パピヨン CM

本を読むことによって一体、何を知りたいのかというと
私の場合、きっと違う世界を知りたいのだと思う。

たとえば、外国っていうのは一番わかりやすい、隣り合った世界だと思う。
隣にあるのに、言葉が違う、考え方が違う、食べ物が違う。
世界が違う ということ。

地球の裏まで行かなくても、お隣の韓国で既に何もかもが
違うと思う。

この、隣り合った世界というものを
一番最初に感じたのは、
私の場合 保育園に通っていた頃なのだが。

秋田のど田舎で育った私は、
保育園までの通園路に、墓があったのをよく覚えている。

そのお墓の前を毎日通って保育園に行くのだが。
本当に子供の頃、墓を毎日見ながら
「死んだ人は一生墓の中で遊んで暮らせてうらやましい」
と思っていた。

「墓の中」に、別の世界があると思っていた保育園児は、
保育園が毎日つまらなくて悲しかったので、
死ぬことばかりを夢想していた。

しかし、それは保育園児という生まれてまだ間もない
経験なんて何もない、それに何もしらない子供の考えだったので
「墓の中は自由」という夢想は、
ある時、ひいばあさんの葬式によって、火葬場に連れて行かれ
灰と骨になったひいばあさんを見た瞬間に
死は恐ろしいもの、死にたくないものに変わったのであるから、
子供は火葬場に連れて行くべきだなと
今では思うのである。

が、小学校に入ると、
今度は秋田のど田舎から、青森のちょっと都会に
転校した子供は、方言の違いや気弱な態度から、
女友達からのイジメを受けることになる。
そこで、やっぱり隣り合う世界に、
自由を見いだすようになるのである。

隣り合う世界は、屋上から一歩踏み出せばそっちにいける、
ようするにはあの世のことなんだが。
面白いくらいに生と、死の世界は
隣り合っているじゃないですか。

うっかりすると間違って死んでしまうくらいに。
あまりにも近く、生の世界も死の世界も、隣り合っている。
すぐ隣だから、あやまって行きたくなるのかもしれない。
(恐らく、行っても外国と同じで 自分が変わらない限りは
行って何もかもラクになんてならないのと思うけども)

ここ10年ほどあまり、
自分の体を使って違う世界
(あまりにもリアルな板前の世界とか、お笑いの世界とか)を
見て歩いていたせいで、
すっかりそんな、見たこともない世界なんてものへの
憧れはなくなってしまったのだが。

舞踏家の雪雄子さんのワークショップを受けているうちに、
舞踏を踊っている時だけ見える世界というものが
感覚として、体の内に「ある」気がしてきた。
その「世界」は、踊っていると現れるのだが、
その踊っている意識のまま黙って世界を見ていると、
見える世界がいつもと違うのだ。

世界はいつもと同じなのだろうけども、
太陽や木や、草花がピンスポットで見えるというか。
川が流れているのを見るだけでもう、「ドーン!!」と
身体中を揺さぶられるような感覚を
何故か時折、持ってしまう。

それも、隣り合った世界であり、
一度見たら、見えるようになる世界なんだと思う。

それで、ランディさんの新刊「パピヨン」
なんだが。

本は、違う世界に行くための最も身近なツールである。
読んでいて意識が勝手にそっちに持って行かれる本に出会うことは、
なかなか難しいことなのかもしれないのだが。
たしかにそういう本は、ある。

パピヨンで初めてであった、エリザベス・キューブラー・ロスという人は、
私にとってあまりにも、初めての言葉を突きつけてくる存在だ。
そして、すぐにはわからないけども
私の 根っこの方に突き刺さってくる言葉を投げかける。

そうするとまた、グラグラとだんだん
自分の知っている世界だけでは解決できない問題が見えてくるのだ。
この本は、私の親のこととか、私が無意識のうちに引っかかっている問題が
書かれている扉に見えてくる。
その「扉」の向こうに、世界がある。

その世界では、
蝶の謎を解く鍵が、見つかるかもしれない。

パピヨン/田口 ランディ

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