土曜日にドキュメンタリー映画「チーズとうじ虫」を見てきたんだけど、
この映画って、本当に変で、
映画の始まりとかまんま素人で、家の中とか暗くて自分の家みたいで、
見ている内に恐ろしく内側に浸食されてしまう。
母がいる当たり前の光景を眺めているんだけど、
映画を見終わった後、いつもの毎日がいつもの毎日ではなくなってしまっていた。
家の洗濯物を干す指先を見つめる目が
いつもの私ではないような気がする。
洗濯物を干すことが、かけがえのない行動のような変な錯覚すら起こっていた。
映画を観ている最中、不覚にも涙がいくつも流れた。
ガンを扱っているからって、泣くもんか!と思っていたけど
映画の中に映るのは、私がいつも感じている風景で。
「こんなにきれいな世界を私は写真にそのままに撮ることができない、
自分が感じている世界を人にも見せたいのに、うまく見せることができない。」
というジレンマを抱え込んでなお、世界の風景が美しくて
途方に暮れる感じとか。
そういうのが、画面から、へたくそな映像からどんどん流れ込んできて、
それが
収録に使われたという五年という歳月の中で
どんどん、目に見えてる風景と世界が一致し出すということは、
あまりにも、苦しいくらいにこちらの内側に入り込んで来られることだった。
ガンになったお母さんはいつも、ピースサインをしているのよ。
それが、うちの母親に重なってしまう。
家に帰って、自分の母親が生きているということが
不思議な現象のように感じてしまった。
私が洗濯物を干すことは「生かされているから」なのかと
指先が考えるよりも先に感じ取ってしまっている。
だから、映画を観た後は体が違っているような感じになる。
なんなんだ、この映画は。
この「チーズとうじ虫」という映画は……。