先週の月曜日に、なんだか予感がして
佐藤初女さんにお手紙を書いた。
本に書かせて頂いたのに、
余計な気遣いをして、未だに本を渡していなかったから
ずっと気になっていたのだ。
大概、私は余計な心配ばかりをして時間を無駄に
してるのだけど。
余計な心配をするよりだったら、
何かをするか、しないかなんだよね。
するかしないかはっきり決めたら
物事は早く進むんだよね…。(わかっちゃいるんだ…。)
だけども唯一、悩まない時が訪れる。
それは、「予感のする時。」
なんか知らないけど予感がする時ってのは、
行動の結果が損だろうと得だろうと関係なく、
予感のままに行動できる。
予感のするときは占いもしない。
予感の力が低下してる時だけは、
占いに頼るより他がないのだけども。
占いというのも今の自分の状態を
言葉ではっきりさせたいぐらいのものなんだ。
そんなわけで、
予感がしてその日は眠って、
翌日になったら息子をおぶして、本と手紙を持って、
弘前イスキアを訪れていた。
そしたら初女さんが、いらっしゃったのだ。
イスキアの人「あらあら、どちらからいらしたんですか!まあ、尾上から!?」
私「いえいえ、あの、地元の者ですので、お手紙だけで。」
イスキアの人「先生は今取材を受けてるところですけど、
上がっていらして。せっかくいらしたんだから。」
私「いえいえ、あのその、面目ない。」
そんなわけで、イスキアの方に押されて
弘前イスキアの二階に上がると、
初女さんがいらしたのだ。
「わあ……。」
初女さんは今年で八十四歳だというけども
二年前より、ずっと元気そうだった。
初女さんは師匠を見ると、「あら、赤ちゃん」と。
それはそれは愛おしそうに見つめてくれた。
実をいうと師匠は初女さんに会うのは、三度目なのだ。
一度目は、初めて会ったとき妊娠四ヶ月め。
二度目は弘前でガイアシンフォニーの5番を上映された時ほんの一瞬、
妊娠七ヶ月め。
そんで、体外に出てきてからは初めて会った。
師匠が黙って初女さんを見てて、
初女さんも黙って師匠を見てて、
なんだかどちらの存在も、近かった。
「あらあら、お腹にいたときから会ってたから、違和感ないわね。」
そんな風にイスキアの人が言ってくれたけど、
本当にそんな感じだった。
「これくらいだと、何でも食べるでしょう?」と初女さん。
「ハイ!納豆ごはんとか普通に食べます。」
「ああ、それはいい。一番いい。」と初女さん。
初女さんは師匠をじっと見てて、「お昼を食べていってください」と、
立ち上がられた。実をいうとこの間も取材中で、
「初女さん自身にストレスが溜まったら、どうされるんですか?」と
聞かれて、イスキアの人が
「事務とかで詰まってくると、突然お料理を始めるんですよ。
そうするとすっきりしちゃうみたい。やっぱりお料理が好きなんですよね。」
と語られた。
初女さんが作ってくれた、ごはんとお塩ののり巻きは師匠用で。
大人の私にはおむすびとお魚とおみそ汁とお漬け物が
美味しそうな匂いをしてたんだけど、
師匠ののり巻き三本があんまり気になったので、
「し、師匠、一口ちょうだい」
って、師匠から一口もらって食べたら、
ごはんがほろっとして、
胸がキュッとして。ああ、やばい。泣きそうだと思った。
初女さんは、フキノトウのような人だと思う。
フキノトウは強烈な春の力に満ちているのに、
とても静かで、つつましい。
師匠は初めて食べるのり巻きをぺろりと食べてしまい、
おみそ汁を「自分で飲む」とスプーンを振り回して
鶏の形をした箸置きを振り回して
お椀に突進していった。
(師匠と初女さんは、同じ酉年であることが判明。)
この子は普段、ひいばあちゃんであるバッチャと一緒に
暮らしてるんですと伝えると、
「それはとてもいいです。」
と、おっしゃってくれた。
師匠がいつも通り眠くなって騒ぎだしたので
ホールドするのに夢中で、
せっかく用意してくれたごはんが食べられない。
ひー!とか思ってたら、
初女さんが持って帰れるように包んでくれた。
「本のお礼に」
そう言って初女さんは、出されたばかりの絵本を私にくれた。
その本には初女さんのおむすびの作り方と、
とても。
大切なことが簡単に書かれていた。
- 佐藤 初女, 木戸 俊久, 原 年永
- 初女さんのおむすび
「受け入れる」ってどういうことか、
すごく深いのにたったの2行で書かれており、
読んだら無性に、お米を研いで家族に食べさせたくなった。
本には初女さんがサインをしてくれていて。
『おむすびころりん すっとんとん』と、
書かれてあった。