無意味せんげん - 山田スイッチ –
山田スイッチは、一切意味を求めません。ちなみに7歳男子と3歳男子を田舎で子育て日記。
2010/03/08 カテゴリー: ブログ。 タグ: 後からようやくわかること はコメントを受け付けていません

符合しないことが年月が経って突然に合、「GO!」というか、

合点がいくことってある。



どう~してもわからないでいたことを

わからない状態でとりあえず棚に置いておいたら、

ぼた餅のように2年後に降ってきたみたいな。棚からぼた餅って

こういうことなのね、みたいな。

そういうことが、やっぱり夜中の2時か3時に急にやって来て、「ああ、そう言う意味だったんだ!」ってわかったはいいけど

メモする余裕がないので

今、急いでここにメモしているんだけども。

それというのは、以前に佐藤初女さんにお会いしに行った時、

私の年下の友達は、学校で緩やかなイジメに遭っていたのだ。


どう考えても答えがわからない、

いじめる相手に対して、生卵でもぶつけてやりたい。が、それは

解決策にならないということは、わかっている。

だが、このままでは彼女は学校を辞めなければならないほど

身体を弱らせているし、理由もなく、ちょっとした陰口。意地悪をされることには、一体どう対抗していけばいいのかが、さっぱりわからなくて。

もう自分ではどうにもならない……! と思った時に、

その子を連れて、初女さんの元を訪ねたのだ。


スイッチかあさんは小学校4~5年間をいじめられて過ごした方だし、

高校はなかなかに生きづらい場所だったので、

いじめられる方の意識状態っていうのは、よくわかる方だ。

いじめられている人は、すごい我慢をしていて常に腹が痛い。

「閉じる」方向への努力によって、「開く」回路は断たれている。

それ故に、いじめている相手には好都合な状態を生みやすく、

閉じている限りはそのいじめは終わりはしない。

小学校の時、私は「なんでやねん」という言葉を4年生になってから

覚えた。


それまではもう、耐えに耐えて、耐え抜いた。

嫌なことを嫌と言わない、無理なことを無理と言わない。

そういう耐え方をした。

ヘタすると自殺しちゃうってぐらいの勢いでいたのだけど。

このままでは損だということがよ~くわかってきた。

運良く、いつも一緒に帰るいじめっ子の友達が、

隣の組の女の子とも一緒に帰る偶然を得た。

その時に私は、開く回路を繋いだ。

ようは、冗談を言ったのだ。

そうしたら、隣の組の子はさも意外そうに、

「こんな冗談をいう子だとは思わなかった!」と、

新しい私の在り方を受け入れた。

だけど、なんでそれまで自分はいじめられなければ

ならなかったのか、ということに対して

私は今、自然災害と同じだと思っている。

理由なんてない。チリに地震が起こるのにも理由はない。

起きた後のことを処理していかなければならないのだ。

佐藤初女さんに、いじめられている彼女の現状を

語った時、どんな素晴らしい答えが返ってくるのだろうかとついうっかり

期待してしまっていた。

ハズレのない答えを。私たちのとるべき道を。

しかし、初女さんが答えたのは、

「お母さんと一緒にご飯を作って食べれば、大丈夫」

という、何とも力の抜けた、「本当にそれでいいの!?」と

思えるような、抜けた答えだった。

結局、私の年下の友人は、学校を辞めてしまった。

数年経ち、彼女は元気に、生きている。

4~5年、「わからない状態」で放置していたことが、

一昨日の夜に、急に分かったような気がして。

「ああ!」と思ったのだ。

何故、私がいじめられていた4~5年の間を、

生きるエネルギーを保持していられたかを、急に理解したのだ。

エネルギーとは、素粒子を動かす力である。

耐える方向にエネルギーを使っても、

あまりあるほどのエネルギーを、知らぬ間に私は

受け取っていたのだ。

おかあさんの玉子焼きによって!!

多分、玉子焼きのせいだ。

玉子焼きのせいで色々な人生の局面を、乗り切って来れたのだ。

そういえば、人生最大の失恋に、ご飯も喉を通らなくなるかと

思ったことはあったが、

実際に通らなかったことはなかった。

ご飯はいつも美味しかった。

すごい……。

母の玉子焼き、恐るべし。


恐らく、初女さんもそういうことを

言っていたのだと思う。多分。お母さんとご飯を作って、

食べていれば大丈夫と。エネルギーは、知らぬうちに

あちらこちらから受け取っているものなのかもしれない。うっかりしているわりに、毎日食べいてた4年分の朝晩のごはんは、

2920回にものぼる計算だ。

それほどの愛情を黙って受け取っていたら、

治らないものもなくなるだろう。


そんな私が今、師匠の玉子焼きを焼いている。

母になったのだなあ、と思う。