符合しないことが年月が経って突然に合、「GO!」というか、
合点がいくことってある。
どう~してもわからないでいたことを
わからない状態でとりあえず棚に置いておいたら、
ぼた餅のように2年後に降ってきたみたいな。棚からぼた餅って
こういうことなのね、みたいな。
そういうことが、やっぱり夜中の2時か3時に急にやって来て、「ああ、そう言う意味だったんだ!」ってわかったはいいけど
メモする余裕がないので
今、急いでここにメモしているんだけども。
それというのは、以前に佐藤初女さんにお会いしに行った時、
私の年下の友達は、学校で緩やかなイジメに遭っていたのだ。
どう考えても答えがわからない、
いじめる相手に対して、生卵でもぶつけてやりたい。が、それは
解決策にならないということは、わかっている。
だが、このままでは彼女は学校を辞めなければならないほど
身体を弱らせているし、理由もなく、ちょっとした陰口。意地悪をされることには、一体どう対抗していけばいいのかが、さっぱりわからなくて。
もう自分ではどうにもならない……! と思った時に、
その子を連れて、初女さんの元を訪ねたのだ。
スイッチかあさんは小学校4~5年間をいじめられて過ごした方だし、
高校はなかなかに生きづらい場所だったので、
いじめられる方の意識状態っていうのは、よくわかる方だ。
いじめられている人は、すごい我慢をしていて常に腹が痛い。
「閉じる」方向への努力によって、「開く」回路は断たれている。
それ故に、いじめている相手には好都合な状態を生みやすく、
閉じている限りはそのいじめは終わりはしない。
小学校の時、私は「なんでやねん」という言葉を4年生になってから
覚えた。
それまではもう、耐えに耐えて、耐え抜いた。
嫌なことを嫌と言わない、無理なことを無理と言わない。
そういう耐え方をした。
ヘタすると自殺しちゃうってぐらいの勢いでいたのだけど。
このままでは損だということがよ~くわかってきた。
運良く、いつも一緒に帰るいじめっ子の友達が、
隣の組の女の子とも一緒に帰る偶然を得た。
その時に私は、開く回路を繋いだ。
ようは、冗談を言ったのだ。
そうしたら、隣の組の子はさも意外そうに、
「こんな冗談をいう子だとは思わなかった!」と、
新しい私の在り方を受け入れた。
だけど、なんでそれまで自分はいじめられなければ
ならなかったのか、ということに対して
私は今、自然災害と同じだと思っている。
理由なんてない。チリに地震が起こるのにも理由はない。
起きた後のことを処理していかなければならないのだ。
佐藤初女さんに、いじめられている彼女の現状を
語った時、どんな素晴らしい答えが返ってくるのだろうかとついうっかり
期待してしまっていた。
ハズレのない答えを。私たちのとるべき道を。
しかし、初女さんが答えたのは、
「お母さんと一緒にご飯を作って食べれば、大丈夫」
という、何とも力の抜けた、「本当にそれでいいの!?」と
思えるような、抜けた答えだった。
結局、私の年下の友人は、学校を辞めてしまった。
数年経ち、彼女は元気に、生きている。
4~5年、「わからない状態」で放置していたことが、
一昨日の夜に、急に分かったような気がして。
「ああ!」と思ったのだ。
何故、私がいじめられていた4~5年の間を、
生きるエネルギーを保持していられたかを、急に理解したのだ。
エネルギーとは、素粒子を動かす力である。
耐える方向にエネルギーを使っても、
あまりあるほどのエネルギーを、知らぬ間に私は
受け取っていたのだ。
おかあさんの玉子焼きによって!!
多分、玉子焼きのせいだ。
玉子焼きのせいで色々な人生の局面を、乗り切って来れたのだ。
そういえば、人生最大の失恋に、ご飯も喉を通らなくなるかと
思ったことはあったが、
実際に通らなかったことはなかった。
ご飯はいつも美味しかった。
すごい……。
母の玉子焼き、恐るべし。
恐らく、初女さんもそういうことを
言っていたのだと思う。多分。お母さんとご飯を作って、
食べていれば大丈夫と。エネルギーは、知らぬうちに
あちらこちらから受け取っているものなのかもしれない。うっかりしているわりに、毎日食べいてた4年分の朝晩のごはんは、
2920回にものぼる計算だ。
それほどの愛情を黙って受け取っていたら、
治らないものもなくなるだろう。
そんな私が今、師匠の玉子焼きを焼いている。
母になったのだなあ、と思う。