無意味せんげん - 山田スイッチ –
山田スイッチは、一切意味を求めません。ちなみに7歳男子と3歳男子を田舎で子育て日記。
2007/01/07 カテゴリー: ブログ。 タグ: やまもとゆみ帽子 やまもとゆみさんの帽子 はコメントを受け付けていません


昨年末、着物デザイナーのやまもとゆみさんに会った。
本当に会えるなんて思わなかったんだけど、
時折訪れる強烈な「会える予感」が襲ってきて、
メールを送ったのが上京する五日前くらいだった。だけど、
私とゆみさんは、無事に東京でお会いできたのだ。

上京するときはいつも、この根拠のない「会える予感」に頼って行く。
だけどこの予感は意外とよく当たり、会えない予感がする人にはぜったい会えないので
あえて連絡もしない。

以前は、会えない予感のする人にも上京するので
とにかくお知らせしていたのだけど。
そういう予感のする時は大抵、会う人がとても仕事の忙しい時期にあったり、
身体の具合がちょっと悪いのに無理して出てきてくれたりして。
私が相手を困らせてしまっていた。

なんのことはない。私が予感を信じればいいのだ。
なんとなく、は。意外と当たる。

だけど、会える予感がする時には会えてしまう。
偶然だろうけども、やまもとゆみさんには
何故かもう一度、「会わなきゃいけない気」がしていて。
「もしかして…」と思って連絡した。

最近は、会いたい気持ちと「会わなきゃいけない気持ち」があって、
「会わなきゃいけない気持ち」っていうのは、恋に近いのかもしれない。
何か大切な予感である。

人に会うときは、ドキドキする。
お土産なにがいいかな?とか そんな単純なことなんだけど。
そのお土産のことで頭の中が爆発するほど
想像を膨らませてしまう。
結局妄想だけで買いそびれてしまうこともあるぐらいだ。
考えすぎて頭から煙が出るともうアウトだ。
決してかさばらずに…可愛くて…味があって…とか
思っていると頭から煙を噴く。

だけどもこの日は、
渡したいお土産もすぐに頭に浮かんで、
待ち合わせの、道玄坂の坂の上へと向かった。

ゆみさんは、小柄で強い目をしたおんなの子だった。
とても、日本人の目には見えない力強さ。
最近、友達の目をみると凄く澄んでいて
とても驚く。

ゆみさんはまるで
普段見慣れているうちの赤ちゃん、
師匠のような目をしている。大人なのに。
私の友達にそのような、目の澄んだ人がたくさんいるということは
すごいことだなあと思う。

会った日に、この日は初めて会って二度目だというのに、
すごくお話ししていて面白くて、
うずの中に引きずり込まれていくようで
気付けば四時間くらいも話してしまっていた…。すごい。

ゆみさんは、私のことを透明な色の人だと思ったと、言ってくれた。
透明……?
私は、人を色で表す時に赤とか、青とか、緑とか。
そういった色のことばかり考えていたので
透明と言われ、びっくりしてしまった。
こんな、ヘタすると田嶋陽子女史(オカッパに眼鏡)に似てしまう、スイッチ母さんが?

「透明っていうのは、決してきれいな色だけではなく、
何色にでも染まれるっていうことなのよ。
バケツの水に何色も色を混ぜてしまうのではなくて、
きれいなバケツの水に、最初の筆を洗ったあの 
透明な水に絵の具が染まっていくあの美しさが
大事だと思っているの。
乙女であり続けるというのは、透明であり続けるということだと思う。」

ゆみさんに言われた瞬間、
小学校の時に使っていた黄色いバケツの透明な水に、
絵の具がくゆりながら
水を染めていくあの美しい映像が目に見えた。

すごく大事なことと、すごく面白いことを
(ゆみさんの人生はとても面白い)
たくさん話しながら、
私はゆみさんから、青空の下の、雪うさぎのような帽子を受け取った。

「師匠に被せてあげてね。」

びっくりしすぎて、言葉が出なかった。
だって、その帽子は師匠のために編んでくれたもので、
私が東京へ行くとお伝えしたのは、たったの
五日前だったから。
そして、その帽子は本当に、言葉にならない感じがぎゅっと詰まった
やさしいお帽子だった。

うさぎのお帽子

師匠に似合いそうな、きれいなブルー。
手に取った瞬間。やまもとゆみさんの作るものは、これなんだとわかった。
どうしても、ウェブで見る画像だけでは、わかりえないもの。
それは、そのお帽子を手に取った時の
「かけがえのなさ」だ。

あたたかく、それを被る人の気持ちをこころから考えられたもの。
どうして本当の可愛さというものは、切なさをあわせもって居るんだろう。
切なく胸に来る、そんな可愛さを産み出す人は
とても強い、黒い目をしていた

師匠帽子