スイッチかあさんも師匠を出産して今年で7年目になるのですが、
結婚した当初はたしか、2003年から2005年くらいまで
口癖が「生きるのがつらい」だったんです。
何がつらいって、生きるのがつらい。
脳がすぐ飽きちゃうから、生きるのに飽きた時にとってもつらくなっていました。
それで、そう言うと何かケンさんが
ありがたい話をしてくれるので、
どうにかこうにか乗り切ってきたのですが。
( 「みんな生きる意味なくても生きてるのに、
おまえだけ生きる意味が欲しいなんて
おこがましいんだいな!」
と言われたのをよく覚えています。)
ここ7年の間に2度も出産して、
子育てがつらいのなんのと言っていたのはハッキリと覚えているのですが、
昨晩にふと、当たり前みたいな感じで
「生きるのって楽しいね~」
と 自分の口から飛び出たのでびっくりしてしまいました。
「ああ、もう生きるのつらくないのかな?」って。そういえば今、子育てつらくないです。
なんか、楽しくなってきました。ここ1~2年の間に……。
それで、今日の昼頃私はアジをさばいていたのですが、
魚をさばくといつも、板前時代にお世話になった、先輩達のことを思い出すんです。
よく、あんなに使えなさそうなダメ新人の私に、魚の捌き方を教えてくれたなあ……って。
茶碗蒸しにお米の研ぎ方、まかないの作り方。
私は、本当に呆れかえるだけ「働く」ということをわかっていなくて、
とってもトンチンカンで慌てていて、ダメ人間だったのに、
板前時代、私は、これ以上に愛されたこと、がないというだけ、職場で愛されていました。
この愛情は、一生忘れることがないと思います。
お笑いをやっていた頃も、相方やバイト先の人たちに、たくさん愛されていました。
貧乏で腹すかせてて、バイトとしてはダメすぎる人間だったのに、
本当にみんなに親切にされて、たくさん愛されていました。
そういうのが、積もり積もって、今、ようやくつらくなくなったのかなあ……って、
アジを捌きながら思ったんです。
いつもいつも思うけど、本当に先輩方、
ありがとうございます。
こころから
自分も、スイッチさんのお陰で、
随分精神的にリラックスしながら過ごせていると思っています。
いつも色々誘ってくださったり、
背中を押してくださって、ありがとうございます。
皮膚から
私も6年くらい前生きるのがつらくて、毎日つらすぎて。
今でも生きるのが楽しいとはなかなか思えないけれど、かといって死にたいほどはつらくない。
アウシュビッツを生き残った「夜と霧」のフランクルは「生きる意味は自らが見つけるものではない。人生は生きる意味を求められているのだ。」と言ったそうです。
きっとスイッチ母さんは「子育て」という生きる意味を求められていたのですね。
ところで、ミステリーハンターにはもうならなくても良いのでしょうか?
20歳前半は私も生きるの、辛かったなぁ。
今じゃ考えられないくらい無口でうすっぺらく笑って
お腹にマグマのような怒り(向けるもののない途方も無いやつ)を
ぐらぐらとさせていました。
色んな人に愛されるのがうっとうしかったりしていましたが
今考えるとなんてありがたいことだったのかと
飛び上がってしまいます。
夫(ねぶた顔)に会って、
生きるのがつらくってどうしようもないんだ!
と、愚痴をこぼすたびに
「じゃあどうしたいのかをまず考えなさい」
といっぱい言われて、少しずつどうしたいのかを
自分で考える様になって、そしたらいつの間にか
生きるのが楽しくってしょうがなくなってました。
娘っこもその要因の一つ。
ありがたいはなしだなぁ。。。
境君
泣かせるなよ~! とんでもねえよ!
耳の穴から☆
KEYさん
「夜と霧」を読んだら、大概のことは
なんてことなくなるのでしょうね。
アウシュビッツに収容されることに比べたら……。
求められているって、ふしぎな感覚ですね。
ミステリーハンターは、泉に投げる石だったと思うんです。
自分が何をしたいのかって考えて、出てきた石を自分の泉に投げて、
波紋が広がって……そうして、人生は進んでいくと思うんです。
一つの石をきっかけに、どんどん波紋が広がって、
その波紋が違う波紋を呼んで……
だから、やりたいことは全部やっちゃったので
今はならなくてもいいなって思います。
自分の求める変なものを、
自分の力で追えるようになりました☆
おふくさん
だんなさん、仏様みたいですね。笑
縄文顔のダンナさん、なんかうちのケンさんみたい。
「じゃあどうしたらいいのかをまず考えなさい」って、
すごい人だあ。