「現実は小説より奇なり」といいますが、
育児のわからなさは犯人が最後になってもわからないミステリーみたいなもので、
本当にわけがわからんのです。
第249回 わけがわからない。
マペ次郎が保育園を休んで、はや4週間になるのですが。
ここ4週間の間、育児の何が一番困難なのかを見極めようと自分自身を観察し、
ようやく答えのようなものがわかってきたのでした。
育児の困難、それは。わけがわからないことです。
例えば、オムツを変えようとして外している間に、
マペ次郎のお尻からムリムリムリっとうんこが出てきて、
「ヒャーッッ!」と叫びながらそれを素手でキャッチして
トイレに流しにいくなんていうのは、よくあることなんです。
そう、ここまではまだわかる。
わからないのは、トイレに流しに行っている間に
実をいうと先ほどのうんこは第一弾であって、
私のいない間に第二弾第三弾のうんこがぞくぞくとマペ次郎のお尻から現れ、
そのうんこをマペ次郎が両手で掴んでキャッキャと遊んでいるのが、
よくわからないというか、わけがわからないのです。
まあ、そんなことが起こっても粛々と処理しますけどね、お母さんは。
絨毯のうんこを拭いて、手を洗えばいいだけですからね。
それで、うんこを片付けて居間に戻ってくるとですね、
マペ次郎がいないわけですよ。
「マペ次郎!? マペ、マペ次郎ー!?」と、半狂乱で家から飛び出すと、
玄関から勝手に外に出たマペ次郎が、外にある牛乳瓶入れから牛乳瓶を取り出して、
地面にたたきつけて遊んでいたりしているのです。
それもまた、わけがわからないというか。
「やってほしくないことからやられる」というか。
私たち大人というものは、社会的によい子(大人にとって理解しやすい子ども)を、
求めてしまう生き物なんですね。
わけがわからないのは苦手なんです。できることなら、わけがわかる方がいい。
ところがどっこい、この「わけのわからん」というもの中には、
ありとあらゆる可能性も含まれているのです。
恐らく…自分のうんこを手で握りしめている間、
マペ次郎さんの脳は何かを考えているのす。
「うんこ、やわらかい」とか。そういったことだと思うんですけど。
もしかすると、大人になった時にうんこから、
プラスチックを作る技術を発明してくれるかもしれない。
その時になって、「私がこのうんこプラスチックを発明できたのは、
幼い頃私の母が、黙ってうんこを握らせてくれたおかげなのです」
と語ってくれるかもしれない…。
そう。赤ちゃんの行動はわけがわからないのですが、
赤ちゃんは常に脳の好奇心を満足させるために行動しているわけなんですよ。
「あ、うんこだ。掴んでみよう!」と。
そしてこのわけのわからない人を相手にする育児は、
私たち母親を度々混乱させるわけですが。
「これは将来私のために新しい技術を発明しようとして、
やっていることなのだ、多分」
と思えば、あんまり腹も立たなくなると感じた次第でした。