無意味せんげん - 山田スイッチ –
山田スイッチは、一切意味を求めません。ちなみに7歳男子と3歳男子を田舎で子育て日記。
2012/08/17 カテゴリー: アート。 タグ: 原始感覚美術 原始感覚美術祭 2012 への2件のコメント

 

長野県の原始感覚美術祭がなんか、すごいんです。
すごく土着で、山の力や湖の力を感じる土地で
ピュアなアーティスト達の作品に触れると、
身体の中になにか、もじゃもじゃっと
探していたものの気配がして、
去年、何かの答えが見つかったんですね。
 
そのときは、自分が何の答えを探しているのか
全然見当がつかなかったんだけど、
写真家の本郷毅さんのお父さんが、
打ち上げの席で語ってくれたことが
「生と死は等価である」
ということだったんです。
 
「……私は、小児科の医師をしているので、
これまでに生まれてくる子どもは2000人は見ています。
それと同時に、
これまでに死んでしまう子供も、321人見ました。
 
そうして仕事をしているうちに、
自分は、生と死が等価であると感じるようになった。
 
これは理屈でなく、ただ生と死が等価だとしか
思えない。それが、今日、雪先生の舞踏を見て、
舞台の上で、生と死は等価であると表現されているのを見て
……」
 
本郷さんのお父さんが、語ってくれました。
最後の言葉は、聞き取れませんでした。
 
普段語ることがないというお父さんが
言葉をひとつひとつ、丁寧に語ってくれて。
それを、にこにこしているお母さんが、
にこにこの顔のまま、涙を浮かべているのを見て
身体の中に、その言葉がスーッと
深く入ってきたのです。
 
田口ランディさんと吉増剛造さんの、
河原で小石を投げ合うようなお話を聴いていると
ぽちゃん、ぽちゃんと自分の意識の泉にも石が投げこまれて
水紋が広がっていき、あのもじゃもじゃっとした
身体感覚と頭が一緒になっていきます。
 
雪雄子さんの、あの世とこの世の境目から現れるような
舞踏を見て、どんどん混沌となった私の意識は
長野のむせ返るような土地の空気の中で
とても静かな、静止状態を感じました。
 
生と死は、等価である。
 
これが、去年私が知りたかったこと。
 
今年、私は何を知りたいのか
まだわかっていません。
 
ただ、長野の空気に包まれて、
それを全身で感じにいこうと
思っています。
 
今年は9月1日に、文化人類学者の今福龍太さんと
田口ランディさんのお話に、
神楽太鼓奏者のの石坂亥士さんと、雪雄子さんの
舞踏があります。
 
想像もつかないほど濃い一日になりそう。
 
参加される方のために新宿から直行バスが出ます。
一度、長野の原始感覚の空気に
触れに来て下さいね。
 
直行往復バスのお申し込みはこちら。
 
原始感覚美術祭
 

2件のコメント

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