田口ランディさんのブログで、意思伝達装置のレッツチャットの存続が、
決まったことを知る。http://runday.exblog.jp/15047679/
ああ、よかったなあ! 本当によかったなあ…! と思う。
ランディさんの言葉で、心に伝わったことが、全身が動かなくなるほどの
障がいを負っても、それを受け入れて生きている宮ぷーさんという
存在を知るきっかけになって、そして、とても大切な機械をなくならないでほしいと、
心から祈った山元さんのことを知って、すごく心が揺れた。
心が揺れるっていうことは、本当は少ないことなのです。
それなのに揺れたなら、そこに必ず何かあるから、
行って確かめた方がいいと、思うんだよね。
BOROに出会った時も確実に心が揺れたから、行って確かめに行った。
その結果、2月はイベントをやることになったり、色々だけど。
最終的に、そこに集った人達の思いとか、きわちゃんの言葉とか雪さんの舞踏に
ものすごく、揺れて。私は緊張しいだから、司会とか本当は着物の下、
汗だくでやっていて。人前に立つと心臓が痛くてしょうがなくて
大変なんだけど、揺さぶられて気持ちいいくらいに揺れるっていうことは、
本当に少ないから、貴重なことなのです。
レッツチャットのことですごく心が揺れて、
それまでにすっかり忘れていたことも思い出した。そういえば、私の本当のおじいちゃんは、
私が生まれる寸前に脳卒中で倒れて、私が生まれた時は既に、言語障害と全身麻痺の、立派な障がいを持った人だった。
生まれた時からおじいちゃんは寝たきりで、言葉も「おーい」とか、「ほーい」しか
言えなかったんだけど。生まれた時からそうだと、それで普通だと思ってしまって。
私はそのおじいちゃんが、とても好きだった。
いつも同じ場所にいてくれたから。家族が留守で、私一人で留守番していても、
必ずおじいちゃんはそこにいて、「おーい、ほーい」と言ってくれたから。
おじいちゃんは、私が高校生になるまで家で寝たきりで暮らし、
テレビで相撲を観たり、夜の7時には吸い飲みで晩酌をしたりと何故か、
生き生きと生きていた。
気に入らない事があると、「おーい!ほーい!」と、身体中で叫んで。
うちのおばあちゃんやお母さんは、ハイハイハイ! と飛んできて
文句を言いながら「これだべ!」と、おじいちゃんの要求を当てていた。
おじいちゃんが死んだ時、私たち家族はパニックになって、
母親はおじいちゃんに馬乗りになり、
心臓めがけてバッコンバッコンとこぶしを打ち付け、なんと。
おじいちゃんを生き返らせてしまった。
見よう見まねで、心臓マッサージを必死に行った母親は、おじいちゃんを
もう一週間長く生き伸ばした。
だけど、おじいちゃんがその一週間後、やっぱり寿命が来て、70いくつかで
死んでしまったのだけど。その時の悲しみで、ストレスで一瞬、声が出なくなって。
電話口で会社にいる父親に、「おじいちゃんが死んだ」と、言わなければならなかったのに、ショックで言葉が1つも出てこなくて、苦しい音をはき出すだけの相手に、
お父さんは、何が起こったのか全部わかって、飛んで帰ってきてくれたことも
思い出した。
レッツチャットがあったら、おじいちゃんがもっと何を考えていたのか
わかったのかもしれない。
本当は、もっとすごいことを
私に教えようとしていたのかもしれない。
きっとそうだと思う。
おじいちゃんとは、目でしか会話しなかったけど。
その目はずっと、覚えている。
「スイッチさんは、守られているから」と、
人に言われた時に
真っ先に思い浮かぶのは、いつもおじいちゃんの、その姿なのだ。