無意味せんげん - 山田スイッチ –
山田スイッチは、一切意味を求めません。ちなみに7歳男子と3歳男子を田舎で子育て日記。
2007/04/28 カテゴリー: ブログ。 タグ: アースデイ六ヶ所村 六ヶ所村アースデイについて はコメントを受け付けていません

今年二月に開催した「占い大会」で、
一日17人(一人二十分)の人を占って、占って、占い倒していたときのことですが。

その占っていたお客さんの中に、

「私、手相が観れるんです! 山田さんの手相、ちょっと見せてください!」

という女の子がいて、「マジっすか!?」と言いつつ手相を観てもらったら、
その女の子は「ウムム!」とうなりながら、こう言ったんですね。

「うーん、なんか……心がざわついている感じがする……。」

と。

それを聞いてスイッチ母さんが言った言葉が、

「ああ……。そうそう。なんか、ざわついちゃうよね。核のこととか考えると……」

って、答えたんですが。核?

私の悩み事って、核かよ!?

というわけで、なんか核について二月から四月までずっと悩んでいたんですね。
わあ、めんどくさーい!!

まあ、ことの発端は六ヶ所村ラプソディーという映画を観たからなんですが。
どういうわけだか、この映画を観ると、
体中にエネルギーが湧いてしまう訳ですよ。

だけども、後から考えてみると、その正体は
怒りのエネルギーだったわけです。

怒りエネルギーのために、
「大変なエネルギーを得た」
と、
錯覚してしまうのですが。

怒って何かを解決しようすると、ろくなことがないという人生を歩んできましたから。
怒って何かを解決しちゃ、いかんよなあと、
怒れる自分にストップをかけたいと思うのです。

でも、なんで普段さほど怒らないスイッチ母さんが
こうまで怒ってしまうのかと、考えてみた結果。
二種類の怒りが、心の中に渦巻いていたのです。

一つは、「なんで私は何も知らないんだ!知らなすぎる!!」

という、なんつーか。「何も知らない自分に対する怒り」

と、

もう一つはなんていうか、

ぎゃふん!

ていうか、

あの映画を観て怒らない人って、いないと思う。

映画がなんていうか、必ず「義憤」に燃えるように作られている感が
あるのですよ。
ただし、ただしですよ。
全部が本当ならね……。

ここ二ヶ月の間、
地味~に、自分なりに原子力発電について勉強していたのですが。
なんだか勉強すればするほど、
原子力発電って、安全なんじゃないか…? っていう
気持ちが出てきたのです。

六ヶ所村ラプソディーを観ることで、
核への関心が高まり、そこでわかった気にならずに
きちんとした情報が隅々に行き渡るなら、
この映画の役割というものがわかります。

が、
どうも、日本原燃の説明会の記録とかを、
ずーーーっと読んでいると、

あの映画で観た一方的な、
村民の話を全然聞かないような説明会の雰囲気とは、
なんか違うんですね。

原燃の人は、一つ一つの質問に、ものすごく丁寧に答えていて。
なぜ、映画であれほどまで憤ることができたのかが、
わからなくなってしまったのです。

映画の中では科学者の説明も、きちんとフルネームで名前を出している人が
答えているわけですが、
科学者の意見というものは、「同じ数値を扱っていても、十人いれば十人ともいう言葉が違う」
と、原子力の取材を三年ほど続けていたTV局の友達が教えてくれたので、
どの意見を参考に編集するかで、
映画の内容はずいぶんと変わってしまうのではないかと思うようになりました。

放出される放射線というものも、
映画を観た後ではなんか、
「目には見えない毒」が、海中にまき散らされているような。
そんな、印象しか受けなかったのですが、

実際は、まいにち放出される量も上限が決まっていて、
年間を通しても、自然界に存在する放射線の量と、さして変わらないのだと、
村民の不安にきちんと答えている、原燃の人がいたんでした。

あとはもう、好き嫌いだから。
原子力発電が好きかって聞かれたら、そりゃ、なきゃない方がありがたいですよ。
だけど、日本の電力供給の三割を担う原子力っていうフレーズを聞いて、
残り七割は自然エネルギーなんかな?なんて思うと大間違いで、

残り六割が火力発電で、
一割に満たないのが水力発電で、
その他が風力とか、そんな感じなんだから
将来的に二酸化炭素出したくないとすると、
原子力に頼らないで火力もゆくゆくは止めてとなると、

九割の電気を使用しないなら、という話になる。
九割っすよ。九割。
自分の家で九割の電気を止められるかどうかを
考えてみたところ、
相当、難しいんですね。
九割。おそらく、冷蔵庫とかで使える電気は使いきっちゃいますね…。

こういうことを考えていると、
自分の中のエコロジスト・山田が出てきて、
「そんなの、電気なんかなくても生きていけるよ!!昔は電気なんかなかったじゃん? 
裸足で野原を走ればいいじゃん!」
と、時折叫ぶのですが、

人間ってのは、慣れる生き物なんで。
あってもなくてもの前に。強制的に強いられないと、ないことに慣れないと思うんですね…。
電気がないと、おそらく経済も滅ぶでしょうし。
そうなると、巨大インフレとか起こるでしょうし。

だけどまあ、電気料金が安すぎるのは
少し問題だと思っています。

今、一番不安なのは、
STOP ROKKASHO という再処理工場の運転を止めようという動きが、
実際に工場の運転を止めた際に、
既に再処理工場にあるプルトニウムを、
安全に管理していけるのかどうかという、ことです。

原子力発電について、賛成するのも反対するのも、
おそらくは、パソコンの文字を観ているだけでは、やっちゃいけないことなんだと
思います。

だから、今日書いているのは本当に、ただの日記です。
ほんまに最近、こんなん考えとったわーという、ただの日記なんです。

画面の上では何でも言える。
だけど、実際はどうなのか。
自分とは違う意見も探してみて、
どこか一部だけではなく、
誰にも編集されていない世界を
自分の身体を使って、
自分の目で見ないと
、いけないんだと思います。

今年の夏は六ヶ所村アースデイが開催されます。
6月23日、24日
アースデイって本当は嫌いなんだけど、
実行委員のヤツらがすごくアホみたいに可愛いヤツらだったので、
(六ヶ所村にカフェをつくろうとしていたあの二人です。)

カンパ返礼用のはがきに参加させていただきました。
賛成とか反対とか、関係なく楽しめるお祭りにしたいと
彼らが言うのを聞いて、安心しました。

なんていったって、エコ暮らしの目標に、
「バナナで釘を打つ」とか「泣いて馬謖を斬る」
なんて掲げてるヤツらですから。

このカンパ返礼用はがき、私以外では∀kikoさんとか、弘前出身のアーティストMAJIOさんが
参加されています。

∀kikoさんやMAJIOさんの絵を見ると、本当に平和っていうのは、
私の考えているような薄っぺらいことではなく、
ただ、この絵の深さに引き込まれて、何も考えられなくなるような
そういったものの中に、あるのだと思えてきます。

はっきりいって、私の絵があるのは場違いです。
だけども、エレキとテンダーの役にちょっとは立ちたいじゃん? 
という気持ちで描きました。

私からの、平和のメッセージは

”NOT GET ANGRY”

自分が一番できない、「怒って何かをしようとしてはならない」
ということを。
私はバカだからすぐ人に乗せられて怒るけど、人にはなんとか怒らずにいてほしい。
多分、すぐ怒ったりして単純にものを言っちゃうバカは私一人だと思うのですが…。

自分に言い聞かせるように。
NOT GET ANGRY