25日に開催した、「竹山にありがとう」へ足をお運びになって下さった
皆様方、本当にありがとうございます。
当日は、突然の雨にもかかわらず
100人を越える方々が、西川洋子さんの弾く
高橋竹山の津軽三味線を聴きにいらして下さいました。
中には、アメリカのカリフォルニア州から観光でいらして、
遊びに来て下さった方々も。
西川さんの堂々とした三味線と話芸。
本当に、魂が座っていて格好良くて。
深くて、たまらない音が
竹山の三味線から奏でられたのでした。
「竹山先生に、今、西川さんが一番聴かせたい曲を、弾いて頂きたいのですが…」
最後に、こうお願いすると
西川さんは、
「うちの先生は、おらの若い時代は、どこさいってもやる曲がありました。
津軽民謡ではありませんでした。先生にとって、ここが生きねばまねっていう原点に当たるんじゃないかと思うのですが。先生は、若い頃、北海道で物もらいをして、餓死寸前にあった時のことを語るんです。その時先生を助けてくれたのは、朝鮮の人だったのです。
先生は言います。
「北海道は、国内だ。だけど、竹山を助けてくれたのは、食べるものも持っていない、朝鮮の人だった。餓死寸前にあった竹山を仲間に入れて、食べ物を食わせてくれたせ。おかげで竹山、今、いるのせ……。そうでねば、餓死せ……」と。
そう言って竹山先生はいつも、アリランを奏でていたのでした。
洋子さんは語りました。「おらにとっての高橋竹山は、じょんから、あいや、よされ、十三の砂山もそうですが。気持ちの中で刻まれる竹山は、アリランかもしれません……」
そして、奏でられた津軽三味線のアリランは
本当に切なく、心の籠もった、語りかけるような音楽だった。
私は、会場に竹山先生が
いてくれたような気がしていた。
竹山先生、ありがとう。
西川洋子さん、本当にありがとう。
この会を企画された、田中忠三郎先生、工藤美緒子さん。
そして、みんなの大好きな、齋藤葵和子さん。
来てくれた、お客様。お花を贈って下さった、
倉田真由美先生。(同姓同名…!?)
私たちを繋いでくれた、高橋竹山先生に。心から申し上げます。
竹山先生、どうもありがとう ……!