奈良美智+graf AtoZ展、無事に終了致しました!
青森県にある弘前の煉瓦倉庫に、会期中訪れた人数約7万9千人。
今頃になって、
五ヶ月間をかけて廃材で街を創り、
世界を創るというのは、
もう二度とないことなのかもしれないなあ…と思ったスイッチです。
会期中に何度も絵を観にいったのですが、
毎回見える絵が違っていました。
同じ絵なのに、見えるものが毎回違う。
やっぱり、絵は観る人の心の状態と深く関わっているのかなと
思いつつ。
ある時はボランティアで関わりすぎて、絵がきちんと見れない時もあった。
突然絵が迫ってくる時もあったし、深く深く吸い込まれそうになることもあった。
だけども、
驚くほどに。私はAtoZの街の建物の一つ一つと、絵の一つ一つを憶えている。
世界は、何かをきっかけに 無限に拡がっていくような気がした。
この扉を開けたらどこに繋がっているのか、先はわからない。だけども、
開けたら今までとは違う世界に私は行く。
意識が変われば見えるものは違ってくる。
そして私の中で問う人がいる。
「では、何を見たのだ?」
よしもとばななさんが、新刊ですごいことを語っていた。
- よしもと ばなな
- ひとかげ
「子どもたちの心と体は、聖堂だ。僕が作ったのではないし、僕には修理もできない。でも神聖なものとして敬意を持って扱いたいんだ。…(中略)」
「それでは、私の、私の聖堂を、取りもどさなくては。」
この、体を「聖堂」と呼ぶシーンにゾクッと来た。
そして私はこの聖堂のイメージに、奈良美智さんの作品である
Fountain of life の八角堂、あるいは
Shallow Puddles のイメージを見た。
展覧会のShallow Puddles という小屋は、中に入ると貝殻のように渦を巻いていて、中心に黒い天蓋を持つお堂に出る。六枚の皿絵が中心を囲むように配置された白い空間は、手前が漆黒の枠一つ一つに区切られていて、二重構造になっている。漆黒の柱が聖なるものを守るように手前に配置されており、作品に手を触れることはできない。
作品は壁の白さに反射して強烈な光で照らされている。
手前に配置された漆黒の黒枠と天蓋に続く闇がコントラストになり、絵と光がまばゆいばかりに差し迫ってくる。私にとっての「聖堂」だ。
ばななさんの作品と奈良さんの作品は、どこかリンクしていると思う。
そしてそれが思いもよらぬほどに、先を行っている。
ばななさんの小説が真に新しいと感じさせられるのは、きっとばななさんが、常に人の心というものを探求しているせいであろう。
「ひとかげ」は、十四年前に書かれた 「とかげ」のリメイクだというが、
まるで違う小説に思えるほど、文章が美しく、柔らかだった。
会期終了の二日前に、よしもとばななさんが煉瓦倉庫を訪れた。
どこかの場所に行くというのは、運命なのだと思う。
運命は何があっても必ずその人を運んでいく。行きたい場所と行くべき場所は違うと思う。きっと、行くべき場所は体の中の装置が勝手にその事実を知っていて、自分がそこに行くように意識と関係なくセットしているのだと思う。
必ず人は、自分にあった運命の場所を
訪れる仕組みになっているんだと思う。