坂口恭平さんの「坂口恭平躁鬱日記」を読み終えた。
昨年末から約2ヶ月かけて読みきった。
九州の自然の美しさにあふれた本だと思う。
躁鬱病という病気は、きっと辛いものだと思うのだけど
小さい赤ちゃんのいる坂口恭平さんの一家は
それをサーフィンで波に乗るように乗りこなしていく。
毎日毎日の記録が、一つ一つ新しい発見に満ちており、
世の中は育児の最中であっても、あらゆる場所とつながれるという
命の瑞々しさに溢れている。
鬱状態の時は毎日死にたいと思い、布団から出てこないという坂口恭平さんの
奥さん、「フー」の揺るぎなさがすごい。
「人間にはやれることとできないことがあるの。
でも、ホモ・キチガイの恭平はそのへんをまったく理解しておらず、
なんでもやるべきと思ったらやるから故障するのよ。
でも、故障してもいいじゃん。やめなくていいよ。
やりたいようにやればいいよ。どうせあなたは躁鬱のAB型なんだから。
いっさいヒトの意見は耳に入れることはできず、
集団では行動ができず、ヒトの指示で働くみたいな
サラリーマン的な、毎日同じ場所にかようなんてことはできないのよ。
でもそれでいいじゃん。金がなくなったら、
私がゆめマートでレジのバイトするから大丈夫だよ」
坂口恭平氏にとっての菩薩のような「フー」に、
「私を救ってくれてありがとうございます。」という言葉が自然に出てくる。
躁病と鬱病を行ったり来たりする坂口さんの文章は瑞々しく、
4歳の娘のアオちゃんとの「ことはつくり」というかるた遊びは
文学的で美しい。
もさ 猛者
えき 駅
らせん 螺旋
て 手
りす 栗鼠
なめひお 舐め氷魚
む 夢
ゆ 湯
や 矢
の 野
(中略)
猛者が駅の螺旋に手を
栗鼠が舐め 氷魚が夢を 湯には矢が………
坂口恭平さんの感性の美しさと、九州の自然の瑞々しさ。
揺るがなさを持つ嫁が 地獄に蜘蛛の糸を垂らすお釈迦様に思えてくる
不思議な躁鬱日記だった。
言葉って不思議ですよな。紙に書いたり、口に出したりすることで自分の頭のなかのものを形にして、ほかの人に見てもらうことができるのです。それだけで気分が軽くなったり、楽しくなったりするのです。毎週、新聞で読んだお話を息子に話していたら、スイッチさんの一家は我が家にとって近くの親戚くらいの知り合いになっていました。今年の節分はディフェンダーがいてよかったですね(^o^)
久作さん
ありがとうございます。言葉の不思議さを感じています。
節分、まさかの結末が待っていました。笑
スイッチ
読んでみます。
ぜひとも~!