「明日の天気」と同じようなノリで「昨日の仏教」と
書いてしまいましたが。
ついつい、先日は熱く語ってしまいましたね……。仏教は面白いなあ。
仏説譬喩経のお話を聞くと、
なんだか欲って悪いことなのかしら?と思ってしまうのですが、
欲は欲でも、いやな欲といい欲があると思うんですね。
それは多分、傍目から見てやな感じだったらダメな欲で、
傍目から見ていい感じだったら、良い欲なのではないかと、思うんですよ。
いや、仏法ではこんな話しませんけどね。
私個人の見解として。
たとえばうちの子は三歳なのですが。
三歳児って、良いことと悪いことの区別はついてないじゃないですか。
だけども、あれだけ正々堂々としている人間はいないと思うんですよ。
嫌いな野菜投げて怒られても、「なんで?なんで?」
って、本当に何でダメだか知らないし。
ご飯よりもお菓子の方が美味しいから
お菓子をよこせって言い張るし。
欲しいものは「ちょっだ~い!!ちょっだ~い!!」
って叫んで泣いても手に入れたいし。
お母さんがよその子を抱っこしてると嫉妬して
どけようとするし。
三歳児にして既に、欲は完成しているわけですよ。
だけど、子供はやらしくない。
全然、やらしくない子供であり続けるためには
どうあったら良いものなのか。
そういうのを考える時に、「神様の前でできるかどうか」っていうのを
考えてみることにしようと、今年思い立ったんです。
神様じゃなくても、お釈迦様でもイエス・キリストでも、なんでもいいんですけど。
たとえば。
私は口から火を噴くのが好きだけど、
その「噴きたい」欲は、
神様の前でも堂々として火吹き、出来るじゃないですか。
間違ってウォッカが手について手に火が付いても、
何の後悔もありませんよ。
そういうことだと思うんです。
それが、やりたいことが課長に対するいやがらせだった場合。
流石に神様の前で堂々と課長の机に菊の花の花瓶を置いたり、
課長の家に無言電話をかけたり、給湯室で課長の悪口ベストテンを決めたり……。
そういうことは、やっぱり隠れてやるんじゃないかと思うんです。
できることなら、正々堂々と。
課長の前で菊の花瓶を持ってきて、課長と殴り合いのケンカになるぐらいの
爽快さが、求められていると思うのです。