無意味せんげん - 山田スイッチ –
山田スイッチは、一切意味を求めません。ちなみに7歳男子と3歳男子を田舎で子育て日記。
2011/04/25 カテゴリー: ブログ なんかすごいなあと思うこと はコメントを受け付けていません

実をいうと24日の日曜日は、

八戸市の鮫公民館に、避難所に1ヵ月も滞在されている

方々がいると知って、クッキーと雑誌とコーヒーと緑茶を

持って行こうとしていたんですが。


公民館に直接問い合わせて、「24日の日曜日に行きたいんですけど…」と

言ったのが一週間前のこと。

その時、とても感じのいい職員の方が電話に出てくれて、

「どうぞ、どうぞ、みんな喜びます!」

と言われて喜んで小麦粉を1キロふるって、雑誌とか各年代に合わせて

買いまくって、あと緑茶とコーヒーと紅茶と……と

準備していたところに、


マペ次郎さんが発熱。


一時39度台に熱が上がって、「これはもう、日曜日は無理だからせめて

支援物資を送ろう」と、電話をかけたのが土曜日。


「明日の日曜日にお伺いする予定だったのですが、子どもが熱を出しまして

行かれなくなってしまったのでせめて、支援物資だけでも送らせて頂いて

よろしいでしょうか?」


と電話越しで言うと、


「あ、急なんですが、明日の日曜日でここの避難所も解体の方向に

なりまして、ほとんど人がいなくなります!」

「ええええええ~!? ……あ、それじゃ、行き先が皆さん、決まられたんですね!

それは…よかった~」

ということで。

ひょっとするとマペ次郎さんが熱を出さなかったら、

私たち家族は支援物資を持って、

誰もいないところに駆けつけていたのかもしれません……。(笑)

なんだろう、この。

不思議な現象。

4月中に八戸市では、多くの避難所を解体、受けいれ先を決める

努力をされていて。

本当に、震災の後、家屋の泥出しやゴミの撤去、避難所への

スープの差し入れに励まれた、たくさんのボランティアさんがいて

避難していたみんなが少しずつ、新しい居場所を見つけていって。

よかったなあと思うのです。

私、けっきょく何もできませんでしたけど。

多分人は、「やらなければならないこと」以外、やれない運命にあるのではないでしょうか。

おそらく、被災地にボランティアにいける人は、

そういう運命にある人なんだな、と。

そして私の運命は、運命的に子どもが熱を出したりして、

やれない運命なんだなあ…って思ったんです。

ほぼ同じ時期に、ランディさんとミュージシャンのせとちとせ ちゃんに

荷物を送ったのですが、

何故か手違いで荷物が行き違ってしまって。

ランディさんに送った「もしもあなたが奴隷だったら」という絵本と

「青森のタカラモノ」という鈴木正治さんの写真集が、

せとちとせ ちゃんのところに届き、

せとちとせちゃんに送った拙著の「しあわせ道場」という、、

この本を読んだ友達が全員結婚したという、

結婚のためのバイブルというか、結婚はこんなに大変だけど

やってみるのもいいかも?

という結婚成就のために送った本が、

……ランディさんの元に届き。

しあわせ道場 (知恵の森文庫)/山田スイッチ
¥580
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何故なんだろう? と思ったら、

ランディさんのダンナさんが、

「それは、せとちとせが運命的に、結婚できないってこと???」

という、すごい見解を示されまして。

運命って恐ろしいなあと思ったわけです。

それか、「もしもあなたが奴隷だったら」は、せとちちゃんが

読むべき本だったのか?

あなたがもし奴隷だったら…/ジュリアス レスター
¥1,890
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この本は、すごいですよ。

なんと、スイッチかあさんの通っている小児科に置いてあったのですが。


荷物のように並べられて船で移送された奴隷達は、

途中で疫病にかかり、次々に海に投げられて死に、

最後、本当に健康な肉体を持った者だけが、

アメリカ大陸に連れてこられたのです。

人が奴隷として、働くために。

この本を読んで、奴隷の現実の凄まじさに、

大いなる悲しみに、癒されていく自分がいたのです。

小児科で、子どもの熱に心配し、あらゆる予定は変更され

運命の前にどうにもならないと感じていた私は、

やっぱり奴隷だったんじゃないか? って

考える前に、感じたわけです。

やっぱり子どもを生むと、

もう一人の人間ではなくて、家族全員の健康状態を守る人間であり、

自分勝手に生きられないというか。

トイレもおちおちしていられないというか。(泣くからトイレのドアは常にオープン)

すごくしあわせだけど、どこか運命の奴隷であるという

悲しみがあるわけで。

その悲しみが、この本の持つ絵の力に、ずっと深いところまで

潜り込まれてしまって。

「悲しいのはおまえだけではないよ」と、全部をもってぶつかってこられた気がして。

なぜか、癒されてしまったのでした。

せとちちゃんには、この本は届くべき本だったのかどうかは

わからないけども。

この本を読んだことを、私は一生

忘れないだろうと思うのです。