無意味せんげん - 山田スイッチ –
山田スイッチは、一切意味を求めません。ちなみに7歳男子と3歳男子を田舎で子育て日記。
2007/11/29 カテゴリー: ブログ。 タグ: 腹六分で付き合いなさい はコメントを受け付けていません

悩み多かった二十代の若かりし頃は
友達が貸してくれた美輪明宏さんの
『生きるって簡単』が私にとってのバイブルだった。

人とは腹六部で付き合いなさい。
情緒溢れる音楽を聴きなさい。
発想の転換をしなさい。
ガラスでトタン屋根をこすりつけるような音楽を聴くのはやめなさい。
安くてもいいから美しい色の服を着て、
美しい色の家具に囲まれて生活しなさい。

精神の栄養失調になっていないで文化という栄養を摂りなさい。
地球には正負の法則があります。
プラスのものばかり欲しがるのはおやめなさい。
正と負が半分ずつでバランスがとれてるのが人生よ。
極楽に住んでいるのではないのだからこの世は苦しくて当たり前。
極楽で百年修行するよりこの娑婆世界で一日修行する方がずっとためになります。
あなたたちは地球へ修行をしに来ているのです。
心が柔軟で素直な人になりなさい。



美輪 明宏
生きるって簡単 苦悩の娑婆を生き抜く法華経の力―美輪明宏の悩み相談室

こういうことを、美輪さんは十年以上前から
口を酸っぱくして言い続けてきた。その甲斐あって、
今では誰もが「発想の転換」「発想の転換」と
言うようになったと思う。

白い家具が流行し、美しい色の服が溢れ、
情緒の安定するような温かい色の電球がカフェにもてはやされた。
美輪さんの指し示す世界は何も新しい世界ではなく、
昔の、戦前の日本なのだけども。
その世界がようやく、現実に追いついた。

だけども、美輪さんの言う「腹六部」だけは随分
損なわれてきている気がする。

人の心には踏み込んではいけない領域があります。
「腹を割って話そう」なんて、人の心に土足で上がり込むのはよしなさい。
何もかもをわかってもらうのではなく、
腹六分で付き合いなさい。
そうすればお互いの悪いところを見なくても済むのですから。
腹六分で付き合えば、お互いを尊重できるのです。

(けっこう要約したので、きちんと知りたい人は美輪さんの著書をくまなく読もう!)

2007年は育児が辛くてなんでか仏教に目覚め、
ブッダの本を読みながら育児をこなしていたのですが。
美輪さんの言うことは法華経の教えだから、
相も変わらず私は「実は心の仏教徒」ということなのでしょうね。

そういうわけで、
仏教は何を大事にするのかというと、
「執着を断つこと」と「諦観を悟ること」「この世は苦であること」「物事は常に移り変わると悟ること」
を大事にするわけで。

それとブログとか、mixiというものは
まるっきり逆をいっているんだろうなと、思うのだ。
執着を断つこととは全く逆のものだと思う。
執着を煽るものだと思う。

もし中学校で友達や自分の好きな人がブログ書いてるの読んだら、
ついつい毎日見ちゃったんじゃないか?と思う。
そんで、相手が自分の思った通りの人じゃなかったら、なんか、へこんだんじゃないか?
と思うのだ。


へこむっていうのは、過剰に反応するっていうことで。

好きな人や、自分が関わっていること、自分が一番気になることに、
私たちは過剰に反応してしまう。
気付かぬうちに、そこに執着してるから
他人と自分を分けて考えられなくなってしまうのだ。

もし、自分をコントロールできなかった中学校時代に
自分の好きな人の日記が読めたら
どうなってただろうか?
毎日読んで、執着して、苦しくなってしまったんじゃないかと
思うんだ。

いや、毎日読んで、執着して、幸せであるかもしれない。
恋する相手のことを知りたくなるのは当然のことだ。

だけど、もし
自分の好きな人が、自分のことを好きじゃなかったら。
もし違う人を好きだったら。
自分の思った通りの人じゃなかったら。
そういうことがわかったら、めちゃくちゃへこんだと思う。

あの、中学校時代の
言葉にならない心配なのと、期待してるのと
ただ、好きという気持ちでドキドキしてる感じが
言葉にされることで失われるのは、少し悲しい。

中学時代って、色んな可能性があって、
人の気持ちがわからないけど一生懸命で。
がんばるわけじゃない?
「わかんねー」って。

それが、相手の気持ちだけ
しかも日記として読むことができるっていうのは
嬉しいかもしれないけど、残酷なことでもあると思うんだ。
だって、わからなくていいものなんだから。

私は私の日記を、うまく書こうなんて思ってない。
コラムと日記は違う。
日記って、そういうもんだ。
もし私を好きな人がいたら、申し訳ないくらいにへたくそに書いているだろうし
気持ちを言葉に表しきれない事の方が多い。
だけどわかってほしいのは、日記が全てではないということだ。

私はケンさんの日記を一切読まないし、
ケンさんは私の書くものに一切、興味がない。

相手のことを、自分にむけられない言葉で知ろうとは思わない。
夫婦としての余白を大事にしたいから。

もっと余白を大事にしたい。
何もかも言葉にするんじゃなくて、ひどく曖昧な。
好きなんだけど言葉にできないような、
そういうものがあっても
いいと思う。


師匠のこと
憎たらしいのの十倍ぐらい可愛いんだけど、
なんだかうまく書けないんだ。
本当に可愛くて、「オッパイコッパーイ♪」とか歌いながら、
オッパイさわってきて。

「あれ?オッパイやめたんじゃなかったの?」
って聞くと、「おほほほ」と笑う師匠のこととか。
もったいなくて書けないんだ。
どうやら、私は日記も、腹六分目なのだ。