地元紙でコツコツがんばりながら
	連載200回まで約5年、つつがなく地元作家として
コツコツやってきたのですが、
これでも最初のうちは「月に一度は東京に行かなきゃ……」と
	思っていたんです!
	
	「青森県内は文章の仕事が極端に少ない。
	やっぱり、この道で食っていくためには東京とつながっていなきゃ……」と
	思い、何故か講○社とかに持ち込みに行って、
	板前マンガの構想を編集さんと何度も打ち合わせていたのですが、
	
	人見知りが激しく、普段通りでないことに
	めっちゃ緊張感を覚える私はその、緊張感に耐えられず、
	日に日に東京に行くのがしんどくなっちゃったんです☆
	
いえ、東京に行くのがダメなんじゃなくて、
	人に会うのが実際、ものすごく苦手なので、
地元の新聞社にも本当~に、
数年に一度しか挨拶に行ってなかったんですNE……。
	
	ダメの見本市みたいで恐縮ですが、
本当に私ってコミュ症かもしれないんです!
	新聞社に挨拶に行く時は、
	1時間以上前からビルの前に立って、
	
「行くべきか、このまま帰るべきか……」を
悩みますね。
	
	いや、帰っちゃダメでしょう❢???
	
	って誰でもわかるんですが。
もう、本当にお腹痛くなって帰りたくなるの。
	
	実際に会っちゃえばテンションも上がるし
	どうにでもなるんですが、
ビビリの私が人に会ってる時というのは
ビビり度MAXで、江頭2:50さんがテレビに出てくる時よりも
	緊張しているのです。
	
	
	
そこへ、東京から来ためっちゃ身体を鍛えていそうな、
大竹まこと似の、やる気度MAXの支局長が、平川市のわが家に
紙面改正という引導を渡しにやって来たのですYO……。
	ビビってますが、紙面を改正したいという話もわかります。
普通、一つのコラム連載が5年も続くなんて異常な話なんです。
「わわ、私は、占いができるので、その紙面改正占ってみましょう!!
いや、遠慮はなさらずに!!
ほう……これは、
大々的に改正しなきゃいけないって出てますね……。
再生の意味を表すコガネムシが出ています。
もう、過去に囚われずに新しくしろって出てるので、紙面改正はお任せします!」
	
そんなこんなで
自分で引導を渡してしまった私……。
	翌月の3月いっぱいで連載終了という約束が決まりました。
しかし、長く続いたので書籍化しましょう! ともご提案頂きました。
	
	「ああ……とうとうこの連載も終わりか……。東京に行って新しい仕事を
取ってくるか、いっそのこと職種を変えようかしら……」
	
	と、思っていたところに例の、
	
3・11の東日本大震災が起こったのです……!
	
to be continued……