無意味せんげん - 山田スイッチ –
山田スイッチは、一切意味を求めません。ちなみに7歳男子と3歳男子を田舎で子育て日記。
2009/02/12 カテゴリー: 書評のようなもの。 タグ: 火の鳥 火の鳥 はコメントを受け付けていません

朝からケンさんの本棚にある『火の鳥』鳳凰編を読んでしまって、
手塚治虫は凄すぎて、愕然としてしまう。

我王が言う。

「おれの一生はのろいと苦しみとうらみに血ぬられていた……」

我王よおまえだけではありません
一千年前
一万年後の世の人間も
すべていかりにつつまれた人生をおくったのです

「なぜ?それはなぜ?
なぜ人間はいつもいかり苦しまねばならんのか?」

「人間はいつまでこの苦しみといかりがつづく?」

永久にです。
そして我王 おまえは
その人間の苦しみを
永久にうけて立つ人間なのです

(『火の鳥』鳳凰編 手塚治虫 KADOKAWA 絶品コミックより)

我王の彫った石像の迫力は
手塚治虫の魂の底から来る表現で
見た途端に怖い、と思う。
怖くて、まさに惹き込まれる。

そして両腕を失った我王が見た
美しいこの世……。
太陽が昇り、草いきれを放つこの世界。
大地にしっかりと根を張った樹は、
この世のすべてをものがたっていた。

手塚治虫作品は、自分の中で何かが変わる毎に、
まるで別の作品に見えてくる。
我王の物語がこんなお話だったなんて
中学校の頃は想像もつかなかった。

あまりのすごさに声を失うのが、
「火の鳥」のすごさだと思う。

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