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しくじり先生

『しくじり先生』っていう番組にホリエモンが出ていて

ホリエモンのしくじり方の派手さに大爆笑していたんだけど

過去に「上司にしたい男性NO.1」にも選ばれていたホリエモンの

人生最大のしくじりは、



「調子に乗ってた」ことだって言ってましたNE☆



「調子に乗って、逮捕されちゃった☆」



って、ホリエモンが面白い人でびっくり!



日本テレビ買収の際のホリエモンの心理状態「ギリ、買える!」には笑いました。



1000億でもギリ、買えるって。(笑)



それで買おうとする辺りがホリエモンらしいですが、

「あの頃は調子に乗ってた。服とかもTシャツだし。

お偉いさんに挨拶に行かなかったから球団も持てなかった。

孫さんは挨拶行ったんですって。それで、襟、みんな好きでしょ? 襟、大事だよね」



と言ってるホリエモンの服装が、

ジーンズにチェックのシャツなんだけど

なんか、いい顔だなあ……って思いました☆



ジェットコースターみたいな人生だけど、

刑務所で無地の封筒作りが一番辛かったって言ってたけど、

そこでノルマの50枚を超える、78枚を作り出すことに意欲を燃やしたホリエモン。



芸能人と話ができるアプリ755は、ホリエモンの受刑者番号が

755だったんだそうです。



刑務所入っても、今現在がいい顔しているんなら、

なんか、落ちるのもなんかアリだYONE!! って思う。



しくじり先生は登場する先生方が、

過去のしくじりを大公開してくれるので、

本当に良い番組なんです。

次回も楽しみ☆

 

我が闘争

 

ホリエモンのしくじりをもっと知りたい人は、

本を買ってNE☆↑↑↑↑

 

立原あゆみ先生の「本気!」

「コレを読んだら大人になれるというマンガを教えて下さい!」



ニコ生で岡田斗司夫さんにお聞きしたら答えは

立原あゆみ先生の「本気!」でした。



おお……パンチパーマが目印の極道マンガ「本気!」ッスか……。



ビビりながらも検索すると、

「本気!」はなんと全五十巻もある長編マンガで

番外編とかも入れたら百冊ぐらいいきそうな

ご長寿マンガだったのです。



しかし、こち亀に比べたらまだなんとかなりそう。



とりあえず、TSUTAYA DISCAS で「本気!」全五十巻のうちの

三十冊を借りてみました。

まだ一巻目ですが、これは、いい漫画です。

不思議。少女漫画の画風の極道だと思っていたけど

祭りの時の光船の絵とか、見開きでグッと来る。



それにしても、第一話が「兄貴」、第二話が「女」、

第三話が「指」で、第四話が「シマ」って……。




この漫画ガチで本気っすよ……!

本気(マジ)! コミック 全50巻完結セット (少年チャンピオン・コミックス)

 

江川達也先生を語らせて!

ドグ子です☆



ドグ子に「東京大学物語」語らせて!



ドグ子が今までに20回くらい繰り返して読んでいる

「東京大学物語」は、東大受験から仮面浪人をする1~15巻が

壮大な前振りなんです。

前振り、あるいは本編をより良く活かすための登場人物の過去に当たる部分。



何故16巻からが面白くないのかは、

右脳系の人間か、左脳系の人間……あるいは、

女性か男性かによると思います。




論理建てて考えるタイプの左脳系の人には、

16巻からが「なんだかよくわからない」のです。



しかし、情緒優先の女性にとって、

東京大学物語は16巻からが正念場。



恋愛マンガのように見せかけて、作者が本当にやりたいのは

人格形成のドラマなんです。

そして、環境は簡単に人の人格を一つの型にはめていく。

その大きな要因は、知らずのうちに母親が作っています。過去がどのように現在に影響を与えるのかも、江川先生が探りたかったことだと思います。



ヒロインの遥ちゃんは、江川達也先生の理想の女性像ともいえる

「心を裸にできる女の子」です。

そしてライバルとして現れる真紀は、

主人公・村上くんを教育しようとする存在。



途中で妊娠騒ぎがあった時には村上くんのアパートのドアに

「危険! 変態東大生が棲む部屋」とスプレーで落書きしていく

ほど自分のことしか見えない真紀ですが、



シリーズの後半、彼女のこういった行動がどのような思考法によって

作られるのかも明らかになりますし、遥ちゃんの幼少時代が

周りから浮きやすく、いじめられやすいタイプであったことなど

「その人が、その人にならねばならなかった理由」が描かれています。



残念なのは最終巻、江川先生また、描ききれなかった……。



江川先生の目指すエコロジカルで一夫多妻を良しとし、

人を思いやることを最善とする感情の生起を探る世界は、

週刊現代で連載された「家庭教師 神宮山美佳」の方が

うまく表せていると思います。




「そう、私がブーにゃんでした……」のセリフで号泣したドグ子。



追伸 「家庭教師 神宮山美佳」全三巻 本気でオススメ☆です。読んでNE☆

 

家庭教師 神宮山美佳(1) (KCデラックス)

 

泉谷栄 先生のこと

私が弘前南高校に通っていた頃、

社会の先生にすごい人がいた。

南高校の先生は、随分と個性的な人が多かったと思う。

国語の授業で梶井基次郎を紹介するときに

「デカダンですよ、デカダン!」と当たり前のようにデカダンを語った館山隆先生

物理の授業で物は重力に引かれて落下するということを表すために、生徒の鞄を拝借して勝手に投げた岩間先生。

そして、社会の教鞭を執っていた泉谷栄先生は、授業最初の自己紹介でこう言ったのだ。

「私は右翼です! 天皇陛下、バンザーイ!!」

 

と……。

 

学校の先生は自分の主義・主張を語ってはならないと聞いていたが、あれは嘘だったのか。

泉谷先生は右翼で、阪神タイガースのファンで、糖尿病だった。

阪神が優勝した夏には祝い酒を食らって、翌日学校で倒れ、救急車が迎えに来たというのはもう、

先輩から語られた伝説的な話だった……。

 

 

泉谷先生は作家だった。

私たちが高校一年生だった時に「存在のクロニクル」という、たいそう分厚い、立派な本を出されていて、

私は今泉書店でその本を何度も立ち読みしたが、

あまりの難しさと漢字の多さに挫折し、タイトルの「クロニクル」という言葉だけが胸に残った。

 

そんな泉谷先生に、高校を卒業して何年も経ってから、弘前のサンデーでお会いしたことがある。

先生は病院通いの途中に寄られたようで、とても静かで、私が

「先生はいつも、授業の時はエロ話ばっかりしてましたよね。面白くて、ずっと起きてました。」

と言うと、「いや、そうだったかな?」と、はにかんでいらっしゃった。

先生の発行されている同人誌「阿字 132号 頒価500円」(発行 アジ・プロダクション 青森県弘前市栄町4-10-23 泉谷栄)の、

<あと・あじ>には、

先生の今の容体が書かれている。

 

「2008年から2013年の今日まで入院と通院と自宅療養を繰り返し、なおも続いている。いつまで続くのか、自分にもわからない。」

□「阿字」を発行するのも3年ぶりだ。その前の発行はどうであったか。

断続的に出していたような気もするが。とにかく今は歩行が困難、腰から下の筋肉がそげ落ちてしまったのだ。

手はまだけだるいが、どうにか書ける。救いだ。

頭の中は依然として突風が吹いている。春になっても雪が吹雪いているのかもしれない。

血糊べったりの吹雪がね。□

 

この発行は、2013年5月13日。

生きるだけで毎日が闘いのような先生に、読んで頂けますように……と

願いを込めて、私の「うちのバッチャ」を送らせて頂いた。

そうしたら、昨日お葉書が届いたのだ。

一文字、一文字を必死に書いて下さった。

そんなことが、伝わるお葉書だった。

 

「お元気のことと思います。御著『うちのバッチャ』を戴きながらお礼遅れました。

もう 時効になるほど前に届いておりました。 ゆっくり 味わいながら読ませてもらいましたよ。 

いいですね。 

本著は、いつでも ・ どこでも ・ だれにでも通用する普遍性がありますね。

地方に在ってもこうでなくてはね。津軽ではいいが、東京では通用しないでは書く意味がないものね。

それは「バッチャ」本人に広く、深い「知」があるんだと思います。

いい出逢いですね。大事にしたいです。このたびは 本当にありがとう。

売れているようで何よりです。 ばんざいです。」

 

泉谷先生の、素直で、優しい言葉が届けられた。

先生がご無事で、ほんとうによかった。

 

今思えば、南高校の先生達は、本当に素直な先生ばかりだった。

当時の私は、「素直」というものがどういうものかわからなかったのだけど、

大人になって素直な人の持つ力に触れて、素直という物がどれほど素晴らしいことかがわかってからは、

素直な人をかけがえのないものだと思っている。

「天皇陛下、バンザーイ!!」と、私たちの心をガッチリと掴んで、

授業をまるで講演のように、全てをさらけ出して私たちに与えてくれた泉谷先生。

本当に嬉しい時には、糖尿病であっても酒を飲むんだという「大人の粋」を教えてくれた泉谷先生。

先生が持っている素直さの光は、宝石のようだと

私は思った。

 

2013年7月2日  山田スイッチ

 

 

田中忠三郎先生が亡くなられました。

縄文やBOROの取材でとてもお世話になった、

田中忠三郎先生が亡くなられました。

たなちゅうさんのことは、大きな笑顔しか思い出せません。

 

病気になってからは、奥さんの智子さんが「元気だった頃の顔しか見せたくない」と

おっしゃられて、お見舞いを遠慮されていたのですが、

そのおかげなのか、私は元気な頃のたなちゅう先生の顔しか

思い出せないのです。

 

たなちゅう先生は、人は死んだら山に還る。山に還って、春になったら山菜になって

食卓に還ってくるから、初物食う時は笑えって昔から言われているんだと

教えてくれました。

そうすると、祖霊が喜んでくれるのです。

 

本県の文化財の発掘と保護に個人で、ただ一生懸命に力を尽くしてくれていた

たなちゅうさん。

たなちゅうさんの仕事は、本当に偉大なものでした。