無意味せんげん - 山田スイッチ –
山田スイッチは、一切意味を求めません。ちなみに7歳男子と3歳男子を田舎で子育て日記。
2007/03/27 カテゴリー: 書評のようなもの。 タグ: さくらん映画 映画「さくらん」 はコメントを受け付けていません

映画「さくらん」を観てきた。
この映画の凄いところは、目をつぶって黙って聞いている
声が、自分が漫画を読んでいる時に脳の中で勝手にイメージした声と、
まったく同じだったこと。

声のイメージはとても大事だ。
私の中では顔のイメージより優先される。
どうしてこんなにぴったり来る役者を揃えられたのかが、不思議なくらいだ。
きよ葉役の土谷アンナちゃんはきよ葉そのものだったし、
惣次郎役の成宮寛貴の声が私の中の「惣さま」そのものだった。
あと、女将役の夏木マリがすごかった…。

映画の始まりのシーン。吉原遊郭のほの暗さ、
胸をわくわくさせる夜の喧騒はぐっと来る。

映画監督に蜷川実花、音楽に椎名林檎と聞いた時は
そこまでやると逆にギャグみたいになっちまわないかと思ったが、
こんなに「さくらん」の世界を、描き切る監督って映画を観た後ではもう
蜷川実花以外に想像が付かない。
吉原の大門に浮かぶ金魚の水槽はきれいだった。

「ほれるも地獄、ほれられるも地獄。色がなければ 生きてもゆけぬ」

原作の「さくらん」を読んだときに、
一番に思ったのは、
杉浦日向子さんの世界を描ける人は、
安野さんこの人かも知れないということだった。

江戸の風俗を研究し、
研究したという言葉では説明できないほど
江戸というものを漫画で、ザサーッと見せてくれた杉浦日向子さんが
亡くなったとき
もうこの人の描く世界は見ることができないのかと悲しくなった。

内田春菊さんが漫画家として筆を折った杉浦さんに漫画を描いて欲しくて、
杉浦さん原作の漫画を描かれたことがあったが、
それはやっぱり内田さんの世界だった。

何故だか知らないが安野モヨコさんの「さくらん」を読んだとき、
杉浦日向子さんの「百日紅」を読んだときのような、
江戸の夕暮れに濡れた髪をかきあげて、風に吹かれた一瞬に
何もかも全てが、人生がそこにあるという、
感覚を持つことができた。



杉浦 日向子
百日紅 (上)



杉浦 日向子
百日紅 (下)



安野 モヨコ
さくらん

吉原遊郭、「さくらん」の世界が現実に、色鮮やかに映し出された映画。
遊郭の煤払いのシーンは、もうすぐ来る正月を予感して胸がわくわくする。
映画「さくらん」の公式HP
から、その雰囲気を感じ取ってください。