無意味せんげん - 山田スイッチ –
山田スイッチは、一切意味を求めません。ちなみに7歳男子と3歳男子を田舎で子育て日記。
2010/02/10 カテゴリー: ブログ。 タグ: 古老 古老に聞く はコメントを受け付けていません

田中忠三郎さんのことが、考えれば考えるほど

面白くて、ここのところの私のトピックと言えば

タナチュウ先生のことばかりになっているのだけども。

この、人に会って何かが壊れて、新しいものがそそり立ってくる

感じというのは、本当に。


人生の醍醐味だなあって思うわけです。


例えば。


パンツって、みんな案外はいているんじゃないかと思うんだけど、

タナチュウ先生の小学校の頃は、パンツをはいている子は誰も

いなかった。


小学校の時、町から転校してきた子がパンツをはいていると聞いて、

みんなして「パンツって、どんなもんなんだ?」と

めくってみたという。

それまではパンツなんてはかなくても良かった、というか

パンツそのものがなかった。


フンドシをはく人もそうそういなかった。

腰巻きは、巻いてる暇がないぐらい、昔の人は情熱的だったそうです。


そういう、ものすごく当たり前だと思っていることが

当たり前でなくなる時っていうのが

私の中ではすごく、ググッと来るものがあって。

田中先生はそのまた古老からお話を聞いて歩いた人で。


昔は、お産で障害をもった子が生まれると、

「この子、戻すか? 戻さねか?」と産婆さんが産婦に聞いたそうだ。

その「戻す」というのは、「腹の中に戻す」ということで。

腹の中に戻すは、産まれてくる前の世界へ戻す…ようは、

殺してしまうことを言っていた。


そして、

その亡骸は、馬小屋の前に埋められた。

馬小屋の前は、よく馬が土を踏む。だからその子は早く土に還る

ことができる。そしてまた産まれてくるのを待つのだ。


このお話からタナチュウ先生は、

縄文人が何故人の出入りの多い家の入り口に子供の遺体を埋めたかを解き明かした。(しかも子供の遺体は母親の胎内を真似た土器棺に

入れられ、母の胎内にいたときのように逆さまに入れられる。そして必ず、一緒に石が入れられた。)


土踏みは、「早く返っておいで」 という意味なのだ。

縄文晩期の土器を8年も掘り続けたタナチュウさんのお話は、

インスピレーションに富んでいるが、

私には何故かどれもが実感として感じられる。


下北のけいらんは、祝いの席では必ず漆塗りの、

外黒・内赤の椀に入れて供される。

この外黒、内赤という言葉も、私にはまるで人間の身体の中を巡る

真っ赤な血液を思わせてならない。

生きているということその神秘を表す色は、赤でしか表せないのでは

ないかと思う。


今度、6月にタナチュウ先生は、木村秋則さんと茂木健一郎さんと

お話をするのだそうだ。茂木健一郎さんのことを考えながらコンビニに寄ったら、なぜか茂木さんの本が置いてあって、

読んだら「人生は偶有性に満ちている」と書いてある。

偶有性とは、これから起こることが50%は決まっているけど、残りの50%は決まっていないということ。

ようは、「どうなるのかわからないこと」と、

書いてあった。


そのことにびっくりした。

私は、毎日、これから何が起こるかわからずに生きていて、

それが不安でもあり、快感でもあるのだけど、

そのことをこうも端的に言葉に表す人がいるのか! と

感動した。

そして、どれを読んでも(私にとって)面白いことしか書いていない。

なんで、うちの近所のコンビニにあるんだ?

茂木さんの本よ……。


そういう、小さいことなんだけど今、私の周りには小さい爆発が

ぼっかんぼっかん起きてて、

とてもじゃないけど処理しきれないほどなんだか

心臓がドキドキしている。


14日、会える人はぜひ、会いましょう。

私って、こんな人です。



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