Archive for the "今日のさとり" Category

今年の目標の正体を探る  山田スイッチ  

プリテス相談所で今年の目標がテーマだったので、
友達の今年の目標とか、目標の捉え方が日記に載ってて
面白いドグ!

それで、ふとドグ子の今年の目標と
目標の叶え方を考えてみたところ
去年の目標について考えてみるのが
よろしかろう! という結論を得たんだドグ☆

皆さんは、去年の目標叶いましたドグ?
ドグ子はさっきトイレで
用を足している間にドグ子の今年の目標とは
何なのかを悟ったんだドグ。
トイレは悟りの場ドグ。
トイレすごい。

今年の目標は、来年叶う!
恐らく!!

そのためには、その目標を叶える前年(来年叶えるなら今年)、
恥を忍んであちこちに目標を言って回らないといけないんだドグ。

なぜなら、目標なんてあっても
怠け上手なドグ子は目標達成のやるべきことを
やらない!!ドグ!

だからこそ大きな声で「こんなことがしたい」
「これをやろうと思ってる」「これ、やる!!」と
一年間言い張り続けなければならないんだドグ。
そして、一年も言い張っているとドグね、
引っ込みがつかなくなるんだドグよ!
「あんた、アレやるって言ってたじゃん」
って、白い目で見られるまで言い続けて、その目に耐えられなくなってからが勝負ドグ!!

耐えられない→焦る→とりあえずやる
この「やる」までたどり着いたらドグ、
もうそんなの叶ってるようなものだドグ。
目標が叶わないのは、やらないからドグ。
やったらそのうちどうにかなるんだドグ。

ドグ子で言ったら、昨年の目標は「漫画家になる」
だったドグ。

しかし、それで漫画が描けたのか? と言ったら、
家の建て替えとのいろんな対応に追われて
全然描けなかったドグ。

だけど、そんな状況でも「漫画が描きたいんです!」と
言い続ければ、
自分を洗脳することができるドグ。
しかも周りに言い続けることで、漫画との繋がりが勝手に太くなるんだドグ。
それには、やっぱり一年かかると思うドグ。

え?
今年のドグ子の目標ドグ?

そんなの、大手出版から漫画出版に決まってるじゃないドグか!
今年も一年、白い目で見られても平気になるまで
「大手出版から漫画出版!!」と
言い張るドグ~!
(^▽^)/

 

2014 今年の目標

とあることをきっかけに今、死ぬことに非常に興味があるんです。
生き物がなんで、「食べられるのに生きるのか」ということは
永遠のテーマじゃないですか。
 
その生き物の中から、「他の動物に食べられるのが嫌だ!」という
強い思いから道具を発見して、火を使ったり、医療を発見したりして
人間が生まれたわけですけども
それでも死ぬのに変りはなくて。
 
死んでしまうのになんで生きるのかって、やっぱり考えちゃうわけですよ。
やっぱり、死んだら漫画「火の鳥」みたいに銀河の中の巨大な魂の渦に自分も飛び込んでいって、もはやどこからが自分でどこからが他人もわからなくなり、そこには死んでしまった過去の恋人やあらゆる魂が存在していて、魂がダンスを踊るようにぐるぐると渦巻いているのだろうかと思ったのですが、
 
まあ、そういうのって死なないとわからないじゃないですか。(笑)
 
死なないとわからない。
だから、今の目標は安全に最後までしっかり生きること。
安全に魂をうまく運転していって、
死んだ時に「ああ、こういうことね!」っていうのを
しっかりと意識できるような、
そんな死体でありたい。
 
関係ないですけど、「新鮮な死体」って、ひょっとして生きていませんか?
ちょっと手をくわえたら生き返るんじゃないかしら。
 
今月の11日は、不動産屋のコボリさんがガンで亡くなって、ケンさんがお通夜に行って来たのですが。
 
お通夜の席では生前にコボリさんが「通夜の席で伝えてほしい」と残されたメッセージが喪主である息子さんの口から語られたのだそうです。
 
そのメッセージが、もしかすると不動産業界全体が見直されるほど素晴らしいメッセージだったので、ここにお伝えしたいと思うんです。通夜の席で伝えてほしいと語られた、コボリさんからのメッセージはこんなものでした。
 
「今よう、あのよ(世)!」
 
ギャ……ギャグ!?
 
先ほどまでの友人代表の挨拶で、泣きに泣いた会場で故人からのギャグを聞き、ケンさんは言いました。「通夜って、にこりともしてはならない雰囲気があるんだばって、これ聞いたらなんか、フワッとしたよな!」 
 
このお話を聞いてから、私の中でなんか、死生観が変わったような気がするんです。
 
コボリさん、本当にありがとうございました。
 
 

ケンさんの悟り

ケンさんに出会ったのはもう2000年よりも前の年になるんだけど、

その頃私たちは大学生で、

ケンさんは「わー(俺)はもう、二十歳の時に悟ってまったはんで、

残りは余生だんず」と語っていて

一体何を悟ったんだろうかとずっと気になっていたのだけど

そんなケンさんと結婚し、一緒に10年暮らして、

ようやくケンさんが悟ったものが何なのかわかり始めたのだ。

 

それは、悟っても全然楽しい事じゃないしむしろ残念な気持ちになることの方が多いという

ケンさんの悟りだったのだけど、

十年以上かけて長々とケンさんの話を聞き続けて今、実感としてわかったこと。

それは、

昨日のブログにも続く話なんだけど

「人間には価値がない」ということなのだ。

 

どうしても人間は、人間目線でものごとを見てしまう。

だから、生きる価値があるのないのという妙な判断を持ってしまうのだけど、


動物は自殺しないじゃないですか。



私が生きることにうんうんと悩んでいた時、

ケンさんは怒ってこう言いました。

「みんな理由がなくても生きているのに、自分だけ生きる理由が欲しいだなんて

欲張りだ! 生きる理由なくても仕方なく生きればいいっきゃさ!

どれだけ偉そうだのよ!」




と……。人って本当に、生きる価値だとかなんだとか、そんな妙な価値観に囚われてしまいますよね。

ケンさんにとって人間はものごとを本当に真っ直ぐ見ない変な生き物なのだ。

腸内にいる菌にでさえ、善玉菌だとか悪玉菌だとか、すべてを人間の都合のいいようにしか理解しない

困った生き物なのだ。

 

 

死ぬ理由がないから生きるという選択をしたケンさんに出会ってから

色々あって結婚し、子どもを2人も産んで今に至るのだけど

ケンさんは未だに死ぬ理由がないから生きている。

 

ケンさんはそもそも、生まれ変わりたくなどないのだけど、どうしても生まれ変わるのなら

人間とは関わりを持ちたくないから深海に行くのだそうだ。私は、

生まれ変わったらバッタがいいなと思っていたんだけど

ケンさんが深海に行くのなら

深海の土の中にいるバクテリアにでもなろうかと思っている。

これをランディさんに言ったら、

「さすがケンさんねえ。私なんてナマコだもの、まだまだ浅瀬だわ!

と言ってくれた。

ナマコに生まれ変わるのもいいなあとは思うのですが。(笑) 

 

昨日、

なぜ自分は人間に生まれてしまったのだろうと考えてから

眠ったら、

さっき起きた途端に答えがありありと分かった気がするので

夜中にこれを書いているわけだけど。

やっぱり人って、人と関わり合うために生まれてきているんだと思う。

 

相手が人でないにしても、動物とか、植物であったとしても

それと関わり合うために生まれてきているんだなということが

すごく、実感としてわかってきたのだ。

 

そして、関わり合いっていうのは断崖絶壁でロープを握りあっているようなもので

一つのロープを放さないと、新しいロープは握れないようになっている。

これは、過去の経験から思ったことで。

過去に一時、その人に何かあると虫の知らせが走って、

すごくいいタイミングで会うことができたり、電話するとか、絶妙なタイミングで相談することが

できるという、まさに蜜月が訪れた

友人がいてラブラブな雰囲気になるんだけど

ある時期が来ると「離していいタイミング」がやってくる。

 

それはむしろ「離さなきゃいけないタイミング」になり、離さないと様々と悪いことが起こるタイミングになる。

何故かというと、私がその人のロープを握っている限り、

私も、その人も、新しいロープを握れないからだ。

 

自分に何本か握れるキャパがあるからといって、その人のロープを離さないと

その人を一生涯支えられるような大事な未来の出会いを奪ってしまうことになる。

だからそのタイミングが来たら間違いなく、ロープは離さなければならない。

そうじゃないとどんどん悪いことを神様がわざわざ起こしてくれるのだ。

「離しなさい、離しなさい」と、気付かない人間に気付かせるのに

神様は一生懸命不幸を用意して、大変な目に遭わせてくれる。

 

それがもうわかるから、離していい時はすぐに離せるようになった。

昔は食らいつかなきゃいけないのかと思っていたけど、そうではないんだ。

成長したんだなあと思う。

 

「そんなこと言ったら苦労を共に分かち合う人がいなくなるんじゃないの?

サラ金に追われながら一緒に借金を返済して、場末でコロッケ屋をやりながら愛し合う夫婦とかいるじゃん」

と言われたら、それはその夫婦が、サラ金に追われることを全然不幸と感じてない証拠だと思うだ。

私そう、思うだ。

 

サラ金に追われてなお、儲けが出るほど愛し合っているのだ。

なぜ、人に感性というものが存在するのか。

その人にしか感じられない幸と不幸があるのか。

これって、ものすごく面白いことだと思うのだ。

それこそが

生きてきた中で勝ち取ってきた感性というもので、間違いなく「自分」と呼べるものだと思う。

私、そう思うだ。(笑)

 

それで、なんでこんなことを書きたいかと思ったのかというと、

隣で寝ている4歳児と8歳児の寝顔が、とてもスヤスヤとしていて

この子達は頭に来た時は憤慨して怒り、親にも文句を言い

感情を殺すことをせず、

本当によく育ったなあと感じたからなのだ。

人には、価値なんて全然なくても、祝福されている。

 

祝福された存在ということが

無価値であっても生きていく動力になるのかもしれない。

 

私、そう思うだ。

 

 

勘だけで生きる。

☆本日の記事は田口ランディさんのコミュニティ・サイトChita grandy で連載している
「オロオロする機能」から抜粋したものです。最後まで読みたい方は、
Chita grandyに名前とメルアドを登録してね!☆
 
 
「ここ10年以上、勘だけに頼って生きているんだけど
他の人って勘以外でも生きていたりするのかしら?」
 
そう夫に聞いたら夫に顔をにやにやさせながら、
 
「さあ?」
 
と言われました。
 
「動物って野生の勘だけで生きているはずでしょう? ドングリとか貯えるヤツもいるけどそれも野生の勘か本能でやっていると思うのよ。人間だって動物なんだから、野生の勘だけで生きていいと思うんだよね。それより何より、勘に頼って生きてるといいことがあるんだよ。」
 
本日、私が長年言語化せずにいた、バカの理論が言語化されたのでした。
野生の勘で生きている人間は、
「計算しないから計算が外れない……!!」
 
勘だけで生きることの素晴らしさ。
あと、「テンションが上がらないと何も出来ない」
ことに昨年までは後ろめたさを感じていたのですが、
テンションは上がらないと、何も出来なくて普通ですよね???
 
「ダメだ、もうテンション上げられないしがんばれない!」
と、よく悩んでいたんだけど、テンションって、生理みたいなものだから。
勝手に上がったり下がったりするのは、普通なんだなあってようやく気付いたんです。
 
言うならば、上がったついでに何かができるのであって、
上がらなければ何も出来なくて普通なのではないか? と思ったんです。
これからは、何か頼まれた時は全て、
テンションに任せてお返事しよう……。
 
「すみません、テンションが上がらなくて……」
 
っていうと、すごいわがままな人間に見えるけども、
 
「すみません、血糖値が上がらなくて……」だと、
 
同じ上がらないでも心配の対象になるじゃないですか。
テンションは、血糖値と同じくらい上がらないと何も出来ないものなんです。
私にとって、テンションこそが一番大事なんだと初めて知った今年の夏。
 
先月、youtubeの動画王であるmegwinさんに青森ねぶたで踊ってもらうために、
浴衣を用意したり青森の美味しいお店を調べたりと意味もなく駆け回っていた私は
「生きてる……!」ということを
ひどく実感していたのです。
 
続きはChita grandy で! 「勘違いでも生きていこう」キャンペーン実施中!(笑)
 

最終奥義「客観視」 完成! 

思春期に入って、自分を客観視するという技を

身につける人もいるじゃないですか。

「今、どのような状態か」を客観的に観るっていう技を。

 

その、客観視という技についてですが

技に流派とか奥義とか、最終奥義とかがありそうだなあと最近、思うのです。

 

例えば、思春期にふと自分と両親の関係を考えるのが

第一段階の客観奥義だとしたら、

両親と自分を分けて考えるのが第二客観奥義。

 

更に、両親と自分の関係による自己の性格形成というものを意識した上で

そこから離脱するのが第三の客観奥義……技として命名するなら

「深緑色の客観ブルース」っていうのはいかがでしょうか?

 

そして離脱した後に社会的な空気・風潮の中で生きている自分を客観視するのを

第四段階の「紅花色の客観仮面舞踏会(マスカレード)」、それを更に無意味として捉えるのが

第五段階の「セシルの微笑み」

更に常人の時間の観念「何歳までに結婚して何歳までに就職して成功してうんぬん」などを

超えるのが、第六段階「紫芋のおいしいタルト始めました」で、

 

いかがでしょうか!?????

 

山田スイッチ☆