無意味せんげん - 山田スイッチ –
山田スイッチは、一切意味を求めません。ちなみに7歳男子と3歳男子を田舎で子育て日記。
2012/01/09 カテゴリー: ブログ。 タグ: コミュニケーションツール コミュニケーションツール はコメントを受け付けていません

今、自分のインターネット利用状況という物を
さっくり振り返ってみたら、


原始人のようで大変お恥ずかしいのですが私は、
TWITTERもFACEBOOKも、やらない人間になっていました。


ブログだけは6年ほど前から続けているのですが、それは
自己表現の場であって、
コミュニケーションツールとしては使っていないなあと。
ブログコメントも受け付けずにただただ発信しているのは、
私の現在のキャパシティが極端に少ないからです。


以前は、コメントにも答えて、ソーシャルネットワークのmixiも面白がって
使っていたのですが、


それをやると1日1時間はコメントへの返信に消えていくので、
その1時間に何か、他のことをしたくなったのか
とにかく「命は削れていくんだな」と感じてしまってからは
なかなか、コミュニケーションツールに手を出せなくなりました。


命が60年あるとしたら、
生きている間にどんどん命は削れていく。


黙っていても命は削れていくのだから、
何に削るかを決めたいと思ったんだと思います。


私の音楽友達で、30歳を過ぎた頃にこんな名言を残した人がいます。
「鼓膜は使い捨てで、自分が何枚持っているのかはわからない。
私は何度も鼓膜をダメにしたから、
歳を取ったら誰のライブを聴いて鼓膜をダメにするのかは、
ちゃんと選ばなければならない。」
って。


「インターネットの情報は、多いようで少ない」


と、林さんの奥様が言っていたのも
とても印象的で、「あれだけたくさんの情報に溢れているインターネットも、
その人の声とか、顔の表情とか、言葉のニュアンスとか。匂いやしぐさは伝えられないものなんだ」

そういわれてから、受け取る情報も「あらかじめ、すべては受け取れない」ことを
前提として受け止めるようになりました。


言語以外のものが消えていることを忘れてしまうと、
多くの行き違いの発生すると思うからです。


ただ、言語表現の巧みな人は
読んでるうちに物語の中に相手を引きずり込んでしまって、
見えていない景色も、嗅いだことのない匂いも
嗅がせることができるのだと思っています。


そして、ツールとしてのインターネットですが、
それを紹介するのに面白い人がいます。


舞踏家の吉本大輔さんという方は、
暗黒舞踏の草創期から舞踏に関わり、


舞踏家・大野一雄の「ラ・アルヘンチーナ」や「私のお母さん」の
舞台監督をされた方なのですが、40歳から自らが踊り出し、
もう齢60歳くらいの方なのに筋骨隆々としていて、
激しい踊りを踊られる方です。


その方が、舞踏公演の集客のために
「mixiにペタを残す」という手法を取っていると言われた時に、
何か、雷に打たれたような思いをしたのです。


吉本大輔さんは、本当に踊りたくて踊っていて、
そして舞踏家として舞踏で収入を得るために
舞踏に興味のある人のページに、ペタを残して行くんだな……と。
何か、超えてる感じがしたのでした。


今、私は非常に自分のキャパシティが狭くて、
子ども二人を育てて仕事をするのに
いっぱいいっぱいなのですが、
時間に余裕ができたら、自分の仕事のために
そういったコミュニケーションツールを使いこなす覚悟も
あった方がいいなと思っています。


命は削れていきます。
だけど、覚悟を持って削っていくというのも
格好いいと思うんです。