれてしまう。
第二章の「心のはたらき」では、
意識と無意識、自我と自己を教えてくれるんだけど
話を教えるのがうまい先生のように、
難しくなってくると面白い話題で生徒を眠らせない。
『例えば、仏教の思想のひとつである「唯識」を例に挙げてみよう。
唯識はまさに意識が層構造になっていることを扱ったもので、
4世紀ごろのインドで生まれた考え方だ。
唯識を知らなくても西遊記に出てくる玄奘三蔵(三蔵法師)
の名前は聞いたことがあるだろう。
玄奘三蔵が命がけで天竺(インド)に渡り、
17年もの歳月をかけて中国へ持ち帰ったのが唯識である。』<本文より>
これを聞いている時(読んでいる時)、
私は勝手に「うっそー! 唯識ってそうなの? マジかっけー!」
とか言いながら読んでいる。
『三島由紀夫も晩年は唯識に傾倒し、『豊穣の海』は
唯識の知識をベースにしながら輪廻転生がテーマとなって
書かれている』<本文より>
自分の中にある知識で輝くもの。
「これが、面白いんだ」という宝物を丁寧に紹介してくれる文章。
そして、病弱だった幼い頃の彼が医師となって
病とは何かを見つめるうちにたどり着いた世界観は
水のようにひたひたと、その新しさで脳を浸してくれる。
『……もっとも重要な人生のテーマは自己認識であり、
「わたし」を知ることなのだ。
「わたし」という存在が持っている、
表層の自我だけではなく深層の自己をも含んだ
「わたし」を発見することこそが大事なのだ。』<本文より>
第三章の「医療と芸術」では、どの文章も重要すぎて抜粋しずらい。
古英語の「Hal」(完全である)から生まれた「Health」、
健康という言葉にそもそも「完全」(Hal)、「全体性」(Holism)、
「神聖」(Holy)といった意味合いが含まれている……物語の導入部から
不思議な言葉「Hal」に引き込まれ、
ギリシャのエピダウロスの考古遺跡から古事記、
メタファー、そしてアールブリュットの世界まで。
そこに何を見い出しているのかを
教えてくれる。紹介されている筋ジストロフィーの詩人・岩崎航さんの
詩の世界が不思議な重さを加え、
稲葉俊郎さんの世界観に深く深く潜っていく。
本当は、当たり前のことなのかもしれないが、
彼の言葉によって初めて意識したのが次の文章。
『誰もが体を持っている、誰もが心を持っている。
誰もが命を持っている。すべての人は個別に違うものだが、
人種や宗教や思想や文化の違いを超えて、体や心や命には
共通の原理が働いている。だからこそ、
人々は芸術を必要としたし、医療を必要とした。
そうした共通原理の場に立って対話を続けていくことこそが、
今強く求められている。人々は、生命は、
ある共通の土台に立っているのだから。』<本文より>
一人の医師が、
何を感じて生きているのか。
「ああ、こんなことを感じながら生きているんだ」ということが
本当に新鮮で面白い。
世界は、
こんなにもまだ知らないことが多くて、面白いものなんだと
伝えてくれる一冊です。
占いありがとうございました。こちらにすみません。
嬉しすぎて、興奮していまして・・・
改めてメールします。
当たってます!!!
わあ~!
ありがとうございます!
私も、すごく嬉しいです。(o^―^o)
お客様のことは、いつも、この方がより良い人生を歩めるようにと
願って占っていますが、こんな風に言葉でお知らせいただけると、
本当にうれしいです。
ありがとうございました!
山田スイッチ