2011年の3月11日、青森にいた私の家は
地震で超揺れて、電気も消え、ストーブもつかず、
停電が続き、マジで寒かった覚えがあります。
実は、「わたしの3・11」という毎日新聞社から出た本に
エッセイを書かせてもらった私。
書いたエッセイは、茂木健一郎さんの編集で
ホリエモンもエッセイを書いてたこの本の中で異彩というよりは
異様さを放っていました。
なぜなら、私はどんな時でも自分が
お笑いエッセイストであることを忘れない土偶であると同時に、
どんなにがんばって真面目に書いても
どことなく面白さが漏れちゃう土偶だからです……。
あの当時は本当に、もうお笑いエッセイストで食べていくのは
ムリなんじゃないか? っていうくらい
世相が暗かったですYONE☆
もう転職した方がいいんじゃないか? っていうくらい。
でも、震災の援助に行く友人が多数いて、
その人達の取材をするうちに
「お笑いじゃなくても書ける」ことがわかり、
実を言うとその年、3月いっぱいで終了予定だった読売新聞青森版の連載が
震災のウヤムヤで連載終了を逃れ、
今では連載300回目を迎えるところです。
あれから4年経ちますが、
ここ2年ほど続けていることは、
夏に福島に行くことぐらいです。
川内村っていう、原発に近いけど風向きの影響で
放射線量が低い村で友達に会い、
田口ランディさんと20人ほどの参加者の皆さんとキャンプをして、川内村の美しい川で泳いだり
あぶくま洞の鍾乳洞の中を探検したり、
地元の人とキャンプファイヤーで踊ったりしています。
海辺まで取材で行くと、
津波の被害を受けたままの風景が残っており、
放射線の影響でそこは全然片付けもされず、
3月11日から時間が止まったままです。
川内村で会った福島の人は、
「事故の後、別に生活も変わらず楽しくやってるって言うと、
テレビで使ってももらえないんだよ~」と嘆いていました。
ようは、テレビで観る情報は、編集されているんですね。
どんな時でも、生活とか捉え方って人によって違うじゃないですか。
福島で楽しく暮らしてるYO~!
っていう情報は、なかなか上がってこないみたいです。
今日は突然の吹雪で、
4年前の震災の寒さを思い出します。
「そういえばあの頃、私まだ土偶じゃなかったなあ……」
とふと、思い出したりもしました。
毎年出かける福島の自然はいつでも、美しいです。