運ばれてゆく

空腹に甘いものとアイスコーヒーを流し込んだら、

ゲロを吐いてしまいました。

しかも5回!

 

胃腸科内科にいったら、「甘いもののせいじゃないねえ……ウイルスだね」

 

と言われ、先週の風邪引き祭りで小児科に行った時に

感染したのかなあ? と 思ったのですが

 

ここのところ、思想としてなにかわかりつつあることが

言葉にならずにもどかしい思いをしていたのだけど、

それがゲロを吐いている最中にわかり、

「わかった! これだ!」

と慌ててカレンダーにメモをしたのが

 

「動物は動いている 動くことが平衡をたもつ 自分は運ばれてゆく 運ばれてゆくのが運命」

ということなのですが、

意味がわかりずらいよね。

 

ええと、福岡伸一さんの「せいめいのはなし」を読んだら、

「動的平衡(どうてきへいこう)」という言葉が出てきて、

自分の体は常に変化していて、食べたものが即、自分の細胞に取り組まれている

ことを知ったんですね。

 

これは、ネズミの実験で、ネズミに色を付けた食べ物を与えたら、

色が便に排出されるよりも多く、ネズミの身体の一部になっている

 

という結果から、自分の身体は食べたもので即、入れ替えられている

ということを知って、その細胞単位で動いている・入れ替え中である

我が身を思うと、身体は一時も 同じものではできていなくて、

常に変化のさなかにある「動的な平衡状態にあるんだ」

知り、おお、この不安定な身体たるや と思ったわけですが。

 

その食べ物が体内に運ばれてくる、そして体内の細胞と入れ替わる

という食べ物側の感覚(食べ物が胃の中を移動して下に降りていくこと)と、

私が青森から東京へと旅をして、日本を下に移動する時の気分に

近いものを感じまして、

それがゲロを吐くことによって一致したわけなのです。

 

旅行に出るときに、

切符を取るとか、人に会う算段をつける などということは

自分で確かにやっていることなのですが

それをやったからといって、本当にその場所に着けるとか、

その人に会えるとは限らないと思っているんです。

 

なんらかの飛行機や電車のトラブルや、体調を崩して会えなくなるとか

そういうことを経験的に知った私は、

人に会いに行くときも、本当に会うまで、会えるかどうかはわからないのだ

という感覚を持っています。

 

そうすると、自分で切符を取って予約をしたにも関わらず、

飛行機や電車に乗って移動する時は

「運ばれてゆく」

という感覚を持ちます。

 

そのときに見える風景や様々な空の変化などは

偶然によって私の目に運び込まれている という風に映り、

鳥の声は偶然によって私の耳に運び込まれている という風に聞こえ、

それは朝に散歩をしている時にも訪れて、ふしぎなものを見ている気がするのです。

 

胃の中の食べ物も、

「胃になるのか、腕になるのか はたまた足になるのか」

そういうことが決まっていなくて「足になりたい」とか

そういう意志とは無関係に

運ばれて、それになってしまうのです。

そんな食べ物のように私は、

 

どこへ行くかの見当はつけているのですが、

実際にどこへたどり着くのかがわからないのです。

 

あらゆるものが動いている瞬間にあり、

頭上で鳥が鳴く、ということは

私と鳥が別々の進行方向からやって来て

その地点で交差する瞬間に立ち会う というわけで

私も鳥も、運ばれてゆくものであり

それを感じるものです。だから、

 

人生はただ、ひたすらに運ばれて、それを感じ続けるものなんだな

と思ったわけです。

 

(ゲロを吐いてる最中に。)

 

いつも通りの予定が子供の熱なんかによって

いつもの時間にぜんぜん思った通りではない場所にいる時

小児科の待合室で私は、とてもふしぎな気持ちになっています。

「ああ、師匠(息子)に運ばれてきたんだな」

って。

 

運命は決まってなくて、ただ運ばれてゆく。

運ばれてゆくものが私であり、私の人生なのかも と

 

今日は思ったのでした。

 

せいめいのはなし

 

 

返信数:2

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  1. yukiko sato より:

    ゲロの中で掴んだ真実!すごいです!シェアありがとうございます!

  2. スイッチ より:

    ああ、ありがとうございます!

    いやあ~、ゲロはいてよかったなあ・・・。