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アノニマス・エイド東京慰霊祭2016

東京在住のkoyomiファンに朗報!!

koyomiさんが2016年3月11日(金)に開かれる、アノニマス・エイド東京慰霊祭2016に参加されます!
そしてなんと! 新曲「こうふくのしま」を生で歌ってくれますよーーーー!!!!

 

この日は、私も新宿の経王寺に土偶のゆるキャラとして参加ドグ~! 

 

ドグ子は15時半には会場に着いているので、昼しか来れない人も声かけてね! 

 

田口ランディさんのトークやkoyomiさんの歌とギター、ウォン・ウィンツアンさんや上畑正和さんの即興演奏もあります!

タイムテーブルはこちら! 入場は無料です☆☆☆

 

■19時から20時
「こうふくのしま」を作曲してくれた、弘前のkoyomiさんと、田口ランディのライブ&トークがあります!ユルキャラ「ドグ子さん」の飛び入り参加もありそう!

 

■20時〜21時30分
毎年恒例、大好評の追悼演奏ライブ
あの「瞑想のピアニスト」ウォン・ウィンツアンさんと、上畑正和さんの即興演奏があります。

入場は無料です。

(夜の部は会場の定員に限りがあるため、お立ち見になる場合もありますのでご了承ください。お身体の具合の悪い方はスタッフにお申し出くださいね)

 

終了時間はだいたい21時30分頃を予定していますが、この日のピアノは即興演奏なので時間が押す可能性があります。

詳しくは、田口ランディさんのブログでご確認を!

http://runday.exblog.jp/25261011/

 

 

スイッチの奇妙な冒険 最終章

連載を長く続けすぎて、生活の生命線である新聞連載を「3月いっぱいで終了」と

突きつけられた私。

 

「もうしょうがない。最後まで、取れるだけ笑い取って、

終わらせよう!」

 

そう思ってた矢先にあの、

3・11の大地震が起こったんです。

 

東北地方は本当に、揺れに揺れました。

 

地震の直後、テレビは点かず、何が起こったかわかりませんでしたが、

大規模な停電が起こり、出先から家まで信号機が停電し、

無音の世界をぬるぅっとしながら、

恐る恐る信号機のない片側2車線の交差点を渡り家路を急ぎました。

 

ラジオからは、「津波が来ます! 沿岸部の人は逃げてください!」

 

普段聞くことのないラジオキャスターの鬼気迫る声が聞こえます。

 

八戸市の港湾では、この津波で工場がいくつも流され、

潮びたしになり、操業を停止させられました。

 

この時新聞社では、抜本的な紙面改革どころか、

 

笑える連載がほとんどなくなる

という事態が起こっていたのです。

そう、あの時新聞社は津波発生による被害者を思って、

 

本当に自粛による自粛を極めたのです。

 

閉塞的な雰囲気は1ヶ月以上も続きましたが、

 

何故か私の連載は普通に掲載されていきました。

 

何故かと言うと、友達に被災地支援に行く人がたくさんいて、

彼らを取材して記事を書いたり、八戸市に入って自分の目線で

エッセイを書くということができたからなんですNE。

 

あの時は本当に、

道路に船が横倒しになって、信号が潮で錆び、

 

飲み屋街では「米が手に入らない。

自粛してるから誰も飲みに来ない」と女将さんが嘆いていたのでした。

 

そして、地震発生から3ヶ月後……何故か、

連載を誰にも文句も言われずに、書き続けていたのです。

地震のショックでこの連載が終わるということをみんなが忘れてしまったのか、

誰も、何事もなかったかのように連載が続いてしまったのです。

 

その後、3年も。

 

とうとう、今年で連載300回を超えて、

8年におよぶ長寿連載となってしまいました……。

6月で契約が更新されるので、もう1年いけるようです。

 

9・11のテロ事件とともにデビューし、3・11の大地震で

 

連載という生命線を繋ぎ留めた私……。

 

 

これ以上、何の事件も起こりませんように!!

 

追伸

 

この記事をSNSに載せた時、福島に住む方に、

あの頃は当事者として

「日常を続けるのは意外と難しい」


と思ってました。


だから続いたのは必然だったのですよ、きっと。」

 

と優しいお声をかけて頂きました。(> <)  

ここ十年以上、色々あったけどやっぱり、人に支えられて生きてるんだなあ……って感じます。

本当に、心から、感謝を込めて。

 

山田スイッチ

 

 

 

スイッチの奇妙な冒険2

地元紙でコツコツがんばりながら

連載200回まで約5年、つつがなく地元作家として

コツコツやってきたのですが、


これでも最初のうちは「月に一度は東京に行かなきゃ……」と


思っていたんです!


「青森県内は文章の仕事が極端に少ない。

やっぱり、この道で食っていくためには東京とつながっていなきゃ……」と

思い、何故か講○社とかに持ち込みに行って、

板前マンガの構想を編集さんと何度も打ち合わせていたのですが、


人見知りが激しく、普段通りでないことに

めっちゃ緊張感を覚える私はその、緊張感に耐えられず、

日に日に東京に行くのがしんどくなっちゃったんです☆


いえ、東京に行くのがダメなんじゃなくて、


人に会うのが実際、ものすごく苦手なので、

地元の新聞社にも本当~に、

数年に一度しか挨拶に行ってなかったんですNE……。


ダメの見本市みたいで恐縮ですが、

本当に私ってコミュ症かもしれないんです!


新聞社に挨拶に行く時は、

1時間以上前からビルの前に立って、


「行くべきか、このまま帰るべきか……」を


悩みますね。



いや、帰っちゃダメでしょう❢???


って誰でもわかるんですが。

もう、本当にお腹痛くなって帰りたくなるの。



実際に会っちゃえばテンションも上がるし

どうにでもなるんですが、

ビビリの私が人に会ってる時というのは


ビビり度MAXで、江頭2:50さんがテレビに出てくる時よりも


緊張しているのです。




そこへ、東京から来ためっちゃ身体を鍛えていそうな、

大竹まこと似の、やる気度MAXの支局長が、平川市のわが家に

紙面改正という引導を渡しにやって来たのですYO……。


ビビってますが、紙面を改正したいという話もわかります。

普通、一つのコラム連載が5年も続くなんて異常な話なんです。


「わわ、私は、占いができるので、その紙面改正占ってみましょう!! 

いや、遠慮はなさらずに!!

ほう……これは、

大々的に改正しなきゃいけないって出てますね……。


再生の意味を表すコガネムシが出ています。

もう、過去に囚われずに新しくしろって出てるので、紙面改正はお任せします!」



そんなこんなで

自分で引導を渡してしまった私……。


翌月の3月いっぱいで連載終了という約束が決まりました。

しかし、長く続いたので書籍化しましょう! ともご提案頂きました。



「ああ……とうとうこの連載も終わりか……。東京に行って新しい仕事を

取ってくるか、いっそのこと職種を変えようかしら……」



と、思っていたところに例の、


3・11の東日本大震災が起こったのです……!



to be continued……

 

わたしの3・11

2011年の3月11日、青森にいた私の家は

地震で超揺れて、電気も消え、ストーブもつかず、

停電が続き、マジで寒かった覚えがあります。


実は、「わたしの3・11」という毎日新聞社から出た本に



エッセイを書かせてもらった私。



書いたエッセイは、茂木健一郎さんの編集で

ホリエモンもエッセイを書いてたこの本の中で異彩というよりは

異様さを放っていました。




なぜなら、私はどんな時でも自分が

お笑いエッセイストであることを忘れない土偶であると同時に、

どんなにがんばって真面目に書いても

どことなく面白さが漏れちゃう土偶だからです……。



あの当時は本当に、もうお笑いエッセイストで食べていくのは

ムリなんじゃないか? っていうくらい

世相が暗かったですYONE☆



もう転職した方がいいんじゃないか? っていうくらい。



でも、震災の援助に行く友人が多数いて、

その人達の取材をするうちに

「お笑いじゃなくても書ける」ことがわかり、

実を言うとその年、3月いっぱいで終了予定だった読売新聞青森版の連載が



震災のウヤムヤで連載終了を逃れ、





今では連載300回目を迎えるところです。 



あれから4年経ちますが、

ここ2年ほど続けていることは、

夏に福島に行くことぐらいです。




川内村っていう、原発に近いけど風向きの影響で

放射線量が低い村で友達に会い、



田口ランディさんと20人ほどの参加者の皆さんとキャンプをして、川内村の美しい川で泳いだり

あぶくま洞の鍾乳洞の中を探検したり、

地元の人とキャンプファイヤーで踊ったりしています。




海辺まで取材で行くと、

津波の被害を受けたままの風景が残っており、

放射線の影響でそこは全然片付けもされず、

3月11日から時間が止まったままです。



川内村で会った福島の人は、

「事故の後、別に生活も変わらず楽しくやってるって言うと、

テレビで使ってももらえないんだよ~」と嘆いていました。


ようは、テレビで観る情報は、編集されているんですね。



どんな時でも、生活とか捉え方って人によって違うじゃないですか。



福島で楽しく暮らしてるYO~!

っていう情報は、なかなか上がってこないみたいです。



今日は突然の吹雪で、

4年前の震災の寒さを思い出します。

「そういえばあの頃、私まだ土偶じゃなかったなあ……」

とふと、思い出したりもしました。

 

毎年出かける福島の自然はいつでも、美しいです。

 

エコハンター第147回「さをり織り」

エコハンター第147回「さをり織り」
 
りんご公園の中にあるシードル工房kimoriで9月20日、21日に開かれた
青森県立森田養護学校高等部 さをり織り作品展「さいごまでがんばる」
を観に行ってきました!
 
さをり織りとは、今から40年前にさをり織り創設者の城みさをさんが縦糸が一本抜けた織物を作ってしまったのがきっかけで始められたものです。
その布から何か趣を感じた城さんは、織物の常識で考えればこれは傷物だけど、常識から離れて自分の好きなようにやってみよう。どんどんキズを作ってみよう…と、新しい織物を作ったのです。
均一で均質な工業製品よりも、アートに近いさをり織りは、常識や既成概念から離れて自由な発想と視点を大切にする織物です。
 
さをり織り特有の様々な素材を織り込んで表情を出した布は、風合いが優しく、優しいピンクにビビッドなブルーを合わせてチェックにしたり、秋をイメージしてモミジのような赤にイチョウの黄を合わせたり、落ち着いた萌黄色に統一するなど。
生徒さんの自由な発想でが色が決められています。
 
森田養護学校では10年以上前からさをり織りを作業学習に取り入れて来たそうです。
養護学校の生徒さんは、コミュニケーション面は苦手でも集中力の高い生徒さんが多く、細かい作業が好きな生徒さんもいます。
その生徒さんの適正に合わせてウッドクラフトや紙漉きなどの作業学習もあり、ミシン部ではさをり織りとデニムや綿の生地を合わせたバッグも作っていて、2014年10月4日、5日には青森市のA-FACTORYの2階特設会場で開かれる「ふれあい作品展」で、さをり織りを使ったバッグやウッドクラフトなどの販売が行われます。
 
どれもセンスよく、素敵なバッグばかり。
余ったハギレで作られたさをり織りのくるみボタンやヘアゴムも素敵です。
コミュニケーションが苦手な人でも、きちんと働ける場所があり、能力を活かせることはとても生産的なことだと思います。
なので、就労支援施設の商品を見るとつい買ってしまうのですが、サポート大樹さんの干しシイタケや就労サポートひろさきさんのきみまちとうふは品質も良く、とても美味しいのです。
 
※イベントは終了しています。