無意味せんげん - 山田スイッチ –
山田スイッチは、一切意味を求めません。ちなみに7歳男子と3歳男子を田舎で子育て日記。
2010/09/04 カテゴリー: ブログ よかったこと はコメントを受け付けていません

田口ランディさんのブログで、意思伝達装置のレッツチャットの存続が、

決まったことを知る。http://runday.exblog.jp/15047679/

ああ、よかったなあ! 本当によかったなあ…! と思う。


ランディさんの言葉で、心に伝わったことが、全身が動かなくなるほどの

障がいを負っても、それを受け入れて生きている宮ぷーさんという

存在を知るきっかけになって、そして、とても大切な機械をなくならないでほしいと、

心から祈った山元さんのことを知って、すごく心が揺れた。


心が揺れるっていうことは、本当は少ないことなのです。


それなのに揺れたなら、そこに必ず何かあるから、

行って確かめた方がいいと、思うんだよね。


BOROに出会った時も確実に心が揺れたから、行って確かめに行った。

その結果、2月はイベントをやることになったり、色々だけど。


最終的に、そこに集った人達の思いとか、きわちゃんの言葉とか雪さんの舞踏に

ものすごく、揺れて。私は緊張しいだから、司会とか本当は着物の下、

汗だくでやっていて。人前に立つと心臓が痛くてしょうがなくて

大変なんだけど、揺さぶられて気持ちいいくらいに揺れるっていうことは、

本当に少ないから、貴重なことなのです。


レッツチャットのことですごく心が揺れて、

それまでにすっかり忘れていたことも思い出した。そういえば、私の本当のおじいちゃんは、

私が生まれる寸前に脳卒中で倒れて、私が生まれた時は既に、言語障害と全身麻痺の、立派な障がいを持った人だった。


生まれた時からおじいちゃんは寝たきりで、言葉も「おーい」とか、「ほーい」しか

言えなかったんだけど。生まれた時からそうだと、それで普通だと思ってしまって。

私はそのおじいちゃんが、とても好きだった。

いつも同じ場所にいてくれたから。家族が留守で、私一人で留守番していても、

必ずおじいちゃんはそこにいて、「おーい、ほーい」と言ってくれたから。


おじいちゃんは、私が高校生になるまで家で寝たきりで暮らし、

テレビで相撲を観たり、夜の7時には吸い飲みで晩酌をしたりと何故か、

生き生きと生きていた。


気に入らない事があると、「おーい!ほーい!」と、身体中で叫んで。

うちのおばあちゃんやお母さんは、ハイハイハイ! と飛んできて

文句を言いながら「これだべ!」と、おじいちゃんの要求を当てていた。


おじいちゃんが死んだ時、私たち家族はパニックになって、

母親はおじいちゃんに馬乗りになり、

心臓めがけてバッコンバッコンとこぶしを打ち付け、なんと。

おじいちゃんを生き返らせてしまった。


見よう見まねで、心臓マッサージを必死に行った母親は、おじいちゃんを

もう一週間長く生き伸ばした。


だけど、おじいちゃんがその一週間後、やっぱり寿命が来て、70いくつかで

死んでしまったのだけど。その時の悲しみで、ストレスで一瞬、声が出なくなって。

電話口で会社にいる父親に、「おじいちゃんが死んだ」と、言わなければならなかったのに、ショックで言葉が1つも出てこなくて、苦しい音をはき出すだけの相手に、

お父さんは、何が起こったのか全部わかって、飛んで帰ってきてくれたことも

思い出した。


レッツチャットがあったら、おじいちゃんがもっと何を考えていたのか

わかったのかもしれない。


本当は、もっとすごいことを

私に教えようとしていたのかもしれない。

きっとそうだと思う。


おじいちゃんとは、目でしか会話しなかったけど。

その目はずっと、覚えている。

「スイッチさんは、守られているから」と、

人に言われた時に

真っ先に思い浮かぶのは、いつもおじいちゃんの、その姿なのだ。