検索結果 "本当"

見えない本当の気持ち

ドグドグ~! ドグ子は、23歳だと言っているけど

実際にエジプト占いというのを始めたのは
10歳の時で、

かれこれ30年近く人を占ってきていてわかったのは、

「この占い……顕在意識を占っているように見えて、
本当は潜在意識を占っていたんだドグ……!」

という、ことなんだドグ~☆

 

それというのは、
自信満々で取り組んでる物事に、OKのカードが出ない時、

「一体、なぜか? 準備が足りないのか?」と、
色々考えてきたけども、意識で考えていることと、
心の奥で考えていることが違うんだなっていうことが
最近わかってきたんだドグ。

 

潜在意識は、もっと自分に正直で、本当にちょうどいい可能性というものを求めているドグ。

世間一般でいう、普通さよりも、自分にピッタリのものがあるってことを

知っているのが潜在意識だと思うんだドグ。

 

例えば、転職したいっていう人を占うとき、
占われる側は本当に自分はまいってて、
にっちもさっちも行かなくて転職したいんだという風に来るんだドグけど、

実際にカードをみると、
その人は大変に元気なんだドグ。

 

それで、思うに。
元気のない時は転職したいという気持ちも起こらなくて、
時間が経って、体に力がみなぎって、ようやく「転職したい」
って言葉が言えるようになったんじゃないか?
と、思ったんだドグ。

 

それというのは、転職したいって来る人みんなが
「実は元気で宇宙的」という、シリウスのカードを出すからなんだドグね。

 

職場にいてもつらいだけという人を占ったら、
「やったー! これで嫌な職場におさらばできる~!」
っていう、めっちゃ前向きなカードが出てて、
落ち込んでる本人に
「アンタの潜在意識はこう言ってるで~」
と通訳してみせると、

 

なかなか腑に落ちるところがあったのか、
元気になって転職先探しに行ったりするんだドグ。

 

自分の本当の気持ちがわからないって、
すごく不可解なことなんだドグけど、
ドグ子は、この世で起こることは全て、必要があって
起こるって考える主義だから

 

大体のことは、10年経ったら
「あの時こうだったよね」
って、わかる仕組みになっているんだと思うドグ。

 

だから、起こってることから常に
キーワードを探すこと。
「これは一体、何に繋がるのか?」
と、じっと見て面白がること。

 

50代の先輩方が次々に離婚していくんだドグけど、
自分で選んだことに満足していない先輩はいないんだドグ。

偶然が重なって、離婚しない方を選んだ先輩も、
自分で「この偶然に何かある」と思った人だから、
「自分の人生を幸せにするのは、自分!!」

 

という、強固な考えで己を幸せにしていく人もいるんだドグ。

 

潜在意識の存在に、
一番気づかせてくれるのは、
友達の言葉ドグ。

 

友達にとっては、何気なく言った言葉かもしれないけど、
キーワードというのは「引っかかるから効力を発するもの」なので、
引っかかりを見つければ、
そこから答えを紐解くことができるように、
ドグ子は思えるんだドグ~!

 

 

竹山先生、本当にありがとう。

山田スイッチの『言い得て妙』 仕事と育児の荒波に、お母さんはもうどうやって原稿を書いてるのかわからなくなってきました。。。-竹山にありがとう会場

25日に開催した、「竹山にありがとう」へ足をお運びになって下さった

皆様方、本当にありがとうございます。

当日は、突然の雨にもかかわらず

100人を越える方々が、西川洋子さんの弾く

高橋竹山の津軽三味線を聴きにいらして下さいました。

中には、アメリカのカリフォルニア州から観光でいらして、

遊びに来て下さった方々も。

西川さんの堂々とした三味線と話芸。

本当に、魂が座っていて格好良くて。

深くて、たまらない音が

竹山の三味線から奏でられたのでした。

「竹山先生に、今、西川さんが一番聴かせたい曲を、弾いて頂きたいのですが…」

最後に、こうお願いすると

西川さんは、

「うちの先生は、おらの若い時代は、どこさいってもやる曲がありました。
 津軽民謡ではありませんでした。先生にとって、ここが生きねばまねっていう原点に当たるんじゃないかと思うのですが。先生は、若い頃、北海道で物もらいをして、餓死寸前にあった時のことを語るんです。その時先生を助けてくれたのは、朝鮮の人だったのです。

 先生は言います。

「北海道は、国内だ。だけど、竹山を助けてくれたのは、食べるものも持っていない、朝鮮の人だった。餓死寸前にあった竹山を仲間に入れて、食べ物を食わせてくれたせ。おかげで竹山、今、いるのせ……。そうでねば、餓死せ……」と。

そう言って竹山先生はいつも、アリランを奏でていたのでした。

洋子さんは語りました。「おらにとっての高橋竹山は、じょんから、あいや、よされ、十三の砂山もそうですが。気持ちの中で刻まれる竹山は、アリランかもしれません……」

そして、奏でられた津軽三味線のアリランは

本当に切なく、心の籠もった、語りかけるような音楽だった。

私は、会場に竹山先生が

いてくれたような気がしていた。

竹山先生、ありがとう。

西川洋子さん、本当にありがとう。

この会を企画された、田中忠三郎先生、工藤美緒子さん。

そして、みんなの大好きな、齋藤葵和子さん。

来てくれた、お客様。お花を贈って下さった、

倉田真由美先生。(同姓同名…!?)

私たちを繋いでくれた、高橋竹山先生に。心から申し上げます。

竹山先生、どうもありがとう ……!

 

運命の人は本当はいないけど、いる場合もある。

関係ない話ですけど、
運命の人がいる場合ってのもあるんじゃないか? と思って
考えてみたのですが。
それはどんな場合かっていうと、
自分で選んだ時だと思うのですよ。

だって、他人に「この人は運命の人だ」と言われて信じられるのって、
おかしいじゃないですか。
たとえ霊験あらたかな占い師にだって、経験豊かな上司にだって、
言われて信じるのって変……ですよね?
自分でそう思っていないときは特に。

だから、最近特に口を酸っぱくして言うのは、
「自分の勘を信じなさい」の一言なのです。
人にこいつが運命だなんだと言われたからって、
そんなの気にしてどうするんだと。

ただし、問題は運命も何も、「出会えないから困っている」という
私のお友達からの多数意見なのです。
じ、人口の問題なのか……?

 

運命の人など本当はいない。

実をいうと、最近感じているのは
「運命の人」というものはいないのではないか?
ということなんです。

我々女子は「運命の人」を求めてしまいますが、
その求める「運命の人」は、大概の場合は
「自分の運命に都合のいい人」だったりするんです。

男性が求めるいい女が実をいうと
自分にとって「都合のいい女」であるように。
大概の私たち女子にとって「運命の人」とは、
「あたしの運命を切り開いてくれる人」だったりするのです。

できることなら、損な相手よりは得な相手がいいとか、
できることなら、貧乏人よりはお金持ちの方がいいとか。
できることなら、この人と付き合ったことによって
自分の運が開けるような「運命の人」がいいと思いがちなのですが。
果たして、そんな「運命の人」が、本当にいるのかどうか。

だけど、あいつらはひょっとすると
運命の相手同士なのではないか?
あのお笑いコンビは。
借金を背負って借金取りに追われながらも、
一緒に返していく覚悟を持った、「かつみ&さゆり」は。
ダメなヤツだと知ってて相手を背負っていきたいと思う。
そんな「どこまでも損をできる相手」が、実をいうと運命の相手なんじゃないかと思っているのですよ。

だけど普通は、「どこまでも損」なんていう、キリスト教的自己犠牲の精神には
たどり着けないものです。

キリスト教的自己犠牲の精神を持たない私の、
子育て中の被害妄想というのは、今思うに相当なものだったのですが。
何故、そこまで時間がないことを不幸のように
感じることができたのか。
不思議なくらいに被害者意識はバリバリで、
自分をこの世で一番不幸でがんばっている母親だと思ってたし
そこを否定されると、本当に悲しくなってしまうような精神状態でした。

それらは全て、比較することによって
生まれたものだと思います。

過去の自分と。

自分の時間があって、自分一人のために生きててよかった自分と比較して、
苦しんでいたのだと思います。
その許容量の狭いことといったら、半端ないです。
パねえッス!

そういう時に、与謝野晶子が11人の母親で、
夫の与謝野鉄幹が落ちぶれ、働かず。息子の産着を買うお金もなかった時に、
風呂敷を縫って産着を繕い、11人もの子供を育て上げた、とか

韓国動乱の際に自分とは関係のない道に捨てられた孤児達を、
どうしても見捨てることができず、何人も何人も引き取り、
(その引き取った孤児の数は133人といわれている)
お金がないので産着も買えず、青空理髪店を営み、
落ちている軍手を拾ってほどいて子供用のえりまきに編み直して着せた
望月カズ※「愛は国境を越えて」のモデルになった実在の人物 の話を聞くと。

体の、底の方から力が溢れてくるのを感じるのです。


望月カズにとっては、その捨てられた孤児たちが、
運命の相手だったのではないか? と。

与謝野晶子にとっては与謝野鉄幹が。
その運命の相手によって、彼女たちは彼女たちにしかない
ただ一つの人生を歩んでいくことになります。

私の人生は、私にしか訪れない。
この子の人生も、この子にしか訪れない。

それを思うと、今、一緒にいるジッチャとかバッチャとか
師匠とかケンさんとかは。
半端無い運命共同体のように感じられてくるのです。
……嫁(私)のせいで家の恥、さらされまくりだけどね…。

 

2ちゃんねるは本当はない。

どうも。
師匠の痒いのも夜間3度の薬塗りから、
夜間2度に減り、とても快適な日々が訪れました。

日曜日は青森朝日放送主催の、CM大賞の審査員をしに青森へ。
藤崎奈々子さんが司会に来ていて、青森全体のボルテージを上げていました。
細かった……。
同じ審査員席に座っていた方々が、とても心温かい人たちで。
会えて良かったな~というのと、私もあんな風な、
優しい言葉の人になりたいなあと思いました。

ところで、タイトルの2ちゃんねるは本当はない。

ですが。

2ちゃんねるというものを、うっかりでも見ないようになってから
はや、4年が経ちます。

最初のうちはうっかり検索ミスで見ちゃったりとか、
よせばいいのに自分の名前で何が出てくるか見てしまったりとか。
そういうののせいで、自分の知らない何者かが当時のweeklyぴあ連載時の
私の決まり文句を、
「はいどうもー、山田スイッチです。なんちゃって!」
とか言ってるのを見てショックを受けたりもしましたが。

4年も見ていないと本当に、2ちゃんというものはこの世に存在するのか
どうかということすらあやしくなってきます。
もう、ないんじゃないか…?という気持ちも、してくるのです。


ようは、「ある」ということはその人の意識が決めることであって、
2ちゃんねるが「ある」ということも、その人の意識が決めていることであって。
私の意識が「ない」と決めてしまってからは、

2ちゃんは。


私の世界には、存在しなくなってしまったのでした。

ケンさんメモ。

親に暴力を振るう息子(2歳)に向かって発した言葉が、

この、悪の華!

ボ……ボードレール???
それとも、ボーボワール???

Nakさん直伝の新潟名物「この、宝物!」に続くヒットです。