無意味せんげん - 山田スイッチ –
山田スイッチは、一切意味を求めません。ちなみに7歳男子と3歳男子を田舎で子育て日記。
2005/11/23 カテゴリー: ブログ。 タグ: 神輿 男神輿を担がないかい? はコメントを受け付けていません

冬に、光文社知恵の森文庫さんより、

一冊本を出せることになりました!

そういうわけで、妊娠中から一冊分原稿を書き下ろし、

産後は校正ばっかりしていたのですが。そいつがどうにか形になりそうなのです。

いくばくかのボツを残して……。

ボツ……。ボツは、普通に訪れる。

なんでボツかというと、私の場合う○ことかち○ことかの単語が多すぎて、 

ボツにでもしないと編集の方が「うんこかあ……。」と、仕事に対する意欲を失ってしまうのではないでしょうか

そう言うわけで本日は、かわいそうにボツになった原稿。つまりは、「ボツ稿」をお届けしたいと思います。祝日だし。お楽しみに。

 

「男神輿を担がないかい?」

 付き合っていた男性を、痔にしてしまったことがある。

 そんな過去のある女、山田スイッチです。

 とりあえず今回は芸祭の話の前に、その、痔になった経緯とかをお知らせしたいと思うッス。

 あれは約七年前のことだった。当時地元で女子大生として暮らしてた私は、通ってた大学の文化祭がその年でなくなるという地味な噂を聞いていた。そして中止になったらその祭の期間は、ただの授業になるというのだ。よその学校が祭りだなんだの浮かれ騒ぎの時に授業……。悲惨である。

 我が校の大学祭は祭りとしては全然機能していなかったのに、棚からぼた餅的な「連休」として、作用していた。が、それに乗じて帰省する学生が後を断たず、「やっても意味ないね。」と、あらゆる人に悟られて。学祭はとうとう中止に追い込まれたのだった。

 ただでさえサエナイ大学のサエナイ文化祭がなくなるというのはもう、「終わり」を宣告されたようなもので。それはそれはダメな雰囲気に包まれた。が、それを蹴破るような噂が一つ飛び交ったのだ。

「学祭費の百万円が、余っているらしい……」と。

 

 そして、今年度の学祭をやる者には、その百万円が「タダで自由に使わせてもらえる!らしい」と!

 

「百万円を自由に使っていい」という噂を聞いて、私は思わず乗り気になった。

 当時、大学祭を取り仕切る大学祭の実行委員達は、毎年の過酷な労働に耐えきれず、全員が逃げ出しており、顧問も頼りようがない俺様マインドの野外活動研究家であって、本当に何の手助けもしてくれず、百万円は文字通り「自由に使って」良さそうだった。

 それで集まったメンバーはたったの7人。文化祭をやる上でこれ以上少ない人数では無理といった数字である。が、なんだかよくわからないけど、集まってしまった私としては。百万円で花火を上げて、しゃぶしゃぶを食べながらビールを飲むイベントをやりたいのよ! という変な意気込みに乗ってしまったのだった。

 

 しかし、いざ学祭をやろうとすると問題になるのは「テント」だった。まだ少数ながらくすぶっていた体育会系の部活動の模擬店を出すためにテントは必要であり、また、しゃぶしゃぶ以外にやりたいことも盛り込まないと、本当に大学祭の内容というものはスカスカになってしまい、私は集まってくれた同志に

「バンブーダンスをやりたい!」とか、「実物大の人間プリクラを撮りたい!」とか「生まれて初めての合コンを、魅惑満載にしたい」と言って。ない人数をさらにギリギリの状態まで追い込んでいったのだった。

 

 集まってくれた同志は私の願いを叶えるために、本当にがんばってくれた。こんなバカな願いを叶えようなんて……一番バカな人が、一番先頭に立ってしまった悲劇である。

 

 そして更に悲惨だったのは、そんな私を彼女に持った夫のケンさんだった。彼はいつの間にかこの、アテのない大学祭準備に巻き込まれ、女しかいない我々のために黙って重いテントを一人で運び、黙々と一日八台のテントを建て続けた。思えばこの頃からケンさんの受難は続いていたのである。私という嫁は、思いついたらすぐに実行するのはいいが、ろくなことを思いついた試しはないのだ。


「ブラジルに行って、焼きサンマをブラジル人に食べさせたい!」

 そんなことを思いついてブラジルまで渡航しても、そのサンマの詰まったクーラーボックスを持って歩くのはケンさんだ。

 男手がないと文化祭というものは本当に辛く、乗り切れないものがある。何をやるにもテントは必要であり、そのテントを台風の中、黙々と運び続けたケンさんは極度の過労から、「痔」になってしまったのだ。

 

 文化祭は通常、秋に行われる。その年以降、毎年秋が来るとケンさんの「痔」はぶり返し、お尻にぽっこりとした小さなイボ痔が顔を出すようになったのだ。まるで風物詩のように、文化祭の季節になると無意識にケンさんがつぶやくのだ。

「おしり痛いよう…。」

「今年も!?

 そしてみるとぽっこりとした「痔」が顔を出しているのである……。私は泣きたくなった。私とケンさんが結婚したのは、この「痔」のせいなのかもしれない……。ケンさんの「痔」をみる度に私は、(この人の痔の面倒は、一生アタシがみていかなきゃ…。)という気分になるのである。

 

 さてさて、そんな痔の季節・秋。東京では武蔵野美術大学・芸術祭……通称、「芸祭」が行われる。この大学の芸祭は兎にも角にも規模がデカイ。毎年四日間のイベントで、参加者およそ二千人。来場者は二~三万人にも昇るという。分厚いパンフレットが販売され、なおかつそれが飛ぶように売れるのだ。

 今から十年前、私が大学入学当初十八の歳、友達がムサ美に通っていた私は何度か芸祭を見に訪れたのだが、その規模のデカさと祭りの熱狂振りは「これはアフリカの成人式か!?」と思えるほどに激しいものだった。


 

 模擬店の小屋はほとんどが学生達の建て込みで、出てくるメニューもタイ料理、インド料理、ベトナム料理に、焼き鳥、一杯飲み屋。エトセトラ。あらゆるものが格安で味も良く、まるでインドか中東の市場を訪れてるみたいだった。

 

 芸祭では三千円あれば確実に、朝から晩まで酔っぱらっていられる。よく覚えているのはラグビー部の出した模擬店で、外見があからさまにあやしくどピンクに塗られ、壁にはロマンポルノの文章が黒のペンキで書かれた模擬店が出ており、中に入ったらそこは、ラグビー部員によるゲイバーだった……。しかも、何故か全員、手慣れているのである。誰か本職が混じっているんじゃないか? というほどラグビー部のゲイバーの濃さは、新宿二丁目並みだった。

 あまり記憶にないのだが、そのピンクの小屋だけ、林の中に建っていたような気がする……が。きっと気のせいなんだろう。

 

 模擬店をくぐり抜け、私は「テクノ部」とデザインされたテクノ部のシールを買い、外に出ると、辺りは夕暮れ時だった。笛の音が響き渡り、夕焼けの中、ものものしい警備のハッピを着こんだ祭の実行委員達が、非常灯を振りつつ、大きな声で叫んでいた。

「男神輿が来ます! 男神輿が来ます! ここは通り道になりますので! 危ないデスから、下がってて下さいッッ!」

 

 それはそれは厳重な警戒態勢で「神輿」の到来を告げる彼・彼女らは、「死者が出ますから、下がって下さいッッ!」と叫び、やがて引っ張るメンツが遠くから、「よ~そろ~」とかけ声をかけ、現れ始めたのだ。それは、どう見ても朝から飲んでますオーラいっぱいの、荒くれた「男神輿」の登場だった。


 男神輿……! 男神輿とは、どう見ても男性のシンボル、ち○この形をした巨大な御神輿だったのだ。祭りのテンションは振り切れんばかりである。男神輿にまたがった男子は喝采の拍手を浴びながら、酒をかっくらっていた。巨大な男神輿によって辺りは興奮に包まれ、祭りというものはエロスと結びついているんだ! と私に大きく悟らせた。そしてわかった……!

 

 何故に私の大学の大学祭が盛り上がらなかったのか、今ならわかる。

 ちんこだ。女子大には、ちんこが足りなかったのだ! 

 大いなるエロス……「生きる力」に、「ちんこか……!」と。夕暮れの中、ひとしきり納得していた私がいたのである。