無意味せんげん - 山田スイッチ –
山田スイッチは、一切意味を求めません。ちなみに7歳男子と3歳男子を田舎で子育て日記。
2013/03/06 カテゴリー: ブログ。 タグ: お亡くなり先生忠三郎田中 田中忠三郎先生が亡くなられました。 への6件のコメント

縄文やBOROの取材でとてもお世話になった、

田中忠三郎先生が亡くなられました。

たなちゅうさんのことは、大きな笑顔しか思い出せません。

 

病気になってからは、奥さんの智子さんが「元気だった頃の顔しか見せたくない」と

おっしゃられて、お見舞いを遠慮されていたのですが、

そのおかげなのか、私は元気な頃のたなちゅう先生の顔しか

思い出せないのです。

 

たなちゅう先生は、人は死んだら山に還る。山に還って、春になったら山菜になって

食卓に還ってくるから、初物食う時は笑えって昔から言われているんだと

教えてくれました。

そうすると、祖霊が喜んでくれるのです。

 

本県の文化財の発掘と保護に個人で、ただ一生懸命に力を尽くしてくれていた

たなちゅうさん。

たなちゅうさんの仕事は、本当に偉大なものでした。

6件のコメント

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死んでからも笑顔がたくさん残る人は
死んだ後も笑ってる人だと思う。
いっぱいの涙で送ると、その後みんな
ニコニコになる。
あ、今、笑ってるな、きっと。
って思う瞬間。

合掌

そうかあ……おふくさん、
素敵な言葉をありがとう。

お久しぶりです。
こちらで知りました。
とっても残念です。
先生の本、また読みます。
またBORO、見に行きます。
山に山菜を取りにいくぞ~!

(^-^)p

まだ、やりのこしたこともあったかもしれません。
市井の巨人です。。。

たいっつあん 様

昨日のお通夜は、とてもよいお通夜でした。。
お孫さんの語りかける「おじいちゃん……」という
言葉が、たくさんの人の涙を誘い、
また、生前の故人に寄り添う奥様が
とても幸せそうで、本当にすばらしい人だった……と。

よいお通夜でした。