エジプトカード占いの「飾り止め」のカードの意味は、
「犠牲を伴った成長」という意味で、
成長には犠牲がつきもの。自分を犠牲にして人のために尽くしている人は
必ず救われる
という意味があるんだドグけど、
この「自分を犠牲に」の意味というのが、
なかなか捉えどころがなく、難しいんだドグ。
その人にとって、何が楽なのかを考えないと、
その人にとって犠牲になることが何なのか、わからないからなんだドグ。
占い手は、ただカードの意味を言うだけで、
その「犠牲を伴った成長」の中身は、占われた人自身の中から
生まれなければならない。
その人の心に当たらなければならないんだドグけど、
本人が何に甘え、何の犠牲を払ってこなかったかを理解しなければ、
正しい犠牲は払われないし、正しい対処は行われないんだドグ。
ずっとストレスの強い職場で働いている友人は、
自分を犠牲にして働いているように見えていたんだドグけど、
もしも辞めることが一番その人にとって苦しいことならば、
辞めないことはむしろ楽な道なんだドグね。
楽な道を歩んでいる限り、犠牲を伴った成長は得られず、飾り止めのカードのカギとなる
「人生において大きい意味を持つ人物・出来事」には
出会えないんだドグ。
これを、私自身がその「犠牲を伴った成長」を今まで避けてきたのだ、
ということに初めて気付き、
自分の甘さ、本当のことに気付けない愚かさを知って、
生きなおさなければと思ったところなんだドグ。
私自身の甘さというのは、
悩める友達を心配して、それを言い訳にして、
自分がやらなければいけない仕事も、エクササイズも、
見舞わなければならない実家の祖母のことも、
全てを後回しにして、享楽に浸っていたことなんだドグ。
本当は何をしなければならないかなんて、
ずっと頭の中にランプが点灯するようにわかっていたはずなのに。
全部、目の前に起こる事象にかまけて、
果たさなかった。
でも、物事はすべて、必要があって起こるから。
これに気付いてしまったのならば、やるべきことを果たさなければならないって
ようやく気付いたんだドグ。
やるべきことに気付かぬふりをしていると、神様はどんどん、ひどいことをしてくる。
それは、私が一番最初の職業に就いた時に、
やるべきことを放って就いた職業で、身体をぶっ壊して骨身に染みてわかっていたことだった
はずドグ。
何から目を背けて、どんな成長を果たしてこなかったのか。
人のせいにして、自分がやらなかったことは何なのか。
今こそ、目を見開いてしっかり、やっていかなければならないんだドグ。
行くのが怖かったホームにようやく出掛けると、
ボケたといわれた祖母は、私を発見すると満面の笑みで。
涙をたたえながら迎えてくれて、全然ボケてなんかいなかった。
それよりも、限りない愛情で私を包んでくれた。
どうして、今までちゃんとここに
来なかったのか。
いうなら、
本当のことに触れるのが怖かったからなんだドグ。
でも、本当のことは、私の予想なんか遥かに超えて、
優しく、素晴らしく、愛情に満ちていたんだドグ。。。
祖母の見舞いに、行けて良かった。
これに気付くきっかけとなった、「飾り止め」のカードに
深く感謝して今日は眠りたいドグ……。