森田さんが続けて言った。
「ほとんどの農家は、この点の理解も決断も無理なはずです。
それはそれで、やむをえないでしょう。
それというのは、農法のやり方を切り替えるには、
「生き方」そのものを切り替えねばならないからです。
逆に言うと、生き方を切り替えないまま農法だけ変えても、
間違いなく行き詰るのです。
「生き方」の転換の先に、農法の転換がないとダメなんですね。
ですので、それを実行できる人は、必然、少なくなってしまうわけです。」
うむむ……ナルホド。
実をいうと私の思い描いていた「青森県の生ゴミ全堆肥化」もこれがネックで頓挫している。堆肥の入れすぎを環境部会の部課長・Hさんがいち早く気付いて、よく調べた方がいいという段階である。
ところで。私は農薬の問題をどうこう言わなくてもよかった時代に
思いを馳せる。つまりは、農薬が登場するより前の時代だ。
農薬の起源は1700年代。
欧州で除虫菊の粉で作物を害虫から守ることができることが既に知られており、商品として流通し始めたといわれている。日本の農村で農薬が普及し始めたのが1930年代。その後、農薬は昭和初期に本格的に普及した。
(参考 フリー百科事典 ウィキペディア「農薬」の項目より)
ということは、1930年代より前の時代には、人々は農薬も使わずに作物を育てていたことになる。その後、第2次世界大戦が1945年にあり、
日本は戦争に負け、とにかく復興しなけばならない、がんばらねばならない、と文字通りがんばってきた。
アメリカに追いつけ、追い越せとがんばり、農村部の青年は農業よりも工業化に必要とされ、都市への労働力の流出は、その当時普及し始めた、
農薬と農業の機械化がまかなうこととなった。
そこで一気に都市化が進んで、農村部も機械化・農薬による
収穫数増大をはかってきた。
そこでようやく余暇も得られた豊かな現代、人は
気付けば時間に追われて、自然もコンクリに埋められ、
農地は農薬がなければやっていけない、
哀れな存在に成り果てていたのかもしれない。
何もかもをコントロールしようとするのは、
ものすごく自然に反した生き方だ。一定の規律しかないようにも見える。
人間の身体も自然であり、調子の良いとき、悪いときがある。
その自然のものを色々無視して頑張らないといけないような世の中に、
今、なってしまっている気がする。
その規律では、生きられなかった人達が
「降りてゆく生き方」という言葉をスローガンに、
弱さを絆に、トラブルを糧に(清水義晴著『変革は、弱いところ、小さいところ、遠いところから』より抜粋)
して生きてきた、「浦河べてるの家」の、統合失調症の人達なのではないか? と思う。
そこでは、「小さなできること」から、
全てが始まっているように見える。大きなものが悪いのではなく、小さなできることを積み重ねる生き方。こんな生き方があったんだと、私は「降りてゆく生き方」のモデルになった、浦河べてるの家に関する書物を読むと
感動してしまうんだ。
私の、小さなできることってなんだろう? それはきっと、人の話を聞くことだ。降りてゆく生き方の祭典には、
面白い人がたくさん登場する。
武田鉄矢さん、木村秋則さん、無肥料自然栽培の川名秀郎さん、寺田本家23代目投手の寺田啓佐さん、山口乃子さん、べてるの家を発見した清水義晴さん、浦河べてるの家の向谷地生良さん、篠田昭さん、森を作った校長の山之内義一郎さん。
ひょっとすると木村秋則さんという人は、進化するのに必要な突然変異の農法を生み出したのかも知れない。その突然変異を、受け入れるか受け入れないかは
どうやっても私たち、個人個人にかかってくる。
その日は、一体どんな言葉が交わされるのだろう。この、疑り深い私たちの、ガードの固い心を動かしてくれるだろうか……。
動いたら、世の中は少し、変わるのかもしれない。
4月18日(日)
場所 日本青年館 大ホール
午前の部 11時 開演 (完売)
午後の部 15時30分 開演
全席自由 当日券 4000円 前売り 3000円
内容 映画「降りてゆく生き方」上映
「生き方」スペシャルトーク 舞台挨拶ほか
託児あり