無意味せんげん - 山田スイッチ –
山田スイッチは、一切意味を求めません。ちなみに7歳男子と3歳男子を田舎で子育て日記。
2007/04/16 カテゴリー: ブログ。 タグ: 最悪自分自身 最悪の敵は自分自身 はコメントを受け付けていません

どうも。パソコンが一度死に、生まれ変わりましたスイッチです。
きっとこれは、「おまえもいい加減に生まれ変われよな」という、
パソコンからのメッセージだったのかもしれないのです。
・・・生まれ変われって、どういうこと?

文字通り、「死んで生まれ変われ」ってことなんでしょうね。
あああ、前までのパソコンだったら「にこ」と打てば
かわいいフェイスマークが出てきてくれたのに、
もうかわいいフェイスマークが一発で出てくれることはないのか・・・。
もう顔文字を使う年でもないのか。子持ちだし。

そんなわけで、
タイトルの「最悪の敵は自分自身」というのは、
岡本太郎の言葉なのですが。
本当に私は私自身が鬱陶しい敵になることが頻繁にあり、
そういうことはなぜ起こるのかというと、いつも
人を好きになりすぎるときに
起こるんですね。

好きになりすぎてはならないと、
何度も何度も自分に言い聞かせるように
そんなコラムも書いているのに
好きになりすぎて自分が破滅する。

これをどうしたらいい?

そう思って気づいたのは、
良く生きようなんて気持ちは捨てることなんですね。

好かれようとする努力をしている限り、
私は卑屈になって禍々しくなる。

好きで好きでしょうがない気持ちを捨てても
「好かれ合う」という領域は、
案外と、普通すぎてつまらないものかもしれないのだけど
焦がれすぎてる自分ほど
焦げ臭くて嫌なものはない。

そんなわけで、悪ですよ。
WELCOME TO  悪   ですよ!

悪の側にいるヤツが、いちいち自分のしたことや
大気汚染なんかを憂えて悔やんで悩んでめそめそしている姿を
私はテレビで観たことがない。

悪の側にいるヤツはいつもなんか知らねえけど、
ステーキみたいなゴージャスな食い物食って、
ワハハハハ! とか ガハハハハ!
とか豪快な笑い声を上げているのですよ。

もう、豆乳飲んでる場合じゃないよ!

もっと、自分の中の悪を正直に認めて、
もっと、自分がよいことをしているなんて微塵たりとも思わないで、
自分の悪を振りまくときには、「ガハハハハ!」と
豪快に笑って人をひどい目に陥れればいいんですよ!

おお・・・、なんて非道いヤツなんだ・・・・。
聴いてハッスル!観てハッスル!だ・・・。(意味不明)

以下、岡本太郎さんの著書『自分の中に毒を持て~あなたは”常識人間”を捨てられるか~』
から引用です。

以前に大事なところを折りながら読んでいたら、折れ線だらけになってしまった本です。

とかく、みんな自分を大事にしすぎる。自他に甘えているんだ。
ほんとうに自分の在り方を、外につき出していない。だから、裏目が出てきてしまう。
 
 自分でもそれを感じるだろうし、相手も裏目を感じて、深くつきあおうという気にならない。
 なぜ、友達に愉快なヤツだと思われる必要があるんだろう。
 こういうタチの人は自動的にみんなに気をつかって、サービスしてしまうんだろうけれど。
それは他人のためというより、つまりは自分の立場をよくしたい、
 自分を楽なポジションにおいて置きたいからだということをもっと
 つきつめて考えてみた方がいい。

 もっと厳しく自分をつき放してみたらどうだろう。

 友達に好かれようなどと思わず、友達から孤立してもいいと腹を決めて、
自分をつらぬいていけば、ほんとうの意味でみんなに喜ばれる人間になれる。

 自分で自分のあり方がわかってやることなら、もう乗り越えているはずだ。
自分自身にとっていちばん障害であり敵なのは、自分自身なんだ。
その敵であり、障害の自分をよく見つめ、つかんだら、それと闘わなければいけない。

 戦闘開始だ。

(中略)

 だめになって結構だと思ってやればいい。最悪の敵は自分自身なんだから。
自分をぶっ壊してやるというつもりで。そのくらいの激しさで挑まなければ、
いままでの自分を破壊して、新しい自分になることはできない。

(中略)

 矛盾は結構だ。
 矛盾を、むしろおもしろいと考え、そのズレを平気でつき出せばいいのだ。
そうすれば、いままでのオッチョコチョイとは違ってくる。今度はみんながホントウに
よろこぶ不思議な魅力をもった人間になる。

 自分をごまかせない人は当然悩む。とりわけピリピリとそれを意識して、辛い。
だが、実は誰でも感じていることじゃないか。

 あなたは言葉のもどかしさを感じたことがあるだろうか。とかく、
どんなことを言っても、それが自分のホントウに感じているナマナマしいものとズレているように
感じる。たとえ人の前でなく、ひとりごとを言ったとしても、なにか作りごとのような気がしてしまう。

 これは敏感な人間なら当然感じることだ。言葉はすべて自分以前にすでに作られたものだし、
純粋で、ほんとうの感情はなかなかそれにぴったりあうはずはない。
 何を言っても、なんかほんとうの自分じゃないという気がする。
 自分は創造していない、ほんとうではない、絶えずそういう意識がある。自己嫌悪を起こす。

 そんなとき自己嫌悪をのり超えて、自分を救う方法が二つあると思う。

 まったく自分を無の存在と考えるか、あるいは徹底的に


・・・・・続きは本屋さんで!



岡本 太郎
自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間”を捨てられるか


さすが、悪やで!!