無意味せんげん - 山田スイッチ –
山田スイッチは、一切意味を求めません。ちなみに7歳男子と3歳男子を田舎で子育て日記。
2006/03/03 カテゴリー: ブログ。 タグ: 殴り合い結果 殴り合いの結果。 はコメントを受け付けていません

 自分の限界を決めているのは、自分である。
 
 
 
 
ということを、ケンさんと殴り合いのケンカをしながら
考えていたのですが。
 ここ数ヶ月の間、一体「受け入れる」ということは
 どういうことをいうのかとか、
「謙虚である」べきというのは、どうしてなのかを
ずーっっと、考えていて、全部が起こった今ようやくわかったのでした。

人ってのは、自分で決めたこと以外は受け入れられないんですよ。

皿割り大会で三味線を演奏してくれた倉内早苗ちゃんは
お母さんが津軽三味線と民謡のお師匠さんであって、
ここの「やまぶき会」は、非常に厳しい練習があることで
有名なのですが。
この早苗ちゃんは若干二十三歳とかなのに、
小さい頃から三味線をお母さんに習っていて
すごく凛としていて美しいくらい謙虚な女性なのですよ。
三味線も民謡も、張りがあって胸に来る。
そこには芸事に対する真摯さがある。

「お母さんではなくて、師匠です」と、
早苗ちゃんの口から聞いた時、早苗ちゃんの
真摯な姿勢が見て取れた。
芸事の師弟は「師匠の言うことを全て受け入れる」と、

自分で決めているから全てを受け入れられるのであって、
尊敬する人の言うことは、
受け入れる以前にポンポン入ってくるんだよね。

だから、人の話を聞く、人の言うことを受け入れるには
自分が決めてこの人を尊敬するというのがなくては成立しないのですよ。
だから対等な話し合いをするためには友人同士の間にも尊敬がなきゃ成立しないし、
親と子の間にも尊敬がなければうまくはいかない。

尊敬がなくても言うことを聞かせるってのはもう、
宗教みたいなものじゃないですか。

社会的にどうとか、世間様がどうってのは
単なるその国の宗教だから。尊敬できる社会か、尊敬できる世間かにも
よると思うんですよ。だけど、

本当に尊敬する人が言ったことを
スッと受け入れられるというのは、信仰だと思うんです。
なんか、やっとわかった気がする。

それで、謙虚さというものが何故求められるかというと。
自分が低い位置にいないと、世の中にある素晴らしいものたちを
受け入れられないから。


高低差は尊敬を表していて、自分が傲慢になっているとき、
その位置は鼻だけが高い位置にあるみたいになって、
何も受け取れなくなっている。

謙虚さというのは、低い位置でたくさんのものを受け入れるために
必要なんだと思う。鼻だけ高いと鼻が邪魔で見れないから。
受け取るべき能力や世界を受け取れなくなるから。

あと、尊敬できる相手のことは何でも受け入れられるけど、
尊敬できない相手のいうことは何故自分の中に入ってこないのか。

相手を受け入れられなくて苦しいというのは、相手の中に尊敬を
見つけられなくて苦しいのだと思うんですよ。

そしてそんな相手を受け入れ、尊敬するには
自分を変える必要が出てくるのだと思う。
「自分を変えるか変えないかに」かかってくるんだと思う。

やっぱり何もかもは自分次第なわけで。
受け入れるか受け入れないか。
そこまで来たらもう勘に頼っていいんじゃないかと思うんです。
自分が変わるべきか変わらぬべきなのかは、
勘でわかるんじゃないかと。

長々と続きましたがケンカの真っ最中に私が考えていたことは、

「ケンさんのことは尊敬しているから
とりあえず何を言われても受け入れよう」

ということなんですよ。

ケンカというのは、相手の言葉尻を捕まえたり
「あのときこうした」「お前がああした」とか
言い出したら破局するまで終わらないんですよ。
「自分が正しい」と思ってるうちは終わらないんだよね。
実際、私は悪いことをたくさんしているし。

嘘ついて子ども預けてライブに行こうとするし。
あんまりいい母親じゃないどころか、この母親はワルイですよ!?
ワルだよ、ワル。

だけどケンさんのいうことやバッチャの言うことは
尊敬してるから全部受け入れられると思うんですよ。
殴り合いというよりもケンさんに一方的に頭をグーでごんぎり
やられてんだけど、(三十間近でげんこつされる私ってなんだ…。)

「ストレスは発散するな! 我慢しろ!狂いそうなら狂え!!」
とか田嶋陽子が聞いたらすごい勢いで怒ってきそうなこと言ってるんだけど
とりあえず一理はあるんだよね。
なおかつ「米に噛むと書いて味の店「ベッカム」とか
ネタまで挟んでくるしね。

そんなこんなで殴り合いの後、ケンさんにも
育児参加してもらえることになりました。
(これはすごい前進なんすよ!!)

ケンさんも吸いたくもないタバコを吸わずに済むようになったし、
私も飲みたくもない酒を飲まなくてもよくなった。

そういうのは全部、サインだからさ。
相手に気付いてもらえなきゃ意味ないんだよね。


だけど「自分はこんなにもうキツイんですよ、限界ですよ」
って、知らせるために飲んでも吸っても
結局殴り合いになるまで伝わらないんだから
殴り合って正解でした。

さて、今回の締めは
私の尊敬するバッチャの一言。

「子どものことで親がケンカするのは、
世の習いダモノ。」

だはああっっっ!!
『世の習い』ダモノ……。
これだからケンさんの嫁は、
やめられんのですよ。