無意味せんげん - 山田スイッチ –
山田スイッチは、一切意味を求めません。ちなみに7歳男子と3歳男子を田舎で子育て日記。
2007/09/06 カテゴリー: 子育て。 タグ: それぞれどこ子育て環境 環境と子育てと、どこんちもそれぞれ。 はコメントを受け付けていません

子育てをしていると、色々なことを言ってくる人がいますね。
「兄弟がいないとかわいそうよ」とか、「一人っ子じゃ心配でしょう?」とか
「最低三人は産まなくちゃねえ」とか、「お母さんが働いてちゃかわいそう」だとか。
そりゃもう、色々言われますよね!

この件に関して私は、
産んだばかりで右も左もわかりませんから、
堂々と「あんたんちはあんたんち!うちは、うち!!」
とは叫べませんでした。(いや、別に叫ばなくてもいいんだけど。)

私も育て初めて日が浅いから
「あ~そうですね~」って、言うだけ言って見送ってきたのですが、
流石に子供も二歳になってわかってきました。

一人っ子でも立派に育つしお母さん働いていてもちゃんといい子に育つし兄弟がいなくても違うパートナーは現れるよ! って。

もう、フツーのことなんだけどなんで、このフツーのことを
言ってくれるご年配が、一人もおらんのでしょうねえ!?

これを検証するために、
やっぱり二年かかってしまいました。
一人っ子でも十分立派に育つし、兄弟じゃなくてもパートナーは現れる。
うちのケンさん(夫)、一人っ子だもの。
もしケンさんが一人っ子ゆえにこういう性格に行き着いたとしたのなら、
私は一人っ子を愛してやまない。
こんなに良いものは、なかなか作れるもんじゃない、と思っている。
そんで、私というパートナーがいれば、兄弟いなくてもいいんでないの?と
勝手に思っている。
友達でもなんでもいい。パートナーは現れる。
それに気づくのに、二年五ヶ月かかってしまった。

「母親が働いていると心配」という説も覆された。
母親が働いていても一緒にいるときに十分な愛があって、
きちんと子供に伝えることを伝えていれば
子供は真っ直ぐ育つんだって、
ランディさんの子供を見て思った。
こんなに真っ直ぐな子供は見たことないって、
今まで洗脳されてきた不安が消し飛んだ。

私に色々な子育て指南をしてくれる、おばちゃん方諸君。
人は人を自分の思い通りにしたがる生き物だけど、
無自覚でそういうのはよろしくないと思うのです。

自覚があればまだ、自分の思い通りにならない人も
「この手には乗らないか……?」と。
余裕を持って接することができるのですが。
自分が絶対正しいと思っている時って、
自分に余裕がなくなってる時なんですよ。

私もしばし、余裕がなくなる方です。
余裕を切らすと絶望したり、怒りを溜めたりするようになります。

余裕がないと恐りっぽくなるんスよ。
それか、最終的には怒り出すんデスよ!
自分と他人は違うし、他人を自分と同じに変える必要は全然ないのに。
「変えねばならん」と思うと、やっぱり、関係がおかしくなる。
それを教えてくれたのは、バッチャでした。


バッチャ……。

人にはアレコレ言わず、常にゴーイングマイウェイのバッチャ。
私の洗って分けたプラスチックゴミを燃えるゴミに投入するバッチャ。
風呂の水を溜めて洗濯しようとしても、
翌朝には風呂釜をきれいに洗い上げてるバッチャ。

なんで??なんで??
と思ってましたが、

最初のうち、エコに被れた私はバッチャを変えよう、バッチャを変えようと
していたのですが、
バッチャは変わるもんではありません。
そして、変えるものではなかったのです。
逆を考えたらすごくよくわかる話なんです。
人を変えようとしてはならない。
自分の納得しないことをすることほど、
人のストレスになることはないのですから。

それに、プラスチックゴミを燃えるゴミに投入するのは、
市町村的にはやっちゃいけないことなのですが。

悩んだ私は市役所に、
「うちのバッチャがプラゴミ、燃えるゴミに捨てるんです!どうしたらいいんですか!?」と
陳情に行きました。すると、
「今の焼却炉はダイオキシンが発生しないように800度以上で燃やしてるから、
そこまで神経質にならなくても、大丈夫ですよ。」

こんな風に職員の人に言われたので。
ひょっとすると、私よりもバッチャの方が環境に優しいのかもしれないのです。

何故か?って、
うちの市町村で出されたプラゴミは、圧縮してトラックに乗せて、
千葉の再生処理工場まで送られるわけですから。

そこまで運ぶガソリン代と、排出される二酸化炭素量を考えるとこれは、
どっちがどっちとは言えんのではないか?という気がしてくるのです。
なので、
私はバッチャがプラゴミを燃えるゴミに投入していても、
気にならなくなりました。
どうせなら最初から捨てるために作られているプラ製品
(ポテチの袋とか)は
バイオプラスチックで土に還るものにして、
うちの畑に埋めれたらいいのにと、最近は思います。
これは、私がバッチャの影響を受けたのです。
風呂の水も溜めるとカビの原因になるので
カビキラーを散布するよりは、重曹撒いて洗っておいた方がいいのでは?
と思うようになりました。

多分、人を変えることはできないかもしれないけども、
人に影響を与えることはできるのだと思うのです。


そして、一番わかりやすい影響は、
消費活動に現れます。
何を買うかって、本当に大事。

自分の消費が社会を形作っていくと考えて良いでしょう。
有機野菜でも何でも、美味しくて値段も適正であれば求められて普及するし、
それが求められない社会では普及しません。
だけど、社会っていうのは得体の知れない塊ではなくて、個人の集合なのです。

そう。気の合う人も、合わない人も
ごったまぜに暮らしているのが恐らく、社会。
だけどそんな社会だからこそ、
うちの子作りには口出すな、と。思っているんです。